第一章【思い描いた未来と現実は重なるか?】 一話「冒険の書」
頭を強く打った反動だろうか、思考にもやがかかったように気分が悪い。
前頭部を抑えて眉根を寄せる僕は、今一度頭を左右に振って、目の前に集中する。
眼前に浮遊するのは三冊の本。
一つはとてつもなく重厚で、焦げ茶色の表紙に『1』という数字と幾何学的な文様が施された、書物と呼べるよぷなしっかりした本。
二つ目も『2』という数字が書かれた本。しかし一つ目のそれと違い、白色を基調とし雰囲気的には明るさを感じさせる。
そして最後は、薄い本。
……薄い本。
どこからどう見ても薄い本。
もっと言うならなぜかその物体そのものにモザイクがかかっていて、輪郭はボケボケだ。
もしかすると、触ったら本ではないのかもしれない。
そんな風にして、三つの本――一つは怪しい物体なわけだが――が僕のの前に差し出されている。
差し出されているというのは、まさにそれを僕に差し出した者がいるわけで。
そして僕がその張本人に視線を向けなおすと、彼女もまた僕を見下ろしていた。
「どうした? ささっと選んでくれないかな?」
苛立ってはいないものの早くしてほしいという感情が前面に押し出されたその言葉に、僕はため息を返す。
しかしそれを見た彼女は「は?」と顔をゆがめた。
「何いっちょ前に嘆息してるわけ? こうして私が貴方に最大限の恩情をあげてるのに気に食わないんですけど? それとも何? やめる? ああ?」
怒っているようだ。
しかしそんな凄みにいちいち目くじら立てて反抗したところで、僕にメリットはない。
だからあくまで再度ため息をこぼした。
「……そんなこと言われても、次の僕の人生がこれで決まるっていうならそうやすやすと選択はできないよ」
どうもこの三冊の本が僕の来世の可能性らしい。
少し前に、僕は死んだ。
社会人一年目で、健康に気を使って自転車通勤をする真っ只中、僕の人生は終わりを迎えた。
原因は、目の前に現れた自称神様の話を聞く限り極小の時空の乱れで、それが通勤中の僕のすぐそばで発生したせいらしい。
神様曰く、休憩の片手間に世界をいじっていたら小さな破綻が起こったらしく、そのせいで僕は時空の乱れにで発生した衝撃に吹き飛ばされ、近くの電柱で頭を打って死んだ。
もちろん「なんて酷い死因だ!」と抗議を神様に入れたが、神様は、
「どうせ貴方三日後には食中毒で死ぬって予見されてるからうだうだ言わない」
と逆にいさめられる事態意に。
しかしそんなことで納得がいくはずもなく、このまま死ぬなんて嫌だと地面に寝っ転がり、子供の用に駄々をこねていたら、さすがの神様も謝罪を口にした。
「はいはい、ごめんなさい。……貴方の人生を適当に埋め合わせるからそれで許してちょうだい」
「今適当って、適当って言ったよね⁈」
「ああもう、うっさい! とにかくほら、選んでさっさとここから消えてくれない?」
そうしてやたらと冷たい神様が差し出したのが、目の前に浮遊する三冊の本だったわけだが……。
最低限の説明を受けた限りでは、いわばこれはRPGの冒険の書みたいな物らしい。
つまり途中まですでに勧められた人生の書。
選べばその中に記された主人公として、これから今は白紙の続きを自ら作り上げていくこととなる。要は第二の人生である。それも赤ん坊パートを飛ばした。
それを聞いたとき僕の胸に飛来したのは、喜びにも近い感情だった。
「そ、それって……転生なんじゃ……」
「あ、見た目は今の貴方と変わりないから」
どうやら冴えないモブ顔に変わりはないらしい。
べ、別にあわよくばイケメンに……とか思ってないよ?
「ささっと選んで?」
そして話はループする。
神様はどうも辛抱が足りない。そして配慮も足りない。
第二の人生の選択権が自分にあるなど、一介の凡人たる自分には話が大きすぎておいそれと決断などできないのだ。
しかし神様の「あと一分」という、それ以外に説明はないものの威圧を感じさせるその言葉に、僕はついに選択を余儀なくされる。
しかし僕は未だその第二の人生の中身を見ていないことに今更ながら気が付いた。
これでは1、2、3の好きな数字を選んでいるだけである。
だから僕は神様に尋ねた。
「中を拝見しても?」
「ん、構わないから早く。こっちも隠ぺい工作に忙しいから」
隠蔽とは僕が死んだことだろうか? ……ちゃんと報告しろよ。
手元で何やら作業する神様から視線を外し、自らのすべきことに集中する。
「えーとまずは一番から」
そう呟きながら『1』の書を手に取る。
途端浮遊感がなくなり、しっかりとした重さを腕に伝えてくる。
さすが神様が現れる空間だけあってファンタジーでだ。
そんな益体もない感想を抱きながら、僕は本を開き、ページをめくる。
剣と魔法のファンタジー世界に生まれた僕は、小さいながら魔法の才を発現し、魔法学園に進学。
そして計九年間の修行を経て、学校卒業と同時に帝国魔法騎士団に入団。
そこで三年働いたのち、可愛い妻を娶って幸せな家庭を築く。
もちろん魔法騎士団は止めず日夜その才能を生かして王や民を守ることに人生を捧げる。
ケガや病、あるいは大切な仲間の死にも屈せず、最後まで忠誠を貫き、齢六十五歳にして、盛大な祝福をされながら職を辞す。
そして後世を、シワが増えてしまったがそれでも愛おしい妻と仲良く暮らす。
それからさらに時は過ぎ、八十歳を迎える夜。
物語はそこから始まる!
「始まるじゃねぇよ! ほとんど終わってんじゃねぇか!」
悪態をつきながら、本を地面にベシッとたたきつける僕に、神様が作業をやめ声をかけてくる。
「ん? ああ、その人生か。ちなみに三日後に死ぬ設定だ」
「なんでもとの世界の運命持ち越してんの⁈ 好き好んで死んじゃうのが見え見えの人生選ぶわけないじゃん⁈」
「まあそれは早く輪廻転生の輪にかえって成仏したいかもしれないと思って用意したやつだから」
「まだまだ若いのにそんな終焉願望はないに決まってるでしょ⁈」
「いやいや、最近は若い奴の自殺がどの世界でも多いから。流行りの展開かと思って」
「そんな流行りは聞いたことがない」
「まったく、世間知らずめ」
「ええ……」
なにやら僕が常識ないみたいになっていることに不服はあるが、反論していても話は進みそうにないから、僕はしぶしぶ『2』の書に手を伸ばた。
今日も今日とて、いじめっ子に嫌がらせを受けた。
痛い。痛い。痛い。
苦しい。苦しい。苦しい。
そして何より、悲しい。
なぜ人はこうも誰かを傷つけたがるのだろうか?
僕が何をしたというのか?
一人は言った「お前の前髪ナゲェんだよ! 女かよ!」と。
一人は言った「テメェ少し勉強ができるからって調子乗んなよ!」と。
一人は言った「大人にチクったなお前!」と。
そうして顔にパンチが飛ぶ。腹には膝蹴りが。遠くからは小石が投げられる。
どうしてこうなった?
僕はただ友達百人作りたかっただけなのに……。
それから十年。
学院の高等部を卒業した僕は未だ彼らの執拗な嫌がらせを受ける。
今日も今日とて、痛く、つらい。
…………誰か、助けて。
「SOSになってるんだけど⁈ 振り返るべき人生がいじめられた経歴と心の声ってどうなの⁈」
「最近はいじめが流行ってるらしいから」
「またその変な流行りの法則!」
「事実だろう? 貴方の世界でもいじめとか自殺はよくあったはずだけど?」
確かにいじめや自殺のニュースを見ない日の方が珍しいくらいだった気はするが……。
「そんなネガティブな流行り取り入れなくていいから!」
「ちなみに三日後には死なないぞ」
「石投げられるレベルでいじめられてるのに、その配慮がむしろ悪魔の仕業としか思えない」
「なんだやっぱり死にたいのか? だったら――」
「待った待った! 死ななくていいから!」
なぜか「そうか……」と少し残念そうな神様。……この人死神なのでは?
というかこの人生まで死ぬ設定をつけられたら僕の人生あとは死ぬしかないみたいじゃないか。
どれを選ぶにせよ、まともに生きていける人生があってもいいはずだ。
僕はとりあえず『2』の悲惨な人生から目を背け、最後の一つに目を落とす。
「これはなんでモザイクかかってるの?」
「不浄だからな」
「ふ、不浄……ゴクリ」
「何を想像している。これだから男は……」
「いや別にエロゲ展開とか期待してなんかないから! ないから!」
「二回言うのがすでに怪しいが?」
「うぅ……」
僕はいたたまれない気持ちになり神様から目をそらす。
だ、だって、薄い本でモザイクかかってて女性目線で『不浄』とか……そんなのもうエロ本以外あり得ないじゃないか!
そしてそれが人生の書として目の前に置かれている事実。
童貞の僕には生唾を飲み込むには十分な理由だった。
そんなピンク色なことを考えながら、僕はついにその『3』の薄い本へと手をかけた。
血塗られた包丁が迫り――パタンッ。
「これ別の意味でのR18じゃんか! モザイクにまんまと騙されたわ!」
中身は血なまぐさいホラーアドベンチャーでした。
さっきの神様の不浄発言は何だったのか……。いや、これはこれで不浄だけども……。
すべての本の中身を確認した僕は神様に言う。
「もっとまともなやつはないの?」
「選択肢は三択が基本だろう?」
「なにそのセオリー知らない」
「なんにせよ、貴方に用意できる次の人生はそのくらいだ。そもそもこちらの不手際とはいえ、こうして生き返らしてやるのだから文句を言うな」
「『1』とか『3』はすぐに死ぬよね⁈」
「なら『2』を選べばいい」
「あれはあれで悲惨だし、そのうち首つりそうじゃんか!」
「それは貴方次第だろう」
何その投げやり……。思いやりを感じない。
僕はそのままああだこうだと抗議をするが、神様は聞いてないようで手元の作業に戻り、こちらを見ずに言う。
「まあとにかく早く選んで」
その反応に僕はため息をつくしかなく、結局神様への批判をやめる。
実際、この状況で第二の人生をくれるという神様には感謝している。
今回は神様のミスで死んだとはいえ、それがなくとも三日後には死ぬと予見されているらしいし……。
だからこうして第二の人生を自分で選べるようにしてくれた神様には頭が上がらない。
ただその内容がどれも悲惨なだけで……。
しかしよく考えれば、もといた世界でも大して幸せな人生を送っていたとは思えない。
高校を卒業後、並の偏差値の大学に入学するが一年もたたないうちに中退。
それから地方の小さな企業に就職するも、残業の日々。休日出勤も結構してたっけ……。
中退したことで友達とも会いづらくなり、会社の人ともプライベートな関係はなかった。
ただただ起伏のない日々を、無気力に生きてきた。
「それだったら、身の上を一新するのも一興かなぁ……」
僕の口から漏れた本心の一部を聞いていた神様が僕を見て、その口元に笑みをつくる。
「決まったかな?」
首をかしげて僕を見下ろす神様に、僕は言う。
「ああ、決まった」
僕は今とは違う人生を受け入れる。
そして僕が選んだ冒険の書は、
「――『2』の書で頼む」
二番目の悲惨ないじめられっ子の人生を僕は選んだ。
決してマゾではない。
理由は、普通に考えて、これが一番まともだと思ったからだ。
一番の人生はおじいさんから始まるし、三日後には死んでしまう。論外である。
三番目の人生は血なまぐさく、考えただけでぞっとするし、まともな死に方はできそうにない。論外である。
それに比べれば、死ぬのが確定的ではなく、これからの自分の行動でどうとでもなりそうな二番が、はやり一番マシであろう。
だから僕は『2』の書を選んだ。
その決断に神様は、
「まあ当然の選択かな。それ以外は論外だろうし」
「論外だと思う選択肢用意するなよ!」
「はいはい、それじゃあ『2』の書で決まり」
「聞いてないし……」
僕が選んだことで、神様は僕の元まで下りてくる。
そして目の前に浮遊する三冊の本から『2』の書を取り上げる。それと同時に他の二つは虚空に消えるが今更驚かない。
神様は手に持った本を頭上に掲げて言った。
「これまでの記憶とか、行く世界の基本情報とかは頭に入れておくから安心して」
「それは助かる」
全部自分で覚えていけとか言われたらどうしようと思っていたが、心配ないらしい。
そして僕の反応を見て、神様は「ん」と頷く。
「それじゃあ、緒川紘一くん。次の世界ではコーイチくんかな。貴方を異世界に送ります。――いい人生を」
そう言って神様らしく慈愛に満ちた笑顔で微笑み、神様は掲げていた本を振り下ろした。
「いってらっしゃい」
突如として振り下ろされた本を避けることもできずに、頭でもろに受け止める。
衝撃……はなかった。
ただ頭に何かが入り込んでくるような感覚がした気がした。
そしてついに僕の意識は暗闇に塗りつぶされた。
僕の、緒川紘一としての人生が終わりを告げた瞬間だった。