25.貴族令息の結婚事情【閑話】
閑話です。
エリカは1回休みで、リシャールサイドのゆるい日常を。
「……あぁ、早く家に帰りたい」
昼食の席について早々、心底憂鬱そうにそう呟いた友人を見つめる4対の瞳。
彼らは特に驚きもせず、だからといって呆れもせず、大袈裟に嘆いている伯爵家の嫡男に時折視線を向けながら、至極淡々とフォークやスプーンを口に運んでいる。
しばらくそんな状態が続いた後、伯爵家嫡男ユリウス・リードは「理由くらい聞いてくれよ!」とようやく顔を上げた。
「って言ってもなぁ……クリス?」
「そうだね。お前、昨日もそんな感じだったし。いい加減聞くまでもないっていうか、聞く気も失せるというか。ねぇ、サフィル」
「そうですね……昨日はその長話にお付き合いして見事に昼食を食べ損ねましたので。午後からは卒業式の打ち合わせですから、しっかり食べておかないとですよ。そうですよね、リシャール様」
「……ユーリ、ひとまず食べてからにしろ」
「…………みんな、冷たい……食べるけど」
アマティ侯爵家嫡男ダニエル。
リード伯爵家嫡男ユリウス。
セオボルト子爵家嫡男クリス。
ノーラ男爵家嫡男サフィル。
その四人にスタインウェイ公爵家のリシャールを加えた五人は、この国立ヴィラージュ総合学園のそれぞれの専攻においてトップの座についている。
そのため卒業式ではそれぞれの専攻の代表として挨拶を予定しており、毎日打ち合わせや他の生徒の取りまとめなどに忙しい。
更に、偶然ではあるが貴族階級の【公・侯・伯・子・男】が揃っているとあって、生徒の中には彼らを【貴族階級の縮図】と称する者までいた。
「ユーリの『家に帰りたい』病はなにも昨日今日に始まったことじゃないしな。どうせあれだろ、可愛い嫁さんに会いたいからとか惚気る気だろ?」
「わかってくれるか、ダニエル!そうなんだよ、うちの奥さんってばさ」
「俺は婚約者すらいないが……そうか、そんな俺に惚気けたいなら好きにしろ」
「………………スイマセンデシタ」
実際口を開けばいつもこんな感じでふざけあってばかりなのだが。
ダニエルは侯爵家の嫡男だが、幼い頃から患っている病があるため婚約者は未だいない。
ユリウスはちょっと特殊な例だが、幼い頃から決まっていた婚約者とは話し合いの末円満に解消し、今はこの学園で出会った子爵家令嬢に猛攻した挙句念願かなって新婚ホヤホヤ、という状態だ。
故に毎日のように「帰りたい」「奥さんに会いたい」と愚痴を零し続けている。
クリスの場合は普通の貴族と同様、良好な関係の婚約者がいて卒業後しばらくしてから婚姻することになっているし、男爵家のサフィルは好きにしていいと親から放任されているため、勤め始めてからでもまぁいいかとのんびり構えているらしい。
最後のリシャールだが…………今はまだ公にはできない、だがこの面々にだけはこっそり明かしてある婚約者がいる。
「そういえばダニエル、昨日少し具合が悪そうだったけど大丈夫?」
とクリスが指摘すると、ダニエルは苦笑しつつ「今は平気だ」と軽く手を振って見せる。
「昨日はちょっと忙しくて、な……力を使う暇が中々なかったんだよ。いつもなら適当に魔力垂れ流してるんだが、さすがに学園長との打ち合わせでそれやったらまずいだろ?だから終わってから訓練場に行って発散してきた」
「発散できたんならいいけどさ。もし辛いならすぐに言ってよ?研究棟から魔石ごっそり持ってくるから」
「それが目的かよ。……まぁ、魔力補充くらいなら後でやっといてやる」
「やった!」
ダニエルの病は、魔力飽和という生まれつき膨大な魔力を持ちながら、それを外に出力するための出口が小さいため体内で悪さしてしまう、という希少なものだ。
エリカもこの病だったが、彼女は重篤な部類であったにも関わらず偶然に偶然が重なって、今はすっかり完治してしまっている。
ダニエルの場合はエリカに比べてかなり軽度で、魔術も普通に使えるし魔力を意図して放出することもできる。
ある程度放っておくと体調不良で寝込んでしまうので、彼は非常時以外は常に微少な魔力を垂れ流しており、それでも追いつかない場合はクリスの言うように研究棟の空っぽの魔石に魔力を注ぎ込むか、訓練場である程度大きな術を使うかして発散しているようだ。
「病気といえば、リシャール。お前の研究、あとちょっとで完成ってとこまで行ってたよな?もう終わりそうなのか?」
「まぁ、概ね。魔力の日常的な放出で支障がないなら、それを魔術具で補ってやればいい。幸い、ここにいい被験体がいるからな」
「俺かよ。お前の婚約者も確かそうだったろ?」
「…………彼女は完治している」
「何度聞いても信じらんねぇな、それ。まさに、奇跡だ」
魔力飽和は不治の病……そう呼ばれるのは、他の病と違って『体内の魔力』が原因であるため薬などが使えず、体内の魔力を放出するだけでいいとわかっているのに、魔力の出口が小さいためそれも容易にできない。
魔力の出口を強制的に広げる術は今のところなく、それ故この病にかかった者はその命尽きるまで病と付き合っていかねばならない……そう、言われてきたというのに、だ。
ローゼンリヒト公爵家の末娘は重篤な魔力飽和の病持ち、だがまだ魔力を満足に扱えない5歳の少女がこの病を完治させた ──── その事実は、数少ないとはいえこの病を患っている者達に小さな希望を与えた。
もしかしたら自分達もなんとかなるかもしれない、諦めるにはまだ早いのではないか、と。
(婚約者……もう長い間会えていないが、彼女ももう9歳か……)
エリカ・ローゼンリヒト……ローゼンリヒト公爵の溺愛甚だしいと言われる末娘。
彼は自分と同様子供達にも恋愛結婚を推奨しており、だからこそそんな彼に政略的な婚約関係を持ちかけたあの時は、実は内心かなり戦々恐々としていた。
フェルディナンドの色はエリカに関する話になった途端炎のように燃え上がり、次いで静かなる青き炎へと変化し、そして怒りの真紅へと染まった。
逆鱗に触れた、という自覚はある……だがどうしても……その契約を成立させなければならなかったのだ。
側妃という身分でいる以上自由を得られない母と、能力を認めさせられない自分。
そしてあの日偶然垣間見た、切なくなるような色を纏った少女……彼女の色に惹かれた、己の心のために。
「リシャール様?」
急に手を止めて何か考え込んでしまったリシャールを不審に思い、サフィルが首を傾げつつ手をひらひらと目の前で振る。
それでも反応がない彼に他の三人も心配そうな視線を向けたところで、リシャールがようやく口を開いた。
「 ──────── なぁ……結婚とは、そんなにいいものなのか?」
「ぶふぉっ!?」
「げほ、っ」
「はぁっ!?」
「な、おま、」
ユリウスが飲みかけの紅茶を吹き出し、
サフィルがケーキを喉に詰まらせかけ、
クリスが素っ頓狂な声を上げ、
ダニエルが目を白黒させ、
四人四様の……しかしどれも似たり寄ったりの反応を返し、元第二王子という身分ながら『友人』として付き合っている相手を見つめる。
その視線はどれも異口同音にこう語っている。
『これまで恋愛話に興味のかけらも持ってなかったくせに、いきなり何言っちゃってんの、こいつ』
「えぇっとー…………リシャール様の中で今なにがあったのかはわかんないけどさ……まぁ、結婚はいいもんだよ?って言っても俺の場合恋愛結婚だし、政略的なものがどうかは言えないけどさ」
いち早く立ち直ったのは打たれ強いユリウス。
彼はこの中で唯一の既婚者であり、いつもいつもいつも皆が呆れるほどに新妻のろけ話を語り続けている。
そのため、いつもはムードメーカー的な彼が今回ばかりは話をリードする必要があった。
そう判断した他の三人は既に、聞き役ですという顔で口をつぐんでいる。
「家に帰ると奥さんがいて、家を出る時も見送ってもらえる。ほら、俺さ……あんまり家族仲良くないし。だからこういうの、憧れてたんだよね」
「…………もっと具体的に」
「えぇー?具体的にって……うーん、うちの奥さん自慢は普段から散々してたと思うけど……例えば」
家に帰ると『おかえりなさい旦那様』と笑顔で出迎えてくれる。
食事の時は時折視線が交わって、そのたびににっこりと微笑んでもらえる。
家を出る時は『いってらっしゃいませ。お帰りをお待ちしておりますね』と見送ってもらえる。
「その他にも色々あるけどさ……基本的にお風呂も一緒、寝るのも一緒だから」
「いや、風呂はどうだよ」
「ん、別に問題なくない?いつもいじらしく遠慮してくるところがまた、可愛いんだけどね」
「……それ、多分本気で鬱陶しがってるんだと……いえ、なんでも」
「いいの!とにかくうちの奥さんは可愛い!可愛いは正義!これに尽きる」
「わかった。その後半部分だけは同意してやろう。だからもう黙れ」
結局いつもの妻自慢になってしまったことで、ダニエルがやれやれと言いたげにそれを止める。
とにかく今はユリウスの自慢話よりも、様子のおかしいリシャールの話を聞くべきだ。
……というより、聞かなければ自分達が落ち着かない。
「……参考になったかどうかはわかりかねますが、リシャール様はどう思われましたか?」
「…………よく、わからない」
「でしょうねぇ……」
リシャールの婚約者エリカはまだ8歳……そろそろ9歳になった頃か。
しかも現在とある事情があってリシャールはその婚約者に会えない状態で、卒業式が終わった後改めて婚約関係について両家揃って協議するという。
あぁなるほど、とこれまでの経緯を大まかに思い出したサフィルは、そこでようやく納得がいった。
この婚約は、リシャールのゴリ押しという形で成立したのだが、それをややこしくしたのは他ならぬ彼の母である。
彼女がまだ幼い息子の婚約者を試すような真似をしなければ、さほど問題もないままにいずれは婚姻となっただろうに。
そのことがあって、娘溺愛のあのローゼンリヒト公爵が『冷却期間を置いた後、話し合いを』とやんわり牽制してきた。
今はスタインウェイ公爵夫妻も冷静になり、いずれくる可愛い嫁のためにと邸の改築に取り組んでいるらしい、のだが……そんなことくらいで、ローゼンリヒト公のご機嫌が取れるとは思えない。
きっとその話し合いは難航するに違いなく、最初から最後までほぼローゼンリヒト公のワンサイドゲームということになるだろう。
「リシャール様は悩んでおられるのですね。かのローゼンリヒト公との関係性に」
「あぁ、そういうことか。……公のお子様溺愛は有名だからな……特に俺と同じ病を患っていた末娘への溺愛はかなりのものだと言うし。同じ公爵家とはいえ、いずれ嫁に出すための話し合いとなればゴネるだろうなぁ」
「嫁に、出す……」
「そのお嬢さんがまだ一人娘、もしくはご子息がおられないというのならまだ、婿入りという選択肢もあったんだけどね」
「婿入り……」
そうか、とリシャールは考えた。
フェルディナンドとて阿呆ではない、可愛い可愛いと溺愛しているとはいえ高位貴族の娘だ、いずれはしかるべきところに嫁入りさせることくらい考えていただろう。
だが一度彼の信頼を失ってしまったスタインウェイ公爵家としては、どうやったら汚名返上できるのか……そのことばかりを考えてきた。
彼の中に、端から婚約解消などといった選択肢はない。
結婚とはいいものかと問いかけたのも、すれ違い続けてようやく結ばれた両親や、亡くなった妻をずっと想い続けているフェルディナンドと、自分達の将来が重ねて見られなかったからだ。
上手くやっていけるだろうとは思う。しかし、結婚というのは当然当人同士だけの問題ではないのだ。
(婿入りか……確かに、嫁に出すよりは公の心象もいいだろうが……あちらには嫡男がいるからな)
ラスティネルにはそれこそ物心ついた頃から領主教育が施されていたという。
そんな彼は当然本家の跡継ぎとして、いずれ領主になるべく心構えをしているのだろうし、そこに割って入るのはやはり心象がよくない。
(いや、割って入らずとも方法はある、か?)
だがその方法を取るには、まず『可愛い嫁を』と浮かれきっている両親の説得をする必要がある。
それに関してはさして問題にもならないだろうが……さて、当のフェルディナンドはこの提案に頷いてくれるか否か。
「ダニエル、午後の打ち合わせは任せて大丈夫か?」
「は?いやいやいや、何言ってんの?お前がいなくて、誰が魔術具クラスの後輩ども纏めるんだよ」
「お前に全権を託す」
「いやだから待てって。どうしたいきなり。どこ行くんだよ?」
立ち上がった彼は何かを決意したようなすっきりとした顔をしていて ──── それだけで、ここの皆にはわかった。
彼は何かをやらかす気だ、と。
「家に戻ってくる。明日には戻るから心配するな」




