April 9th
四月九日。希は右手で軽くぼさぼさになった頭を掻きながら左手で自室の窓を開けて顔を出してみる。昨日は何だったんだろう。太陽の眩しい光を顔に浴び、瞳を細めながら思った。気持ち悪い昼の天気、大きな狼、氷漬け……そうか昨日の出来事は嘘、全部俺の幻覚だったんだ。疲れてあんな風に見えてしまってたんだ。そうだ、昨日の出来事は全部嘘だ!幻だ!……そのはずなのに身体中がまだ痛かった。狼に飛び掛かられて吹っ飛ばされて背中を地面に強くぶつけて……いや、夢だ。幻だあんなの。自分は体力がそんなに無い方だ。きっと運動不足なんだ俺は!
「……早く支度しよう」
窓から顔を出したままずっと黙って心の中で大騒ぎしていた自分が恥ずかしくなったのか、希は真顔で顔を引っ込めるとぼさぼさの頭を右手で掻きながら寝間着を脱ぎ、ハンガーにかけてあった制服を手に取り着替え始めた。着替えている最中、身体を捻ったりすると少し痛んだ。……やはり昨日の出来事は本当だったのだろうか。痛んだ瞬間着替える手を止めて下唇を少し噛みながら考え、少しの間銅像のように動かずに考えていたがまた着替える手を動かし始めて着替え終えると学校の鞄を持って自分の部屋から出て、リビングへと向かう。
「おはよ……あれ」
リビングの扉を開けながら、もう起きてリビングにいるはずの家族に声をかけようとした。だが誰もいなかった。辺りを見回すが父の姿も、母の姿も無かった。さては、と希はリビングに入っていつもご飯を食べる時に使う大きなテーブルに近づいた。テーブルにはラップにかけられたおかずが乗った皿とおにぎり、そして一枚のメモが置かれてあった。希はメモを手に取ってみる。
『希へ 今回はいつもと違って凄い長期間家を離れなきゃいけなくなりました。どうも最近起こってる事件が影響してるそうで色々な問題が発生してます。しばらく帰れそうにないのでよろしくお願いします。ちゃんとご飯食べたり身体に気を付けてね。あとさっき仕事に影響してる事件だけど希も気を付けてね、最近数がどんどん増えてるみたいだから 母さんと父さんより
PS,朝ごはんはちゃんと作りました。しっかり食べて元気にいってらっしゃい!頑張れ高校生!』
「……やっぱり」
メモに書かれたメッセージを見て唸りながら苦笑する。両親はいつも忙しい。仕事の関係で家に帰らず別の地域や県に行ったり、時には海外に行ったりもする。両親が家を空けている時、希は仕事だから仕方ないといつも思っているがやはり寂しい。しかも凄い長期間と来たか。希はこれから一人でしばらくどうやって生活するべきか、と考えながら椅子に座っておかずが乗った皿にかかったラップを取り、それからテレビのリモコンを取ってテレビをつける。つけた途端映ったのは朝のニュース番組だった。
【続いて、最近起こっている変死事件についてです。昨日また、夜満兎町で新たな犠牲者が発見されました】
そしてニュースの内容に口の中に入ったおにぎりを噛むのを止め、ゆっくりめに飲み込んだ。一旦食べるのを止めてテレビの画面を睨み付けるように内容を見てみる。
【遺体は腕や足、脇腹や胸などをまるで獣によって食い千切られたかのような跡があり、現在遺体の身元を調べています】
ニュースキャスターが内容を喋る。また変死事件か、と希は青い顔をしながらおにぎりをまた一口食べた。自分が暮らす町、「夜満兎町」では最近何故か分からないが変死事件が多発しているのだ。ある時は焼け焦げた死体、ある時は白骨化したもの、遺体が手だけのものや首から上だけのもの、首から上がないもの、地上にいるのに溺死している人、身体が溶けたような遺体、縦に真っ二つにされた死体など、色んな変死した人達がいた。昨日もまた新たに犠牲者が出たらしい。一体誰がこんな酷い事をするのだろうか、その人の心や精神を疑う。希はテレビの画面をじっと見つめながら箸を持ち、皿に乗ったウインナーを一口かじった。
「……もしかして、昨日の出来事が……関わって」
ニュースの情報を聞きながら昨日の事を思い出し、思わずぽつりと呟いてしまう。いや、違う。昨日は疲れもあって幻が起きたんだ、幻覚だあれは。あんな漫画やアニメとか、そういう物語みたいな事が現実に起きるはずがない。希は少し冷や汗を流しながらそう言い聞かせて朝食を食べ終え、食器を台所へ運ぶ。それから歯を磨いたり髪の毛を整えたりする為に洗面所へ向かう。鏡の前に立ち、髪の毛を整えながら歯磨きを始める。水を口に含み、ガラガラと音を立ててうがいをして含んだ水を吐き出した。それから深く息を吐いて鏡に映った自分の顔をじっと見つめる。
「……アニメや漫画の見過ぎ、ゲームのし過ぎだよ。俺は」
鏡に映る自分の顔を見つめながら呟くように言った。それからまた小さく息を吐くと洗面所から出てリビングに戻ると学校鞄を掴むように持ち、リモコンを空いてる手で持ってテレビの電源を消してリモコンをテーブルに置く。リビングを出て、玄関へ。そっとしゃがみ、靴を履くとゆっくり立ち上がって鞄を握り締める。
「……今日も元気に行ってきますっ」
そう呟くように言いながら玄関の扉を開け、外から鍵をかけて学校へと歩き出そうとした直後。躓いて転んだ。ぶへっ、と変な声を上げながら顔面から転んでしまう。うつ伏せに倒れていたがすっと身体を起こす。
「こんなんで今年大丈夫なのか、俺」
希は一人でまた呟き苦笑しながら立ち上がり、制服についた小石などをぱんぱんと払ってまた歩き出したのだった。
「いった……顔面からいったしなぁ」
ぶつぶつと呟きながら顔を軽く擦りながら前方に見えてきた今日から自分が通う高校、夜満兎高校へ歩く希。既に自分以外の他の生徒達もちらほらと歩いていた。今日から高校生活が始まる。今日も一日頑張らないと。希は心の中でそう呟きながら夜満兎高校の校門を通っていく。玄関に着けば上履きに履き替え、自分の教室を目指す。階段を上がり、三階まで上がると教室の名前が書いてある板を見ようと見上げながら歩く。と、ここで立ち止まる。『一年A組』と書かれた板がついた教室の扉の前で頷いた。
「……ここだ、俺の教室」
希は頑張るぞ、と心の中で呟きながら一年A組の教室の扉を開けて入ったのだった。扉を閉めて少し経つと「すみませんでした!!」と希の声が聞こえて扉が開き、早歩き気味で一年A組の教室から出てきた。希の顔は何故か真っ赤だ。
「間違えた、もう一つ隣だった俺の教室……!!」
どうやら自分の教室を間違えたらしい。恥ずかしさのあまり口元を手で隠しながら隣の教室、一年B組の教室の扉の前へすたすたと歩いて立ち止まる。
「ダメだなぁ俺。……今度こそ」
はは、とまだ少し赤い顔のまま苦笑しながら一年B組の教室の扉を開いた。一年B組の教室には既に自分以外の多くの生徒達がグループになって話していたり、机に突っ伏して寝ていたり、自分の席に座って読書をしていたりしていた。希が入ってきた途端、一つのグループを作っていた女子達が希の姿を見るなり睨み付けてきた。希が自分の席へ向かっている途中そのグループの女子達は希を睨み付けながらひそひそと喋り始める。希はその女子達が自分を睨み付けて何を話しているかはもう分かっていた。あの女子達は小学校の時から一緒のクラスだ。中学の時も、そしてここでも。今自分の悪口を喋っているんだろう。
「おお、希。おはよう。元気か?」
「具合とかどうだ? 昨日はよく眠れたか?」
「高校は中学校とは大分違ってくるからな、何かあったら言えよ? 無理とかもしないようにな?」
自分の席の机に鞄を置くと数人の男子が声をかけてきた。男子達はどうも希に気を遣っているような雰囲気だった。彼等もまた、先程のグループの女子と同様小学校、中学校でも何回か一緒のクラスになってたりする。実際、希が通っていた小学校中学校で知っている男子も女子もほとんどがここの高校に入学した。様々な新しい出会いがあると思っている男子や女子もいるかもしれないが、あんまりないかもしれない。
「うん、俺は大丈夫。ありがとう、皆」
希は苦笑しながら男子達にお礼を言った。彼等が自分に気を遣っている事も希は知っている。彼等は中学の時から自分に気を遣っているのだ。男子達は「何かあれば言えよ」とか「また高校生活頑張っていこうな」と声をかけながら離れていく。それを見送ってから希ははあ、と困ったような笑みを浮かべながらため息を吐いた。
「今日は躓くような事がある。気を付けておけ、希」
すると隣から声をかけられる。振り向くと、隣の席には普通より少し長めの黒髪できりっとした整った顔立ちの男子が本を閉じてこちらを振り向いた。
「躓いたってか、今朝玄関出て歩き出そうとした直後転んだよ」
「……そうか、ならすぐに教えておくべきだったな。ケガは無かったか?」
その男子に向かって希は苦笑しながらそう言うと、男子は腕を組みながら少し困ったような心配そうな表情になって希の顔を見つめながら聞いてきた。その様子を見て小さく笑いながら希は言った。
「大丈夫だよ。問題ない。ありがと、椿」
希にそう言われた男子、手塚椿も小さく笑いながら頷く。希と椿は中学一年の時に知り合って仲良くなった。椿は他の男子達とは違ってどんな時でも親身に接してくれる。よく色んな話をしたり、遊びに出掛けたりした事も何回もある。
「そういえば昨日もまた変死事件があったとニュースで出たな」
「ああ、今度は腕とかを獣が食い千切ったような跡があったって……おかしな死に方ばっかりだ。どんなやり方で人を殺してるんだ……」
「……本当に全て不自然なものばかりだな。前の変死事件では海からも川からも遠く離れた道路の真ん中で溺死した人間、縦に一刀両断にされた死体があって凶器は見つからない……成人男性の身体を縦に一刀両断にするんだ、凶器は相当デカいものだろう。アニメや漫画などでよく見る大剣やギロチンなど、な。その凶器がまだ見つかってないと」
ここで最近起こっている変死事件の話になった。椿は両肘をついて口の前で手を組みながら瞳を細めてぶつぶつと喋り始める。一体何が起こっているんだ、と椿は深く考え込んでいた。
「まさか、アニメとか漫画とか、ゲームの世界にあるような魔法とか武器を使う人が犯人とかじゃないよな。流石に……有り得ない、よね」
希が若干青い顔をしながら恐る恐る聞いてみる。椿は口の前で手を組んだまま振り向く。
「有り得るかもしれない。起こっている変死事件は本当におかしな死に方ばかりだ。アニメや漫画、ゲームの世界にいた奴が変死事件を起こしているのかもな」
希が言った事に対し、椿は真剣な表情のままそう返した。有り得るかもしれないってそんな、アニメや漫画、ゲームの世界にいたような奴が犯人なんて有り得る訳が、と思っていたがここで昨日の出来事をまた思い出す。自分で幻覚だの言っていたあの大きな狼の化け物。あの大きな狼の化け物なら食い千切ったり出来るかもしれない。……でもどうだろうか、流石にこんな事信じてもらえないだろう。それに昨日みたいな出来事が普通起きる訳がない。昨日の出来事は疲れで見てしまった幻覚かもしれない。でも。いや。心の中でまたぐるぐると考え込み始めた希はぽつりと椿に言った。
「……椿、俺昨日さ。幻覚かもしれないけど信じられない出来事にあった」
「……どうしたんだ。昨日何があった?」
希がぽつりと言った事に椿は瞳を一度見開き気味にしてからまた細めるとじっと心配そうに希の顔を真っ直ぐ見つめながら聞いてくる。希も椿の顔をじっと見つめるが自信の無さそうな情けないような表情を浮かべてそっと視線を逸らした。
「その。……信じてもらえないだろうけど」
「信じる。お前の嘘を言う時と本当の事を言う時はすぐに分かる。……その様子だと嘘じゃないんだろう。俺は信じるぞ、希」
信じてもらえないだろうけど、と言うとすぐに椿はそう返した。真っ直ぐ希を見つめて、真剣な表情でハッキリと言った。希は驚いたような表情になって椿をまた見つめる。
「……信じて、くれるのか?」
「ああ、当たり前だ。さっきも言ったが、お前の嘘なんてすぐに分かる。お前は嘘をつくのが下手だからな。……最近では半分ずつチョコを食べるつもりだったのにお前は多く食べて「ちゃんと半分だけ食べた」と言っていた嘘もすぐ分かったぞ」
椿は小さく笑みを浮かべながら頷き、それからまだ笑みを浮かべながら瞳を閉じてそう言った。最近、二人で近くのコンビニに行ってお菓子を買った時の事だ。それを聞いた希は驚いた表情から和んだように少し笑みを浮かべる。
「……やっぱバレてたんだ」
「バレバレだ。よくもいっぱい食べてくれたな? あのチョコは好きだったんだがな」
「ごめん、俺もあのチョコ凄い好きだったから」
「ふふ、そうか」
二人で楽しそうに笑い合う。少しの間笑い続けてからまだ少し笑みを浮かべたまま椿は口を開いた。
「では、教えてくれ。昨日何があったか」
「うん、わかったよ。ありがとう。昨日……」
昨日の出来事について話そうとした時。HRの開始を告げるチャイムが鳴ったと同時に教室の扉が開いた。