16.パーティーは不穏と共に
「もうやめてフィオーラ、か…………彼女はフィオーラ嬢と面識が?」
「いえ。私が知る限りでは全く」
フィオーラ・グリューネ侯爵令嬢、現在6歳。
豪奢な金の巻き毛に新緑色の双眸を持つその娘は、第二妃の実家という大きな後ろ盾を生まれながらにして持ち、しかも5歳の時に計測した魔力は高位貴族標準を大きく上回っていたらしい。
更に属性は『風』と『光』の二属性に適性があり、既に専属の教師について学び始めているとのことだ。
彼女こそ、第三王子の婚約者候補筆頭である。
「しかし私がグリューネと口に出した途端怯え始めて………………いや、よそう。あの時彼女は、心底絶望していた。あの色をもう一度見るのは私とて辛い」
「殿下……」
「本当なら目が覚めるまで付き添いっていたいが、今は兄上の披露の準備が優先だ。すまない、だがまた来る」
お待ちしています、とフェルディナンドはそう答えるしかなかった。
エリカが突然パニックに陥った、どうしたらいいかわからない、そう告げた時の彼は傷ついた少年のような顔をしていたのだから。
出て行きかけて、彼は「あぁそうだ」と肩越しに振り返る。
「あの黒髪の青年だが…………彼は精霊かなにかか?」
「…………は?」
「いや、以前一度だけ加護持ちに頼んで高位精霊と対面したことがあるのだが、精霊は『色』を纏ってはいないのだ。そして、先程見た彼も同じく。……人に擬態しているという例は聞いたことがないから、ありえぬ話だとは思ったが」
「精霊とは、また突拍子もないことを。あれは私の旧友で、一応人のカテゴリに入る者ですが」
本当に?外見年齢が全く変わらず、しかも高位精霊と知り合いのような口ぶりだったのに?
冷静な己がそう問いかけてくるのを意識しつつ、フェルディナンドはそんなはずはないと頭を振ってそれを否定した。
エリカが目を覚ましたのは、それから丸一日経ってからだった。
夜通し交替で涙や汗を拭き続けていたレイラとマリエールには泣き出され、事情を聞いて様子を見に来たユリアには跳びつかれ、フェルディナンドに知らせに走ってから部屋に来たラスティネルには頭を撫でられる。
そして慌てて駆けつけたフェルディナンドに抱き込まれ、ぐしゃぐしゃに頭を撫で回され、泣かれてしまった。
『大丈夫、大丈夫だよ』
意識を失っている間中ずっと、キールの声が聞こえていた。
穏やかで、優しくて、静かな声 ────── まるで、彼女を包み込む闇のような。
母親の胎内で守られているような、絶対的な安心感。
初めて会った時からそうだった、キール・ヴァイスと名乗った彼はすべてを包み込んで癒そうとしてくれているような、そんな優しさを彼女に向けてくれている。
それは愛情と呼べるものかもしれないが、親愛・友愛・家族愛・恋愛、そのどれにも当てはまらない気がした。
(大丈夫……そうね、フィオーラはまだ何もしてはいない)
それに、明らかに未来は変わりつつある。
かつての生で、フィオーラは当初第三王子ルーファスの婚約者だった。
王族の婚約者という立場で何度か本神殿へ出向いているうちに、彼女を【聖女】と言い出す噂がどこからともなく流れ、そしてそれは本物となった。
しかし今、第三王子の婚約者候補という立場すら危うくなっているという。
もしこのまま候補から外れるとしたら、【聖女】の託宣を下される本神殿に出入りできる身分ではなくなる、ということだ。
「さて、エリカ。辛いことを聞くようだが、できれば答えて欲しい。……今度は、どんな悪夢を見たんだい?」
「えぇと……」
「前に見たという特大級の悪夢、それに出てきた金髪の女性というのは、グリューネ侯爵令嬢と何か関係が?」
言い逃れなど、できようはずもなかった。
白昼夢にうなされるまま、彼女は何度か「フィオーラ」とその名を口にしてしまったのだ。
それはこの場にいないリシャールも、キールも、そして一晩中付き添ってくれたレイラとマリエールも聞いている。
彼女は、ぽつりぽつりと話し始めた。
前回見た悪夢の中で、夢の中のエリカは見知らぬ金髪の女性を『フィオーラ』と呼んでいたこと。
彼女の幼馴染でエリカの側付きになった銀髪の男性は『テオドール』と呼んでいたこと。
その名を覚えてはいたが、さすがに個人名を出すのは相手に迷惑がかかるだろうからと、あえて名を伏せたこと。
「そうか……よく話してくれたね」
「お父様、今お話ししたことは」
「わかっているよ。いくらなんでも、予知夢に現れた実在の人物をすぐに糾弾したりはしないさ」
ただ、この家には絶対に近寄らせないけどね。
そう言って、彼はパチンと片目をつぶって見せた。
「さぁて、忙しくなるな。……ヴァイス、ひとつ頼まれてくれる気はあるか?」
「なに?嫌な予感しかしないんだけど」
「そう言うな。内密なことだから、部下には頼めないんだ。 ──── グリューネ家を探ってくれ」
お前にならできるだろう?
そう問いかけられたキールは、肩を竦めはしたが否定はしなかった。
それからはや一ヶ月。
第一王子レナートの立太子の儀とその後の婚約披露パーティーにお呼ばれしていたフェルディナンドが、いささかぐったりしながら領地へと戻ってきた。
そして息子ラスティネル、娘エリカ、その親友であるユリア・マクラーレンを執務室へと招いて、第二王子リシャールから託されたものを披露した。
「父上、まさかこれは記録用の魔術具では?」
「その通り。立太子の儀は警備の関係上撮影できなかったが、その後のパーティーについては、リシャール殿下が記録してくださっていた。差し支えないようならエリカにも見せて欲しい、とそう伝言も承っているが……エリカ、どうする?」
「…………お願い、します」
婚約披露パーティーということは、王族を始め多数の貴族が集まっているはず。
ということは、エリカの苦手な金髪・銀髪も大勢……とまではいかずとも、どこを移しても数人映り込むくらいには存在しているわけで。
それでも彼女は、それを見ると決めた。
リシャールがわざわざ送ってきてくれたものだ、きっとそこには彼が見せたかった何かがあるはずだから。
エリカが頷いたことで、それではとラスティネルが魔術具をセットし始めた。
こういう手先のことは彼の方が得意なのだ。
あっという間に準備された空間投影用の魔術具の上に、記録用の魔術具がカチンとはめ込まれる。
そして、 ────── 舞台は、一転した。
「皆、本日は我が息子レナートのために集ってくれたこと、心より礼を言う。息子も今年18歳、本来なら成人した15の歳に婚約者を決めるはずだったのだが、学園の卒業時期になるまではと本人よりの強い申し出があったため、本日この日まで延期としておった」
ではレナート、と名を呼ばれ、金茶の髪をした酷く整った顔立ちの青年が立ち上がり、一段高い位置にある王族の席から降りて広間へと足を進める。
ここでの演出はさながら童話や物語のクライマックスのように、あらかじめ呼び寄せておいた婚約者を広間に迎えに行き、そのまま手を引いて連れて戻るというものなのだろう。
頬を染めてぽやんと第一王子を見つめているご令嬢の中には、もしかしてもしかすると内定のない自分の手が取られたらどうしよう、などとそれこそ物語のようなストーリーを妄想している者もいるかもしれない。
「エリカ、大丈夫?」
「えぇ、平気よ」
第一王子改め王太子レナートの髪は、光の具合で鮮やかな金色にも見える。
それを気遣ってのユリアの言葉に、エリカはしかし視線をそらさないまま、平気だと頷いた。
(この中に、王太子殿下の想い人がおられる。ということは、その付添で当然グリューネ侯爵夫妻もいるはずだわ)
フィオーラは残念ながらこの場に呼ばれる資格はない。
デビューがまだだし、何より年齢が幼すぎるからだ。
しかしその数年後、社交界デビューした彼女は第三王子の婚約者として、華々しく披露される。
第一王子が立太子する以上、第三王子はスペアに過ぎない。
いずれは公爵として臣籍降下するか、もしくは侯爵位以上の家に婿入りするか。
しかし何かあった時のスペアであるうちは、その婚約者もしくは妻はいつ王家に入ってもいいように、ある程度の教育を受けなければならなくなる。
フィオーラが第三王子の婚約者という地位を手に入れた時点で、彼女はエリカよりも上に立つ。
そしていずれ【聖女】として神殿に認められれば、王子の婚約者から今度は神に仕える者として神殿にその身を移し、同じく神の御使いとして遇される【聖騎士】と結ばれることとなる。
そのための婚約。踏み台としての第三王子。
なんと、愚かなことか。なんと、滑稽なことか。なんと、ばかばかしいことか。
そんなことを考えていたエリカは、決定的な瞬間を見逃していた。
令嬢達の輪に入って行った王太子レナートが、期待に目をキラキラと輝かせる令嬢達の間を一瞥もせずに素通りし、不安げに視線を彷徨わせていた華奢な少女の手を取った、その瞬間を。
ざわり、と空気が揺れる。
自分が自分がと主張しながらも半ば諦めていたらしい令嬢達は、まさかの人選に驚愕を顕にした。
第一王子が手を取り、ゆっくりとその手を引いて国王の前に連れていったのは、社交界でも控えめに壁の花に徹していて、学園内でもさほど目立ってはいない、評するなら控えめで模範的な優等生タイプの女性……まだ幼いながらも美しいと噂の妹といつも比較されているという、エルシア・グリューネ侯爵令嬢だったのだから。
侯爵の前妻の子である彼女は今年16歳、第一王子と年齢的なつりあいも取れているし家柄も問題ない。
顔立ちは妹のフィオーラと比べると華美さに欠けるが、瞳の色と同じ淡いブルーのドレスを身に纏った彼女は清楚な印象であり、どこか守ってあげたくなる儚さも併せ持っている。
居並ぶ貴族達は皆この事態に驚きを見せているが、国王をはじめとする王族達はあらかじめ聞かされていたのか、歓迎ムードすら漂わせて跪いた彼ら二人を見守っている。
ただし、その場に第二妃の姿はない。
「父上、彼女がエルシア・グリューネ侯爵令嬢です。彼女とは学園で出会い、これまで絆を深めて参りました。彼女は常に学業に対し真摯であり、熱心であります。そんな彼女を見ていると、私もこうあるべきだと心を奮い立たされました。彼女であればきっと、私の隣で支え、誤っていれば諌めてくれる、素晴らしい正妃となってくれると確信しております。どうか、彼女と婚約を結ぶことをお許しいただきたい」
「エルシア嬢、直答を許す。そなたはレナートとの婚約を望むか?」
「はい。わたくしの全てをもって王太子殿下を傍でお支えしたいと心より願っております。どうぞ殿下との婚約をお許しくださいませ」
「よかろう、許す。このときをもって、王太子レナート・フォン・ヴィラージュとエルシア・グリューネ嬢の婚約関係が成立したことをここに宣言する!」
国王陛下の宣言に、会場は割れんばかりの拍手に包まれる。
そして映像が切れる最後の瞬間……記録用の魔術具は、決定的な瞬間を映していた。
幸せそうに微笑む王太子とその婚約者、それを会場のほぼ中央で見つめるグリューネ侯爵とその妻。
侯爵は良かった良かったと言うように何度も頷いているが、その妻は…………顔をひきつらせて周囲を見回し、そして ──── 義理とはいえ娘であるはずのエルシアを、一瞬ではあったがはっきりと睨みつけていた。




