ふたりの真相
「んっ、あっ……」
「……っ!!」
ぎゅっと抱き締め合いながら、私、白石アンナと中山新太は、大した時間差もないまま、眉を寄せてグッタリと互いに身を預けた。
「なに……?!今日はいつもと違うじゃん」
私は、自分の上で荒い息をする新太を見て、少し笑った。
「そう?昨日、エッチなDVD見たから興奮してたのかも」
「キモ」
「なんだよ、俺がキモい男じゃダメ?」
私はフフフと笑った。
「別に。アンタに何にも求めてないもの。さ、飲みにいこ」
私は、しつこく絡む新太の腕を丁寧にほどきながらベッドから出た。
「はいはい」
新太は軽く微笑むと、独りになったベッドで仰向けに転がった。
「こーゆー時くらい、眼鏡外せば?」
私が呆れながらそう言うと、新太は即答した。
「やだ」
「あっそ」
◇◇◇◇◇
「とにかくね、三崎課長はすっごい嫌な顔すんの!」
「うん、うん」
「デキル女が嫌いなのよね、男は!」
「なるほどな」
新太は私の愚痴を、いつもの焼き鳥屋『鳥姫』で、串をグイッと横に引きながら聞いている。
時々、誰にでも出来る相槌をうちながら。
……こいつ。
私は眼を細めて、出来るだけシラーッとした表情を作りがら、真正面に座っている新太を見つめた。
うつむき加減で、頭を上下に振りながら、うんうん、といった感じで焼き鳥を頬張る新太。
座敷の下から光るお洒落なライトが反射して、眼鏡の奥の瞳は見えない。
「……新太」
「ん?うわっ!なにその顔」
「ちゃんと、私の話、聞いてる?!」
「聞いてる聞いてる」
「だめ!聞いてない!なんか面倒臭そう」
私はムッとして、新太を睨んだ。
「聞いてるよ。三崎課長はアンナの活躍が面白くないんだろ」
「そ!でね、寺田加奈ちゃんにばっか、優しくするの」
「あー、寺田さんね」
「男はね、あーゆー、ウルウルした瞳の、あんまり仕事出来ません系の、迷ってる仔犬みたいな女子が好きなんだよ、ちきしょうっ」
新太が少し咳き込んだ。
「アンナ、めちゃくちゃ言うなぁ」
「だってそーじゃん。男は小さくて『可愛いオーラ』全開の女子に甘い!」
新太は、少し考えるように頭上右をみた。
「アンナだって、黒目デカイし、可愛い系だよ?」
「けど私、あんな会社でウルウルしないよ」
「アンナがサバサバ系なのは、知ってる」
「てゆーかさ」
「うん、なに?」
「新太ってさ、なんか段々、ダサくなってない?」
「えー、そーかな」
新太はモクモクと焼き鳥を頬張り、ボサボサの頭を片手でガシガシとかいた。
……そーかな、じゃねーよ。
私は目の前の、眼鏡の男をシゲシゲと見つめた。
新太……中山新太は、私の同期だ。
お互いに入社三年目で、私達の出逢いは……。
◇◇◇◇
三年前。
「ねえ中山君、趣味は?」
私は同期生親睦会終了後、帰る方向が同じだった中山新太に尋ねた。
50人いる同期達は、3ヶ月の研修期間の後、全国の支店へ配属され、本社勤務は私と新太を入れて20人だった。
中でも新太は背が高くて、一際眼を引いた。
かっこいいと思った。
研修中、誰よりも覚えが早くて業務を卒なくこなし、頭の良さが直ぐに分かった。
この人、いいかも。
顔立ちも涼やかなイケメンだし、私はすぐに新太を気に入った。
だから、新太の事は何でも知りたかった。
「俺の趣味?」
お酒のせいか、新太は瞳にほんのりと色気を漂わせながら、私を斜めから見下ろした。
「模写。画が好きなんだ。なかでも、『岩窟の聖母』は、かなり好きかな。『受胎告知』も好きなんだ」
え?何て言ったの?聞こえなかった。
すぐ横を通った特急列車のせいで、新太の言葉の半分がかき消されたが、私は頷いて話を合わせようとした。
「あ、私知ってるよ!昔、お祖母ちゃんが歌ってた」
「えっ?」
「『岩壁の母』でしょ?!」
「え。俺は『岩窟の聖母』って言ったんだよ。絵画だよ」
へっ!?何それ?がんくつのせいぼって、なに?!
「岩窟の聖母はね、空気遠近法が使われてるんだ。レオナルドの」
やだ、わかんない。
くうき、なんだって?
空気砲じゃなくて?
波動砲かっ?
そりゃ、宇宙戦艦ヤマトだ、もっと違うな、多分。
私は必死で食らいついた。
「あの人、多才なんだね!俳優業だけでなく」
「俺が言ってるのは、レオナルド・ダ・ビンチなんだけど。君が言ってるのはハリウッドスターだろ?」
……っ、どうしよう。
赤くなって俯いた私を、新太は立ち止まって見つめている。
やだ、めちゃくちゃ恥ずかしい。
私、芸術なんて興味ない。
レオナルドといえば、普通はレオナルド・ディカプリオでしょ!?
大体、画なんて、1枚何千万円とか、何億円とかするらしいし、私からすればそんなの高すぎる。
ぼったくりバーか。
いや、違うのは分かるけど。
……ちょっと待てよ、もしも中山新太と付き合う事になったとしても、これはキツいんじゃ……?
趣味が絵画だかなんだか知らんが、私はほんと、興味ない。
レオナルド・ディカプリオは好きだけど、レオナルド・ダ・ビンチは、好きじゃない。
「今やってるのは、ミレーの落穂拾いの模写だよ」
はあー?
「何をしてるって?」
新太は軽く眉をあげた。
「模写だよ」
「模写って?」
「真似て描くことだよ」
…………そんなの何が楽しいの。
ダメだ、無理だ。
私は中山新太と恋人同士になった状況を思い描いた。
『アンナ、今日は油絵の具を買いにいこう。あ、そういや模写用の画用紙が切れてたんだ。それに、次の休みは美術館巡りをしない?』
……立ったまま、寝るわ!
ゾッとします!
無理だ、絶対無理。?
私はハーッと息を吐き出すと、大きな声で言った。
「やめたっ!」
「えっ?!」
新太は首をかしげて私を見つめた。
「やめたって、なにを?」
「アンタを狙うの」
「は?」
私は頭を左右に傾けて、バキバキと首を鳴らした。
それから背の高い新太を見上げて、再び口を開いた。
「実はね、中山君の事、いいなーって思ってずっと狙ってたの。
けど、もうやめにする。わたし、画も模写もレオナルド・ダ・ビンチも全然興味ないし、合わせることも不可能。
やっぱ、付き合うなら趣味が合う人のがいいでしょ。とゆーわけで、これからも同期として仲良くいようね。同じ本社勤務だし、友達として、よろしく!」
私がこう言うと、新太はポカンと開いた口をゆっくり閉めて真っ直ぐに私をみつめた。
「◇◇◇◇◇◇」
新太の口が動いたけど、列車がけたたましく通過して、またしても私の耳には届かなかった。
「なに?!聞こえなかった」
「別に、大した事じゃないよ」
「じゃあ、帰ろっか」
「送るよ」
◇◇◇◇◇
私は三年前と今の新太を比べながら、眉を寄せた。
「普通はさ、段々かっこよくなるもんじゃない?確か入社したての頃は眼鏡じゃなかったよね?」
新太はチラッと眼鏡越しに私を見て、再び串に手を伸ばした。
「コンタクトレンズが痛い。合わなくなったんだ」
「髪の毛だって短くて爽やかだったのに」
「これが気に入ってんの」
「ダサ」
「いーだろ別に」
「そんなダサ男、彼女出来ないよ?」
私がそう言うと、新太は串を持つ手を止めてそれを皿に置いた。
「俺に彼女が出来たら、もう会えないよ?」
「当たり前じゃ!私に男が出来てもしかり」
「まあ、最初からそーゆー話だからな」
「うん」
そうだ。
私たちは同期で友達だ。
けど、友達以上の事もする。
いつからこんな関係になったのか。
……実は私、ハッキリとは覚えていない。
私は新太を『恋愛対象外』とした瞬間から、完全に男として見るのをやめてしまったんだよね。
向こう……新太は多分、最初から私を女としては見てなかったように思うし。
なら、どうして私達は身体の関係になってしまったのか……。
新太と私のマンションは眼と鼻の先だ。
『ねえ、今日買い出し行く?私、残業なんだ』
『行くよ。欲しいものLINEしてきて。買っといてやるから』
『新太ぁー、私、今晩合コンなんだけどさー、駅まで迎えに来てー』
『困ったヤツだなー。その代わり次の日、俺の買い物付き合ってよ。眼ぇ付けてるイーゼルがあるんだ』
『新太、背中と肩が、死ぬほど痛い。揉んで』
『ババーか、お前は。まあ、いいや。一緒にニンニク食ってくれたら』
『いいよ!ニンニク大好き!酒も好きだし、男のイイ身体も好き!』
『じゃあ、嫌いなモノは?』
『甘い物!スイーツ大嫌い!』
『アンナは、変わってるな』
『新太もね。ダサいし』
本当に良く覚えてないけど、暑かったのは覚えている。
何度目かの、ふたりでご飯を食べた夜だった。
その暑い夜、初めて新太と肌を重ねた。
二人とも酔っていたけど、しっかりしていた。
『おはよ。飯食ったら行くよ?俺の買い物』
『はいはい』
私達は何食わぬ顔で出掛けたと思う。
そう、『寝た』事なんて、何でもないと言ったように……。