23.精霊達の語らい
「エリカ、今から僕とお出かけしようか」
いつものようにちょっと早い朝食を終わらせ、いつものように「いってらっしゃい、お父様」と父を仕事に送り出し、いつものようにテラスで食後のフルーツティーを飲んでいたところに、突然キールが声をかけてきた。
エリカが庭を見下ろすと、テラスの斜め下あたりでにこにこ笑いながら手を振っている黒髪の青年。
彼がこのローゼンリヒト家になんだかんだで居ついてもう四年が経つが、四年前に比べて彼は全く変わらない。
老けないとか年齢不詳だとかいうレベルではもはやなく、真夏の日差しの下にいても日焼けひとつしないし、髪型もずっとそのままだ ──── ちょっと伸びてきて鬱陶しいとか、切りすぎて短いとか、そういった姿を彼女は見たことがない。
とはいえ、彼は父フェルディナンドの客人……父からも、『学生時代からあのままなんだ』と聞いていたこともあって、彼女も『そういう人なのね』と自分を納得させていた。
「えぇと、キール?私、これから授業が……」
「うん、知ってる。だけど、これはエリカに必要なことなんだ。フェルの許可が必要なら取れるまで待つから、ね?」
こうなってしまった彼は決して譲らないということを、彼女は良く知っている。
(突拍子もないことを突然言ってきたりするけど、ちゃんと理由があるのよね。キールの場合)
なら仕方ないかと、エリカはマリエールに頼んで隣の敷地にある父の仕事場まで伝言を届けてもらった。
返事が来るまでの間エントランスで待ってるから、とキールは既に許可が下りることが当たり前のように告げて去って行き、その場に残された公爵令嬢と側付き二人は
「なんというか……嵐のような人、ですね」
「っていうかこの場合、あたし達って留守番の流れ?」
「えぇっ?でも、僕達は一応護衛ですし……」
「無理、だと思うわ。キールがああいう言い方をした時は、私だけに用事があるってことだもの」
「毎度毎度思うんだけど、それって護衛の意味ないよねぇ」
と言いながらも、何度か同じ状況に合ったことのあるユリアは半ば諦めモードで肩をすくめ、初めて遭遇するジェイドはいいんですか、大丈夫ですか、とオロオロしてばかり。
それに挟まれたエリカは
(必要なこと、って一体なんなのかしら……)
相変わらずその言動は全く読めないけれど、今日はいつになく強引で譲らない空気を醸し出していたキール。その理由がわからず、戸惑うしかなかった。
『無理をさせないこと。領内から出ないこと。日暮れまでには戻ること。以上三点を守れるのなら構わない、と旦那様からの言伝でございます』
「まったく、フェルはいつまで経っても過保護だなぁ。デレッテレに甘やかして守ってやるだけじゃ子供の成長にはよくないんだけどね。……エリカもそう思わない?」
「え?えぇっと……そう、なのかしら?」
「エリカもさぁ、最近やっと色々主張できるようになったみたいだけど、もっと毅然としてていいと思うよ。情け深くて遠慮がちっていうのも美徳かもしれないけどね…………そんなだと、どこかの悪い男や性悪な女に付け込まれるよ。そういうの、嫌だろう?」
その口調はまるで、『かつて』エリカが辛い思いをしたことを見てきたかのようで。
ハッと視線を上げた先、紫紺の双眸は真っ直ぐエリカを見ているようで、何かを重ねているようにも見えた。
「…………キール……もしかして知ってるの?」
「さぁて、なんのことかな?」
すいっと逸らされた瞳は、どこか遠く…………重なる木々の向こうにあるだろう王都の方へと向けられているように、エリカには感じられた。
特別庭園までは歩き、そこから辻馬車を拾って連れて来られたのは、四年前のあの日エリカの運命を変えたあの光の森の中。
そこから、全てが始まった。
かつての時と同じように世話係のメイドによって崖から突き落とされた5歳の少女、そこに過去の凄惨な記憶が甦ったことで彼女は生きる気力を取り戻し、そうして幸運にも光の精霊王の加護を得たことで、不治の病だと言われている魔力飽和の病を完治させることができた。
家族の優しさに、甘えっぱなしだった自分。
甘やかされるままに悲劇のヒロインを気取り、自滅した愚かな自分。
そんな自分にはもう戻らない、同じ失敗は繰り返さない、そうやって少しずつ乗り越えてきた。
だけど、まだ甘いと言われているようで、彼女はそっと唇を噛んだ。
「……君に足りないのは、自信だけだと思う。だからね ──── 」
『やれやれ。まだ終わらぬのか、その三文芝居は。いい加減妾も待ちくたびれたぞ』
「あのさぁ、精霊姫。今いいとこだったんだから、もうちょっと待ってられなかった?貴方があまりに煩いから、仕方なく過保護なフェルに許可とってまでこうして連れてきてあげたっていうのに」
『やかましいわ。しばしすっこんでおれ』
エリカの運命が替わったあの大岩の上、まばゆい光と共に姿を表したのは豪奢な金の髪に同色の瞳、純白のドレスを身にまとった最も高貴なる存在……光の精霊王にして【黄金の精霊姫】ルクレツィア。
二度目とあってエリカもさすがにパニックにはならなかったが、あまりの唐突な出現に驚きと焦りと少しの恐れの入り混じった表情で、それでもどうにか形になったばかりの淑女の礼をとる。
『……ふうむ?』
「お久しゅうございます、精霊姫様。改めまして、わたくしはローゼンリヒト公爵の末子、エリカと申します。その節はご加護を授けていただき、心より感謝致しております」
『よいよい、ヒトの決めた堅苦しい挨拶は苦手じゃ。しかし……エリカ』
音もなく近づいた彼女は、未だ礼の姿勢のままのエリカの顎を指先でくいっと持ち上げ、顔を上げさせる。
そうしてまじまじと顔を見つめた後、満足げに『うむ』と頷いた。
『なるほど、変われば変わるもんじゃのう。あの蛆虫のような子供が、まさかほんの瞬き一つの間に蝶に化けるとは』
「ちょっと精霊姫、その言い方は」
『お主は黙っておれ、半端者。そもそも、何故お主ばかりが妾の愛し子と行動を共にしておるのだ。妾は、いつ呼ばれるかと愉しみにしておったのに』
「え、なにそれ八つ当たり?だって精霊姫は人前に顔を出したがらないでしょ?」
『それは然り。だが加護を与えた以上、力添えを求められれは応えようて』
「……あぁ、そういうことか」
ぽんぽんと軽快に交わされる会話に、エリカはついていけず礼も忘れて唖然とするしかない。
どうして精霊王である存在とキールが対等に話せるのか、『半端者』とはどういう意味か、答えの出ない問いの中でひとつだけわかったことがある。
(つまり精霊姫様は……私が魔術を使わなかったから、退屈なさっていたのね……)
とはいえエリカはつい最近ようやく魔術の実技講習を受け始めたばかり、今は魔力のコントロール方法を学んでいるところなので、属性魔術を実際に使い始めるまでにはまだ時間がかかりそうだ。
……と、正攻法で説明したところでわかってもらえるはずもないのだが。
『エリカはもっと毅然としてていいと思うよ』
(そうね、わかってもらえないと諦めるのはまだ早いわ)
彼女は、表情を引き締めて「あの」と二人の会話に割って入った。
「わたくしは、つい先日ようやく魔術の実技を許されたばかりで、まだ属性魔術を使うことはできません。体が小さい分、もし魔力を暴走させてしまったらその反動が大きいから、ということのようです。ですから精霊姫様、もうしばらくだけお待ちいただくことはできませんか?」
言えた、とエリカはホッと息をつく。
結果はどうあれ言いたいことは大体言えた、後は精霊姫がこれをどう思うかというだけだ。
精霊は気まぐれなものだと聞く。
もしこの一言で彼女の気分を害してしまい、加護を取り上げられてしまったら……そしたらまた、あの醜いヒキガエルへと逆戻りしてしまうのだろうか。
また、『役立たず』と蔑まれる日々に戻るのだろうか。
自然、祈るような縋るような視線になってしまっていたのだろう、ルクレツィアは『必死じゃのう』とおかしげに目を細める。
『わかっておるよ、妾の愛し子。じゃから妾は、この半端者に…………本来なら頼み事をするのも不本意なのじゃが、仕方なく頼んでそなたをここへ連れてこさせたのじゃ。魔術を使わずとも、そなたの魔力を安定させてやるためにな』
「さて、ここで問題だよエリカ。【使い魔】って知ってる?」
「つかいま……」
【使い魔】とは、大きく分けて二種類の意味を持つ。
ひとつは、魔力を持つ生物を力ずくで己に従わせ、思うままに使役するもの。
この場合結ばれる契約は服従契約となり、主もしくは使い魔が死ぬまで契約が続行される、のだが……稀に、服従させられた使い魔が主を害して契約を破棄させるという事案も生じているため、この契約方法は公には禁じられているらしい。
もうひとつは、ある程度の高位精霊の力を借りる際にその媒体として用いられるもの。
この場合の器は主の魔力属性に適していればなんでも良く、術を行使する時は精霊の力を受け取って主に渡したり、ある程度自我のある者であれば主に替わって魔術を使うこともある。
そして、このタイプの使い魔のいいところはもう一つ。
魔力を受けて動く人形のようなものであるので、常に主の魔力を注いでもらわなければ動けない……つまり、エリカのように膨大な魔力を持つ者にとっては、己の持て余している魔力を適度に吸い上げて消費してくれる、それだけでなく体内に余分な魔力をためておくこともできる、そういう存在であるところだ。
エリカの答えに、キールはできの良い生徒を見るような目で「よくできました」と微笑んでくれ、ルクレツィアも『よく学んでおるの』とどこか嬉しそうだ。
「そういうわけでね、エリカ。使い魔を持ってみないかい?」
『妾と繋がった使い魔を持てば、術を行使せずとも必要であれば妾の力をそなたに貸してやれる。使い魔の目を通して、妾も外が見える……そしてそなたはその膨大な魔力を人並み……よりは多少多い程度に保てる、というわけじゃな。が、残念ながら妾は手先がそう器用ではなくての』
「だから、僕が器を作る。それに精霊姫が力を与えて意思を持たせる、ということでいいと思うんだ」
ただし、問題が一つ……とキールはピンと人差し指を立てた。
「僕の属性は『闇』、精霊姫の属性は『光』だ。本来、闇と光は相容れないってことはエリカもわかるよね?」
「え、えぇ」
「だから器を作る時に、ちょっと手間をかけないといけないんだ。まず、精霊姫と繋がるエリカには『光』の属性魔術を注いでもらう。だけどエリカの力は強すぎて僕の器を壊しかねないから、同時に闇の魔術を使って器を安定させてやらなきゃいけない、ってこと。これは、緻密な魔力コントロール能力が必須だね」
「それって……」
(ちょっと待って、それってもしかして……)
「ねぇキール、それってリシャール様の協力が必要ってこと?」
「まぁ、うん。彼に限定はしないけど、一番手っ取り早いのは彼だね」
「そうやって生まれた使い魔って、その後はずっと光の力だけで姿は保つの?」
「基本的には大丈夫なように作るよ。でも力を使いすぎるとか、生命力を極限まで削られるとか、そういった場合は闇の力が必要になるだろうね。まぁ、僕がいればやるけどさ」
もしキールがいない場合はリシャールに頼むしかなくなる。
現状、緻密な魔力コントロールができる闇属性使いは、リシャールくらいしか知らないからだ。
今後学園に入学するなり魔術研究所に顔を出すなりして知り合いが増えればまた別だろうが、彼との婚約関係を維持している今の段階では、リシャールを頼るのが一番早い方法だろう。
(リシャール様を頼る…………)
魔術に関することなのだから、彼はきっと喜んで手を貸してくれる。
むしろ、光の精霊の力を宿しながらも器は闇の魔術でできているという使い魔に、酷く興味を持つかもしれない。
だとしても。
その力のためだけに、エリカの側にいるという決断を ──── 彼なら本気で下しかねない。
優しくしてくれるだろう、頼れば応えてくれるだろう、だけど、そんな関係は哀しいだけだと彼女は目を伏せた。




