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27.名前を呼んではいけない【アレ】

 


 結局、学園に到着したその日は殆どが部屋の片付けだけで時間が終わってしまい、まだパラパラとしか人のいない食堂で軽く夕食を摂った後、エリカは疲れ果てて眠ってしまった。


 その翌日


「……そっか。やっぱりあの家、没落してなかったんだね。しっぶといなぁ」

「ん、えっと、没落寸前まではいったみたいなんですけど……ほら、伯爵様も自慢してたように『よくできた息子』でしたから、結構色々やっちゃったらしいです」


『なぁ、今日の受付もすごかったよなー。なんなんだよ、ユークレストのあの人気ぶり。ちょっと顔がいいからって、あんだけ並ぶなんて異常だろ』

『あー、まぁあいつ魔性だから気をつけろよ?男女問わず誑し込んで、その人脈で実家の没落食い止めたとか逸話残ってんだからさ』

『マジか。それってあれだろ、自分の父親容赦なく蹴落として兄貴に継がせた挙句、ナントカいう侯爵家の後見取り付けて、しかもそこの娘を自分の義妹にしたとかって。ぜんっぜん意味わかんねーんだけど』

『グリューネ侯爵家だよ。ほら、王太子殿下の婚約者の生家。……たしかそこの娘って、今年から入学とか聞いたけどな……今日のあの列の中にいたりしてな!』


 調べようと意気込むまでもなく、男子寮では既に昼間のあの長蛇の列について噂されていた。

 ジェイドが昼間慌てていたのもその列の受付がテオドールであることを『聴いた』からで、ユリアもそのジェイドの態度からそれがテオドールではないかと半ば確信していた。

 だから彼がここの学園にいることはわかっていたし、ならば没落しそこねたのだろうというのも予測はできた、が……まさかよりにもよってグリューネ侯爵家の後見を受けていたとは。


「噂になってた『そこの娘』って……アレ、ですよね?」

「そうよ。だってこのままじゃ王族に取り入れないじゃない。だから『名前』を変えたのよ、アレは。……はぁ。旦那様にもらったこの調査報告書、早速役立っちゃったじゃないの」


 ユリアの手には、学園に出発する前にフェルディナンドから「餞別だ」と渡された書類の束。

 そこには、数年前から継続して彼がキールに調べさせている【グリューネ侯爵家調査報告】が時系列に添って書かれてあり、内容はと言えば…………。



 グリューネ侯爵は前妻を早くに事故で亡くした後、一人娘のエルシアを守ってやるべく親戚筋の強い勧めに従って、後妻をもらった。

 後妻に入った女は派手好きで多少浪費癖が目につくものの社交が得意であり、エルシアを立派な淑女に育ててくれるだろうと侯爵は安心して仕事に専念し始めた、のだが勿論そう上手くいくはずもない。

 後妻は最初こそエルシアに優しくしてやっていたようだが、しばらくして侯爵の子を身籠ると途端に前妻の子を虐げるようになっていった。

 新しいドレスも、装飾品も、全て自分の血を分けた娘のため。

 エルシアには侯爵に怪しまれない程度に、最低限必要なものだけを買い与えていた。


 フィオーラは我儘に育ち、そんな彼女より10歳年上の姉エルシアは年々前妻に似て慎ましやかで大人しい、そんな少女へと育っていった。


 変化が訪れたのは、エルシアが学園に通い始めて間もなく。

 休暇ごとに家に帰ってきていたエルシアが、ある日を境に急に帰って来なくなったことで当初後妻もその娘も喜んだ、のだが……次第に後妻は、どうして帰ってこないのかと疑心暗鬼に囚われ始めた。

 もしかして、学園で知り合った誰かに己が虐げられていることを告白したのではないか。

 否、あの子はそんな身内の恥を晒すような度胸はないはずだ。

 だけどそれなら、どうして帰ってこない?

 長期休暇中、学園は閉鎖状態となるためどこかへ滞在しているのは間違いないはずなのに。

 そんな長期滞在できるだけのお金なんて、仕送りしていないはずなのに。


 不安に苛まれた彼女は、第二妃を頼った。

 後妻である彼女と第二妃は同じ家柄の出身だ、ただし本家と分家という違いはあるが。

 前妻の娘が何をしでかすかわからない、もしかすると自分やその可愛い娘に危害を加えようとしてくるかもしれない、そう訴える彼女に第二妃はそれじゃあ後ろ盾をあげましょうと囁いた。

 第二妃の息子である第三王子ルーファス、その婚約者候補筆頭にフィオーラの名を連ねたのだ。

 そうすることで、フィオーラに危害を加えれば回り回って王家への不敬にも繋がる、と示したかったらしい。


 なのに、思い通りにはいかなかった。

 よりにもよって第一王子が、エルシアを婚約者として選んでしまったのだ。

 本来なら実家であるグリューネ侯爵家に一言挨拶があって然るべきところを当のグリューネ侯爵に()()知らせるに止め、その妻である彼女は披露パーティの席でそれを知らされるという屈辱を味わわされた。

 加えて、同じ家から二人同時に王家へ嫁ぐことはできないからと、フィオーラの婚約の話までなかったことにされて。



「で、ちょうどいい具合に没落しかかった伯爵家からヘルプ……助けを求められた。そこで彼女はこう言ったってわけね。『後見してあげるから、うちの娘を養子入りさせてちょうだい。これなら、王家にまた近づけるわ』って」

「実際はどうなんでしょうか?いくら養子入りして名前が変わったところで、同じ血筋を王家に入れるのは危険なんじゃ……」

「ま、それは王家サイドが決めることで、うちは関係ないでしょ。今回はさ、アレの方が絡んでこなきゃ問題ないわけだし」

「ねー、その【アレ】ってなんですー?」

「は?なに言ってんのよ、アレって言ったらあの性悪金髪娘のことに決まっ…………ウ、ウウウウウウィリアム!?」


 振り向いたそこには、にっこりと天使のごとき微笑みを浮かべる小さな使い魔。

 彼がここにいる、ということはつまり。


「…………どこから聞いてたのかな……?」

「んーっとですね。『あの家没落してなかったんだね』のあたりからですー」

「って、最初っからってことじゃないのおおおおっ!」

「あははっ。ちなみにー、ここでの会話はぜぇんぶマスターに筒抜けですよお?」

「やっぱりいいいい…………ぐすん、エリカごめんねぇぇ」


 内緒にするつもりはなかったんだよ、と涙ながらに5才児姿の使い魔へ訴えかえける13歳のお元気系少女。

 そんな混沌とした現状に、ジェイドは「はぁ」と困ったようなため息をひとつ吐き出した。





「……まぁ、全員落ち着いて。ここなら誰かに聞かれる心配もないから、存分に話し合うといい」


 ごめんねごめんねと謝り通しのユリア、すっかりしょげかえってしまったジェイド、困惑と不安の入り混じった表情のエリカに、一人楽しそうな使い魔ウィリアム。

 事情を話そうにもジェイドは女子寮へは入れないし、外にある施設では誰に聞かれるかわからない。

 あのまま人気のない公園で話していても良かったが、いつ誰が来るかわからないのではこれ以上詳しい話ができないとあって、エリカは兄を頼ってみることにした。


 今はまだ入学式前、上級生達にとっても始業式前の自由時間のはずだ。

 兄ならきっと研究三昧なのではないかと通信具で連絡してみると、案の定『研究室にいるからおいで』とあっさり許可をもらうことができた。


 というわけで今、先に部屋に帰したウィリアムを除く三人は揃ってラスティネルの個人研究室にいる。


「……あ、あのお兄様……」

「うん?」

「…………いい加減、その、頭を撫でるのをやめていただけたら、と」

「あぁ、いいんだ放っておいてくれ。これは僕の癒やしだから。譲れないから」


 13歳になった妹の頭を、18歳の兄がぴったり寄り添って撫で続けている、というなんとも微笑ましいような若干変態臭いような状況ではあるが。



 そんな光景など見慣れたものである側付き二人は、ラスティネルの存在を綺麗にスルーしてまずはエリカに正式に謝罪した。

 曰く、学園に入学したばかりで突然テオドールやフィオーラといった関係者の名前を出したくなかった、不快にさせたくなかった一心だったのだ、と。

 その上で、もう一度きちんと手元の情報を彼女に伝えた。

 ジェイドは男子寮で拾ってきた、テオドールについての噂話を。

 ユリアは出掛けにフェルディナンドにもらった、グリューネ家に関する調査報告内容を。


「つまり今のフィオーラは【グリューネ】ではなく【ユークレスト】ということなのね。そしてテオドールとは義兄妹……」

「でもさ、エリカ。テオドールのフラグはちゃんと折ってるし、あっちから関わってくることなんてないと思うよ?」

「はぁ。そんなわけないだろう?」


 先程のジェイドのようなため息をつきつつ、ようやく妹の頭から手を離したラスティネルは、「いいかい?」とユリアが忘れている決定的な事実を突きつけた。


「テオドールという諸悪の根源が、どうしてグリューネ侯爵家に接触を図ったと思ってる?もとはと言えば、ユークレスト伯爵家が没落しかかったからだろう?じゃあ何故没落しかかった?…………勢いのある某公爵家に逆らったから、じゃなかったかな?」

「……あ!」


 ローゼンリヒト公爵家に、言いがかりをつけて怒鳴り込んだ礼儀知らずのユークレスト伯爵家。

 断然上位にある家の当主に対して先触れもないままに怒鳴り込み、感情のままに食って掛かり、貶められた、辱められたと憤り、公爵のたった一言で追い返された上出入り禁止・取引停止・付き合い断絶と言い渡されたかの伯爵家は、品位と良識ある貴族達から爪弾きにされ、社交界でも笑い者にされ、他の取引相手からも軽んじられるようになり、徐々に落ちぶれていったという。

 それを立て直したのがまだ幼かった三男だそうだが、それでもそんな苦労を強いられる原因となったローゼンリヒト公爵家のことは、当然恨んでいるに違いない。


「それはでも、自業自得では?」

「その通り。だけど個人的な恨みは誰にも止められないだろう?願わくば、義妹であるフィオーラ嬢までうちを恨んでなければいいんだが」


『過去』では、フィオーラとテオドールは愛し合っていた。

 しかし今は義理とはいえ兄妹同士……そこに愛情があるのかどうかまではわからないが、やはりフィオーラを警戒するに越したことはなさそうだ。




『ちょっとだけ個人的な頼みがあるんだ。ユリアだけ残ってくれるかな?』


 そう言われて、エリカとジェイドは部屋の前で待つことになった。

 いつもなら「はい、喜んで!」とどこかの居酒屋のような応対をするユリアだが、今は表情を固くしてラスティネルの『頼み』を待ち受けている。


「……その顔だと、僕の頼み事はわかっているようだが」

「そう、ですね。……やはり、接触して来るでしょうか?」

「ああ。アレは魔性だと聞くから、きっと様々な手を使ってエリカと接触を図ろうとするはずだ。悪評、嫌がらせ、個人攻撃、この程度で済めばいいが……誘拐、暴行、辱めにまで及ぶ危険性は高い。ジェイドにもよく言っておくが、寮の中ではユリアが頼りだ。いいかい、悪意を持った者は誰であっても近づけるな。君のその、直感力に期待している」

「わかりました。精一杯やってみます」


 エリカとはまた違った意味で整ったその幼さの残る顔、今そこには普段の底抜けな明るさも弾けるような笑顔もない ──── まるで強敵に挑む前の騎士のような、決意に満ちた何かがあった。




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