24.お兄様の、魔力操作講座
ちょっとだけ時間をちょうだい、とエリカは即答を避けた。
使い魔を作ることは、エリカにとって必要なこと。
その器を作るのはもう何でもありの正体不明の青年キール、そしてその器に力を注ぎこむのは光の精霊王ルクレツィア。
その使い魔との繋がりを持つためにエリカが光の魔術を使い、そして強すぎるその光を中和するために闇の魔術も注がねばならない。
そして、その緻密なコントロールが必要な闇の属性持ちであるリシャールが、器作りの協力者最有力候補となっている。
の、だが。
8歳の誕生日を迎える前、エリカは体調を崩して倒れた。
相手に悪気がなかったとはいえ幼い公爵令嬢に対してしでかしたことが問題となり、しばらくスタインウェイ公爵家関係者全てローゼンリヒト領への出入り禁止、という沙汰が下された。
そのため、当然嫡子であるリシャールも出入り禁止となっている。
むしろ、彼とエリカの間に距離を置かせることがフェルディナンドの目的だった……このまま義務的な関係になってしまわないように、互いに冷却期間を置いたほうがいいのだ、と。
そんな冷却期間は、リシャールが卒業するまで。
『落ち人』のもたらした教育体制を参考にしたという国立ヴィラージュ総合学園の卒業は春……もう間もなくだ。
その時、改めてこの婚約関係をどうするのか、両家交えて話し合われることになる。
その場には元黒騎士団長であるフェルディナンドだけでなく、精霊の声が聞こえる兄ラスティネルも同席することから、決して嘘や偽り、表面上だけの建前などが通用しない本音での話し合いとなるだろう。
エリカの気持ちは決まっている。
だがリシャールの気持ちがわからない。
だから、彼女はせめてこの婚約関係がどうなるか確定してから使い魔をどうするか決めたいと、渋るルクレツィアやキールを説き伏せた。
そしてその前に、彼女にはひとつやることがあった。
実際にもし器作りに協力するのなら、光の魔術を使えるようになっておかないといけない。
が、魔術の実技が始まったとはいえまだ属性魔術を使わせてもらえず、魔力を放出するというレベルのところで彼女は足踏みしてしまっていた。
要するに、どうやって魔力を放出したらいいかわからない……ということなのだ。
「僕、ですか?……えぇと、僕の場合手のひらからこう……するっと流れ出す感じ、です」
「流れ出す……?」
「はい。水が出てくる通り道、といいますか、それが手のひらにある感じで。……すみません、わかりにくいですよね?」
「わからないけれど、それはジェイドの所為ではないから。謝らないで」
魔力が体内を巡っている、という感覚だけはわかる。
ただそれを掴もうとしたり引き寄せようとしたり、ジェイドのようにするっと流れ出すイメージをしたり、何かしら手を加えようとするとそこで行き詰ってしまうのだ。
ユリアは魔力がないから聞いても無駄、メイドの中で魔術を使える者に聞いても「さあ……感覚的に使っておりますので」と言われてしまい、これも参考にならなかった。
仕方なくエリカは、夕飯の時間を待って父に問いかけてみることにした。
「そうだな……私は火の属性しか使えないから、炎をイメージするんだ。そしてそれを手の方へ動かし、剣に流し込むようにすると発動する、そんな感覚だったね。小さな炎を灯す程度なら、意識せずともできてしまうし」
「…………わかりました。もういいです」
心底がっかりした、そんな言葉が聞こえてきそうなほどしょんぼり項垂れた娘に、その娘が可愛くて仕方がない父親は大いに慌てた。
「え、エリカ?その、ナムルの教え方が合わないのなら違う教師を探そうか?今度はきちんとした魔術師に頼もう、そうしよう」
「……お父様」
「なんだい?」
「本当にもういいです。それと、ナムルは変えないであげてください」
「…………そうか」
何故か失望したエリカよりも、失望させてしまったらしいフェルディナンドの方ががっくりと肩を落としてしまった。
「エリカ、父上が嘆いていたよ。娘の悩みを解決してあげられない不甲斐ない父親だって」
「お兄様、いつお戻りに?」
「ああ、ついさっきね」
というか、父上の話は聞き流すんだね。
と去年から国で唯一の専門的な学び舎であるヴィラージュ総合学園に通い始めた兄ラスティネルは、苦笑いと共に妹の隣に腰掛けた。
ヴィラージュ総合学園の入学が認められるのは13歳から。
在籍は特に何年とは決められておらず、それぞれが専攻した分野で学びたいことをとことん学ぶもよし、ある程度スキルがついたところで就職するもよし、学園を卒業したという肩書きだけを引っ提げて実家に戻るもよし、という学生一人ひとりの自主性に任せた特殊な教育方針を掲げている。
入学するのに必要なのは入学試験に通過するだけの知識と技能、そして必要最低限の学費や生活費くらいだ。故に、ある程度裕福であれば平民であっても通うことができるし、逆に目立った技能を身につけていない者であるなら貴族であっても入学を断られてしまう。
伊達に『国立』という名を掲げてはいない、ということだろう。
ラスティネルはこの学園に、治癒属性の保持者として入学した。
そこの魔術科に在籍しつつ、彼は治癒魔術の使い手以上に数の少ない魔術医師の繁忙さを助けるためにと、様々な補助術具などの研究に携わるつもりであるらしい。
普段は学園の寮で生活をしている彼が、突然邸に帰ってきた。
ということは、つまり。
「もしかしてお兄様……学園の卒業式って、もう?」
「うん、昨日終わったばかりだよ。僕らはその後も夕方まで授業があったけど、卒業生の中には式が終わってすぐ家に帰った人もいたみたいだ」
「そう、ですか」
気になってはいるが、エリカはあえてリシャールのことは聞かなかった。
ラスティネルもまた、わかっているだろうにあえてその名前は出さないでいる。
「それで?この明るい庭先で何を難しい顔をしてるのかな、うちのお姫様は」
わざとおどけたようにそう問いかけたラスティネルに、エリカは魔力が流れている感覚だけはあるがそれを取り出そうとしてもできないこと、他の者に話を聞いてもさっぱり要領を得ないことなどを話した。
話すうちに段々と自身も難しい顔になっていったラスティネルは、最後まで話し終わった妹の髪を優しく撫でながら「参考になるかわからないけど」と考えながら話し出した。
「僕の場合も、そう皆と変わらない。魔力を放出すること自体はすぐにできたし、どうやってるのかって言われても説明は難しいかな」
ラスティネルは魔力そのものに特殊な属性の力を宿す、わりと希少な能力者の一人だ。
術を使う方法も、精霊に力を借りるのではなくごくごく単純に、自分の中の力を解き放つだけでいい。
「ただ気をつけなきゃいけないのは、『どの部位』に『どれだけ力を注ぐか』っていうことなんだ。それをしっかり意識していないと、ただ無駄に力を分散させてしまうことになる。属性魔術だってイメージが大事だろう?そのイメージを、僕の場合はもっと強く具体的に持たなきゃいけない。そうじゃないと患者さんの大丈夫なところにまで余計な損傷を与えてしまいかねないからだ。わかるかな?」
「はい、なんとなくですが」
「なんとなくで充分だよ、今はね」
(どれだけ力を注ぐか…………『注ぐ』?注ぐって、なんだかお水をコップに移すみたいな言い方だわ)
そういえば、とエリカは思い出した。
ジェイドは『するっと取り出す』のだと。
フェルディナンドは『炎を手の方へ動かし、剣に流し込む』のだと。
魔力が身体で常に生み出されているのなら、それを魔術として使うには身体から放出しなければならず、放出するには、出口が必要だ。
ジェイドはこうも言っていた。
『水が出てくる通り道、それが手のひらにある感じ』だと。
「魔力の、出口……」
「出口?……ああ、そうだ。そういえばこの前の授業でね、魔力飽和の病が何故起きるのか教わったよ。身の丈に合わないほど大きな魔力を内包する者が、上手く魔力を放出することができずに身体の中に溜め込んで起こるんだそうだ。つまり、出口が小さすぎて途中で詰まってしまうってことらしい」
「出口が、詰まる……」
そうか、そうだったんだと彼女は漸く気付いた。
彼女の持つ魔力があまりに多すぎた所為で、かつての自分は最下級の魔術すら使うことができずにいた。
出口が魔力量に対して小さすぎたため起こった悲劇、ということだ。
そして、今の彼女は魔力飽和の症状を全く発症していない。
それはつまり、以前はすぐ目詰まりを起こしていた出口が大きく広がったから。
加護の証によって、彼女の魔力の余剰分が精霊王へと渡されているからだ。
(加護の証を通じて、私と精霊王が繋がっているのだとしたら……もしかしたら)
できるかもしれない、とエリカは確信めいた何かを感じていた。
まだ確実とは言い切れないが、やってみる価値はある。
これまではただやみくもに魔力を外に出そうと必死だったが、出口を定めてしまえば後はそこに向かって魔力を流してやればいい。
「ありがとうございます、お兄様!やってみますわ」
「うん、何か掴めたようだね。それじゃ、ここで見ててあげるからやってごらん」
誰もいない庭の片隅。
本来ならジェイドかユリア、もしくは専属メイドの誰かが側についているのだが、一人でしばらく考え事がしたいからとエリカが人払いをしてあったため、幸いなことに今は兄とエリカの二人きりだ。
失敗しても、精霊の声が聞こえる彼なら大事になる前に止めてくれる。
(ここが、魔力の出口……ここを目印にすれば、魔力は外に出せる、はず)
鳥が羽を広げたような形の痣の場所を、目に焼き付ける。
そしてゆっくりと瞳を閉じ、体内の魔力を探りながら左の手首に向かって流れるように操作していくと、これまでは途中で霧散してしまっていた魔力がその流れを止めることなく痣へと向かって行くのがわかる。
それを放出してあげるべく、エリカは最下級の光の魔術を発動させるべく呪文を唱えようとした、のだが。
「……光よ」
口にできたのは、たったそれだけ。
それだけで、彼女の目の前にふわりと優しい光が灯る。
成功した、とエリカが目を開けると、そこには呆気に取られたかのような兄の顔。
「え、詠唱短縮……だって?…………ははっ、うちの妹はどれだけ規格外なんだ……凄い、凄すぎるよ、エリカ!この分だと、詠唱破棄を覚えるのも時間の問題だ。うちの妹が天才すぎて困る!」
困る、という割には至極嬉しそうに、ラスティネルはエリカを抱えてくるくると回り始めた。
「エリカ、エリカ、なんて素晴らしいんだ。愛らしい上に天才とかもう無敵すぎだろ、これ。もうあれだ、エリカはずっとうちにいればいいよ。他の欲深なやつらに知られて囲われるくらいなら、嫁になんて行かなくてもいい。僕と父上と、それから姉上で、君を守るから」
「え、あの、にいさま、」
「 ────── それは困るな」
え、と疑問に思う間もなくラスティネルの腕から違う誰かの腕へと奪われる。
正直くるくると回り通しで目がまわり始めていたエリカは、ようやく落ち着けたことでまずはホッと一息。
そしておもむろに、背後からぎゅっと抱えてくれている腕の主へと意識を戻して…………そして。
「…………リシャール、様」
数カ月ぶりとなる婚約者、リシャール。
少しだけ髪が伸び、少しだけ背が高くなったような気がする、今一番会いたくて……だけど会いたくなかったその人は、エリカを地面に下ろすとしゃがみこんで視線を合わせてくれた。
「随分と久しぶりだ、我が婚約者殿。約束通り、卒業したので真っ先に会いに来たのだが…………邪魔、だったか?」
最後の一言だけ、何故か地を這うように低い声だった。
その意味がわかったラスティネルは慌ててブンブンと頭を振り、意味がわからないまでも『邪魔ではない』と伝えたくて、エリカも緩々と首を横に振る。
「おかえりなさいませ。それと、お疲れ様でした、リシャール様」
「………………いいものだな」
「はい?」
「……新妻に出迎えてもらう、というのはこういう気持ちなのだろうか。早々に結婚した友人が惚気ける気持ちが、わかった気がする」
「…………」
「…………」
エリカはただ唖然と、そしてラスティネルは『なに言ってんだこいつ』という呆れの眼差しで、うんうんと一人納得している訪問者を見つめていた。
彼の訪問が、別棟にいるフェルディナンドに伝わるまであと少し。




