突然の解散
◇◇◇◇
「あー、腹いっぱい」
「じゃあ、帰る?」
「アンナは?満腹?」
「ん」
私が返事をすると、新太はさっと伝票を持って立ち上がった。
「先に会計済ませとく。ゆっくり靴履いてていいよ」
「あれ?!今日は私が払う日だよ」
すると新太はジーンズのポケットを探りながら、私を見ずに言った。
「今日は特別。俺が出したい」
「なんで?」
「エロい事言っていいの?」
「やっぱキモ」
新太は私の頭をポンポンして、先に歩いて行ってしまった。
◇◇◇◇
週明け。
「お前、サンプル確認ちゃんとやったのかよ!」
激しく両手をデスクに叩き付けて、三崎課長は私を睨み付けた。
私はどう答えるべきか考えてあぐねて、何も言えずに黙り込んだ。
どうしよう。
企画部の決定したデザインとまるで違うバッグが、目の前にあった。
これはデザイン決定の最終段階で見送りになったバッグだ。
確かに私が確認し、クライアントにプレゼンした時はこのバッグじゃなく、ちゃんと最終決定したデザインだった。
クライアントとの細かな打ち合わせも無事終了した。
生地屋にも種類指定をして、付属品業者とも打ち合わせをして……。
「業者が、『サンプルと届いた生地が一致してない。至急連絡してほしい』との事だ。おまけに、パターンの一部が抜け落ちてるらしい。
先方は休日返上で作業に入ってくれてたんだぞ!?
何やってんだよ、お前はっ!!」
サンプルは先に、私が直接手渡した。
パターンはその日の内に、私が寺田加奈にメール送信するように指示を出した。
加奈ちゃんは今日、頭痛が酷くて欠勤している。
なんで?なんで、不採用のヤツが渡ってたの?!
なんで?!
「何とか言え!!!」
「すみませんでしたっ!」
私は、勢いよく頭を下げた。
「バカか!俺に謝って済む問題じゃねーんだよっ!!」
「はい!申し訳ございません!!」
「お前、どうするんだ!?念のため生地屋にも確認しとけ!もし間違ってたら取り返しつかねーぞ!」
ゾッとした。
「すみません、すぐ連絡取ります!!」
全身の血が無くなってしまったように私の体は冷たくて、寒気がした。
急がなきゃ、急がなきゃ!
私は奥歯を噛み締め、ガタガタと手が震えるのを必死で抑えながら、電話に手を伸ばした。
◇◇◇◇
翌日。
「アンナ先輩、本当にすみません!私が先輩に確認せずに不採用になったサンプルを郵送してしまったんです!先輩が、打ち合わせで渡し忘れたんだと思って……」
「もういいよ。大丈夫だよ。生地も合ってたし、パターンも送り直したから」
加奈ちゃんは、給湯室でボロボロと泣きながら私に頭を下げた。
私は大きく笑った。
「もう泣かないで!ほら、仕事始まるよ!三崎課長には内緒だからね!」
「そんな事出来ません!私の失敗なのに、先輩のミスだと思われちゃいます」
「いいの、いいの!絶対内緒だから!さ、涙拭いて!」
私は先に給湯室を出た。
◇◇◇◇
三日後の昼休み。
『話があるんだ』
『なにー?』
『会ってから言うわ。鳥姫に8時集合』
『了解』
私はLINEで新太と短いやり取りを済ますと、昼休みを切り上げて仕事に取りかかった。
実は今日は忙しい。
けど、新太との待ち合わせに遅れないようにしたい。
「昼ぐらいしっかり休めよ」
三崎課長がチラッと視線を上げて私を見た。
「今日はあまり長く残業出来ないんです」
「デートか」
は?
なに、こんな質問してくるような人だったっけ?
それとも皆が昼休憩で出払ってるから、軽い気持ちで訊いてみたとか?
私が三崎課長を見つめていると、彼は手元に視線を落として呟くように言った。
「悪い」
……悪いって、訊いてごめんって意味?
……微妙。
私は何だかおかしくなって、笑いながら口を開いた。
「悪くないですよ。同期と飲むんです。私、彼氏はいないんで」
私がそう言うと、三崎課長はこっちを見ずに答えた。
「そうか。可哀想に」
可哀想にって!
絶対思ってないだろ!
まあ、いいけど。
私は暫く三崎課長の整った顔を見つめていたんだけど、それ以上話さず、黙々と仕事を続けた。
◇◇◇◇◇
何とか仕事を終えてそのまま鳥姫に直行すると、新太は入り口から見える狭い座敷に座っていた。
「ごめんっ、待った?!」
座敷に上がり込んでカバンを置いた私を見て、新太は首を振った。
「俺も今来たとこだよ」
「で、話って?」
「アンナはせっかちだな。まあ、飲んでからでいいじゃん」
私は軽く頷いてから店員さんにビールを注文した。
「どう?仕事は」
新太は海外事業部。
英語が堪能で、海外の提携会社とのパイプ役を担っている。
「んー、まあまあかな」
「新太は英語がペラペラだし、そのうちアメリカに転勤なったりして」
私がそう言うと、新太はハハハと笑った。
「やだなー、そうなると」
「新太は和食大好きだもんね。刺身や納豆、うどんが手軽に食べれない国はキツいか」
「そー。英語、忘れたって言うわ」
「バカな断り方だなー」
「もっと有効なやつ、アンナが考えといて」
私達は他愛も無い会話をしながら焼き鳥を食べ、ビールを飲んだ。
店を出て線路沿いの通りを並んで歩き、ひとつ目の信号を南に入ったところで、新太が急に立ち止まった。
私はバッグのデザインの話をしていたけれど、新太のいつもと違う様子に口をつぐんだ。
「アンナ」
「ん?」
外灯がやけに明るくて、均整のとれた新太の体を柔らかく包んでいる。
「どうした?そういや、まだ話、きいてないけど」
私がそう言って新太を見上げると、彼は俯いてジーンズのポケットに手を入れた。
もう秋を知らせる風が、新太の黒髪をさらりと揺らす。
「新太、どうしたのよ?変だよ?心配になるじゃん」
私がそう言って新太の真正面に立つと、新太は少しだけ顔を上げた。
「アンナ」
「ん?」
「俺、恋人が出来たんだ」
「へっ?!」
な、何て言った?!今!!
「も、もっかい、言って」
新太は、真っ直ぐに私を見て、繰り返した。
「俺、恋人が出来たんだよ」
コイビトガデキタンダヨ
恋人。
恋人って……誰かの作品のタイトルじゃなくて?
「こ、恋人?」
「そう、恋人」
新太の眼鏡越しの瞳は、澄んでいて綺麗だった。
「そ、そうなんだ」
私は何か返事を返さなきゃと思い、咄嗟にそう言った。
「うん」
お互いに見つめ合い、黙り込んだ。
けれど二人の間に強い風が吹き、私はその冷たさに我に返った。
「よかったね!」
「うん」
「じゃあ……私達、解散だね。
とてもじゃないけど、このまま会い続けられないもんね」
「まあ……そうだよな」
「よかったね!ほんと、よかった。
……じゃあ……ばいばい、新太」
「うん。じゃあな、アンナ」
私達はお互いの家の分岐点で別れた。
そう。
この別れは、私達の『解散』を意味していた。