15.悪夢、再び
前半ちょっとだけ微糖風味、後半ドシリアス。
「話がしてみたい」
そうエリカが望んだことで、第二王子リシャールはその後定期的にローゼンリヒト公爵家を訪れることとなった。
といっても、公式にとなると事前に使者を立て、護衛を引き連れて、と大事になってしまうためあくまでも非公式に、個人的にという形でがあるが。
「エリカ嬢、今日はなにやら邸内が騒がしいようだが」
「ええ、そうなのです。実は…………あの、わたくしの居室を、改造しておりまして」
「…………『改造』?模様替えではなく?」
案の定、何事かと眉をひそめたリシャールに、エリカは恥ずかしげに視線をそらした。
ユリアにも『少女趣味』と言われたほど、エリカの部屋は……良く言えば女の子らしい。
花柄の壁紙、レースがふんだんに使われたカーテン、天蓋付きのベッド。
それらを好んだのも確かにエリカ自身だが、生まれ変わってまず外見的なコンプレックスを改善し、次いで内向的な性格を徐々に改善しつつある今となっては、自室といえど居心地が悪くて仕方がなかった。
なので、6歳の誕生日に思い切って父に頼んでみたのだ。
『私のお部屋を、もっと落ち着いた色合いにしたいのですが』と。
普通であればならば任せろとすぐ取り掛かってもらえるのだろうが、そこは親バカを自称他称するフェルディナンド、壁紙一つ、配置する家具一つ、シーツの一枚に至るまで全て娘の希望通りにしようと、ありとあらゆるカタログを膨大な数取り寄せた。
お陰でエリカは、日々教育をこなしながらも時間が空けばカタログを開き、部屋に配置するひとつひとつについて検討しながら、一から自分の部屋を作るという作業に勤しまなければならなくなったのだ。
父としては全て思い通りにしてやりたいという親心だろうが、こっそり漏らしてくれた兄の本音では「これはもう試練というか、教育の一環としか思えないよ」とのこと。
「まぁ、そうだな。普通なら業者を入れ、令嬢はあれこれ希望を出すだけでいいはずなのだが」
「ええ。でも、マナー担当の先生に言われましたの。後々家を取り仕切るのは女主人であるのだから、デザインセンスや家具の配置などの知識、正しい色彩感覚を持つことは無駄ではありません、と」
「女主人…………そうか」
ふ、とリシャールが小さく笑った気配がした。
彼は元々さほど感情豊かではないし、表情もあの王城で差別されて過ごすうちに滅多に変わらなくなった、とはいえ全く感情がないわけではないので、時折こうして表に出して見せてくれることがある。
そしてその笑みから、エリカは己の発現の失敗を知った。
(女主人だなんて!それってつまり、つまりその、いずれ嫁ぐ時のことを……あぁ、私ったらなんてことを)
「……では、君が我が家で采配を振るってくれる日を楽しみにしていよう」
今度こそ、間違えようもなく悪戯っぽい笑みを口元に浮かべた第二王子に、エリカはがっくりと項垂れるしかできなかった。
(か、からかわれた…………悔しい)
ふと訪れてはしばしの歓談の時を過ごし、そして日が沈む前には帰っていく。
それが習慣になっていたある日、
「…………どうなさったのですか、殿下。なにやら、お顔の色が優れませんが」
「あぁ、わかるか。実はな、兄上の立太子の儀と婚約披露パーティーの日取りが決まったのだが……」
「それは」
おめでとうございます、と口にしかけてやめる。
どうにもおめでたいと言える雰囲気ではなかったからだ。
「わたくしが聞いてもよろしいことでしょうか?」
「差し支えない程度なら、聞いてほしい」
むしろ言わずにいられない、そう言いたげなリシャールをエリカは自室へと誘った。
いつもは庭園で過ごすのが習慣となっていたが、公爵令嬢相手に『差し支えない程度』と言う以上余程機密性の高い話なのだと判断し、だとするなら誰かに聞かれる可能性のある庭園よりも自室へと思ったからだ。
普通の『婚約者同士』であるなら、自室で二人きりは色々とまずい。
貴族の場合、同じ部屋で二人きりというだけで醜聞になってしまうし、ふしだらだと陰口を叩かれる原因にも繋がってしまう。
とはいえ、リシャールとエリカの場合は普通の婚約者というわけではなく、彼とエリカの父フェルディナンドが契約を交わした間柄。
エリカの年齢上婚約式も披露パーティーもしていない、正式な誓約も交わしていない、まだ書類上だけの関係である。
しかも、エリカはまだ6歳……16歳になったリシャールとは10歳差という、婚約者というより兄妹に見える年齢であるのだから、リシャールに特殊な性癖がない限り過ちなど起こりようがない。
「お邪魔する。…………これはまた……年齢にそぐわぬ落ち着いた部屋だな」
以前『居室を改造』と告げたことを思い出したのか、彼はまじまじと部屋中を眺め始めた。
薄い青から深い青へとまるで空の色のようにグラデーションを描く壁紙、シンプルでなおかつ緻密な手作業で仕上げられたレースのカーテンの上に、防炎の魔術を練り込んだ糸で丁寧に織られた厚手のカーテンが重なる。
真っ白で清潔なシーツがかけられたベッドは黒檀製、家具も同じく黒檀をメイン素材にした品の良いデザインのものを選んであり、窓際にはローズマリーの鉢植えがひとつ。
その他贈り物の小物やジュエリーケース、鏡台などはあるものの、これが6歳の少女の部屋だと言われると妙な違和感を覚えてしまう。……それほど落ち着いた、まるで邸の女主人が過ごすための部屋に思えた。
いいんじゃないか、と評してから彼は勧められたソファーに腰を下ろした。
ソファーは硬すぎずかといって柔らかすぎず、弾力性があって非常にいい座り心地だ。
見たところ魔術がかかっているようだったが、害がなさそうなので彼もそれに関してはスルーすることにした。
「それで、殿下?」
「あぁ…………兄上の立太子の儀は問題なくできそうなのだが、問題は婚約披露だ。何しろ、相手は侯爵令嬢……しかも、公には言えないが少々問題のある家族構成でな。実は、その家のもう一人の娘が第三王子……弟の婚約者候補筆頭として、名が挙げられているのだ」
第一王子レナートの婚約者候補は、国内外のある程度魔力が多く実力もある貴族令嬢が揃っている。
その中でも彼が内々に選んだその令嬢は実力だけならトップクラス、家柄も問題はない……のだが、その妹が第三王子の婚約者候補となると話が違ってくる。
エリカが王族に入ることの危険性、それと同じようなことが今回の場合も言えるのだ。
つまり、同じ家から出た二人の姉妹がどちらも王族に嫁ぐとなると、今度はその家に権力が集中してしまう……そうなると当然、貴族同士のパワーバランスもその家の方向に傾いてしまい、争いを引き起こす要因となりかねない。
(姉君が第一王子殿下の婚約者を辞退するか、もしくは妹君が第三王子殿下の婚約者候補を降ろされるか、ね)
そのあたりどうするかの駆け引きが、今現在も行われているに違いない。
そして、あわよくば第一王子の立太子と同時に王位継承権を放棄してしまえと企んでいた第二王子も、兄の婚約が無事に成るようにあれこれと心を悩ませているのだろう。
「事実上、兄上の方が優先度が高い。内々のこととはいえ、既にかのご令嬢は陛下にも披露されているからな。ただ、第二妃がそれでは話が違うと我儘を申し立てているらしい」
「話が違う?……もしかして第二妃様はその侯爵家と何らかの繋がりが?」
「聡いな、その通り。簡単に言えば、第二妃の実家から嫁いだのがその第三王子の婚約者筆頭の母親だった、とこういうわけだ」
「えぇと…………ご実家の血を継ぐご令嬢を王家と縁組されたかった、と?でしたらその姉君は…………あぁ、そういうことですか」
「そういうことだ」
公には言えない、というのはこういう意味だったのかとエリカは理解した。
第二妃の実家から嫁いだ娘、というのは第三王子の婚約者候補筆頭と言われている侯爵令嬢の母親。
そして、第二妃はその実家の血を継ぐ娘を王家に入れたいと考えていて、しかし第一王子の婚約する相手は気に食わない。
わかってしまえば答えは明白……二人の少女は、母親が違うということだ。
「随分とややこしいことになっておりますね」
「そうだが、こればかりは第二妃に聞き入れさせるしかないだろう。権力の集中を避けるという意味合いもあっての今回の婚約だ、グリューネ侯爵家からは姉のみが王家に入る、そうしてバランスを取るしかないんだ」
「グリューネ侯爵家……」
『エリカ様、と仰るのですね。わたくし、グリューネ侯爵家のフィオーラと申します。どうぞ仲良くしてくださいませ』
『エリカ様はもう少し外に出られた方がよろしいですわ。ほら、テオドールもそうだと申しておりますもの』
『ふふっ、テオドールとは実は幼馴染という関係なのです。幼い頃から彼は周囲の令嬢達の憧れでしたの。ですから彼を堂々と連れて歩けるエリカ様を皆羨んでいるのですわ』
次々と浮かんでは消えていく、金の髪の少女。
彼女はキラキラと新緑色の双眸を輝かせ、楽しそうに笑いながらエリカに語りかけている。
今ならわかる。その瞳の奥に、隠しきれない優越感が潜んでいることが。
あの頃の彼女にはわからなかった、だから親しげに話しかけてくれたフィオーラにうっかり心を許してしまった。
『わたくし、身篭りましたの。……テオドールの子ですわ』
嬉しそうに、幸せそうに、彼女はおなかを撫でながら笑う。
もはや、その瞳に宿る憎悪や嫌悪感、嘲りを隠そうともせずに。
彼女は歌うように語った。
毎夜、エリカにおやすみなさいと優しげに囁いた彼が、その後すぐにフィオーラの部屋で朝まで過ごしていたこと。
寝物語に、エリカの世話はうんざりだと零していたこと。
その頃【聖女】と呼ばれ始めていたフィオーラの傍に、【ヒキガエル】【忌み子】と蔑まれ続けたエリカは相応しくないと言っていたこと。
エリカを【忌み子】だと言い始めたのは、テオドール本人であったこと。
「いや……」
「エリカ嬢、どうした?」
「もうやめて、フィオーラ……怖い怖い怖い怖い、来ないで、殺さないで、死にたくない!」
「おい、しっかりしろ。どうした、何があった?」
リシャールは見た、エリカを取り巻く色が見る見るうちに深く絶望の灰色に染まっていくのを。
まるで奈落の底に突き落とされたかのように、その灰色が色濃く闇色になっていくのを。
肩を抱こうと手を伸ばしても、その手は何かに弾かれる。
恐らくこれは精霊の暴走だろうと判断した彼は、部屋の扉を開けて入ってきた専属メイド二人に「兄君をすぐに呼べ」と指示し、そのまま部屋の入口までそっと離れた。
以前異様なまでに金髪を怖がっていた彼女のことだ、きっと今の状態で近寄れば恐怖を抱くだろう、そう判断したからだ。
運良く邸内にいたらしいラスティネルがかけつけた時、エリカはパニック寸前だった。
「精霊達が暴走しています。殿下はお下がりください」
「どうにかできないのか?」
「……残念ですが、ああなってしまったエリカにとって、金髪の貴方も、銀髪の私も、同レベルで恐怖の対象なんです。今近づくのは、あの子を余計に苦しめます」
そう言いながらも、ラスティネルは苦しそうに拳を握りしめ、せめて彼女がいてくれればと小さく零している。
そう、いつもなら呼ばずともすっ飛んでくるだろう侯爵令嬢ユリアは現在、養家であるマクラーレン侯爵家で教育の真っ最中だ。
となれば、今のエリカを抑えられるのはただ一人。
「呼んだかな?」
「まだ呼んでいません」
「呼ばれた気がしたから来てみたんだけど。……これはまた、酷いね」
当初半年の予定で滞在していた、フェルディナンドの謎多き客人 ── キール・ヴァイス。
正直得体が知れない相手としてラスティネルは彼を警戒していたが、この中でエリカを抑えられるだけの魔力持ちでなおかつ金髪・銀髪でないのは彼だけだ。
「不本意ですが…………お願いします」
「おや、素直だね。わかった、任されたよ」
ひらりと手を振って部屋に入っていく彼を、リシャールは驚愕の眼差しで見送るしかなかった。
「いやあああああああっ!!死ぬのは、殺されるのは嫌ぁっ!!」
「エリカ、エリカ、もう大丈夫。君はまだ死ぬ運命じゃない。僕が、僕達が守るから」
両手で頭を抱え込むようにして蹲ったエリカを、キールは庇うように抱え込む。
その身に溢れる魔力が、精霊王の加護の範囲を超えて噴き出してこないように。
彼女の心を傷つける何かから必死で護ろうとするかのように。
抱え上げ、ぎゅっと胸元に抱きしめながら、彼は呪文のように「大丈夫」と言い続けた。




