April 11th
「起きなさい。休みだからといって寝過ぎよ」
次の日。ノックをせずに神奈は希の部屋の扉を開けながらそう声をかけた。希は突然ドアが開いたのに気づき驚いて跳ね起きる。瞳を大きめに見開いて自分の部屋の前に立って呆れたような様子でいる神奈に視線を向けた。
「……ノックぐらいしてよ……!」
「ノックをする必要もないでしょう、どうせ貴方は隠すような物も無いんだから。……それとも何? 私に見つかったら面倒な物でもあるのかしら?」
「無いよそんなの……! というかそっちは『部屋に入る時はノックをして「いい」って言うまで開けちゃダメ』って言った癖に俺の部屋に入る時はノック無し問答無用で入るの!? それするなら俺もノックせずにずかずか入るよ!?」
「やってみなさい。もしやったら殺すわ」
色々言い返そうとしたがこの一言で希は黙り込んだ。神奈の目は呆れたような目から一瞬で全てを凍りつかせそうな程の冷たく鋭い目になった。めちゃくちゃだ、と希は呟きながらベッドから降りて伸びをする。伸びを終えてから充電器につなげたままの自分のスマホを手に取り時間を確認してみた。時刻は午前10時を少し過ぎたところだった。今日は土曜日だ。希は欠伸をしながらまたもう一回伸びをしてから腕をだらん、とさせた。それから神奈に振り向く。
「……起きるよ。あと着替えるから部屋出ててよ」
「ええ、分かったわ」
そう言うと神奈は仕方なさそうな様子ですたすたと希の部屋から出て行った。ふう、と希はため息を吐きながら寝間着を脱いで支度を始める。
昨日から神の一人である少女、神奈との同居生活が始まった。まさかこの歳で同い年と二人っきりの同居生活が始まるとは。いや、神奈は同い年ではなく自分よりも物凄く年上だ。神奈の歳は1600歳、希の歳の100倍である。……入院中に色々あったため、希はもう神奈の年齢とかについてはもう何も聞いたりそれに関係するようなワードは言わないようにしている。もし言ったりすれば自分の命がどうなる事やら。希は神奈の事で色々考えながら支度をするのであった。
「貴方は色々知っておかなければならない事が山ほどあるわ。今から私が教えてあげるから、しっかり覚えなさい。いいわね?」
支度を終えてリビングに来るとソファーに脚を組んで我が物顔で座っている神奈にそう言われた。希ははあ、と返事のような声を漏らしながら神奈と向かい合うように床に座る。確かに自分は契約者にはなったが知らない事だらけである。希は床に座ったまま頭を掻いてじっとソファーに座っている神奈を見つめた。神奈は改めて息を小さく吐いてから口を開く。
「まず貴方の契約魔物のフェンリルについてよ」
「あ……そういや何処に、」
そう言われ、希は思い出したようにはっとなって辺りを見回そうとしたがいつの間にかフェンリルが自分のすぐ隣でお座りをしていた。かなりびっくりしたのか希はうわあっと大き目の声を上げながら跳ねるように下がる。フェンリルはお座りをしたまま顔だけこちらに向けてじっと見つめてきた。希は何とか体勢を整えて膝立ちで近づき直しながらまたフェンリルの隣で神奈に向き直る。
「この通り、契約魔物はいつでも一緒にいる事が出来るわ。今みたいな『召喚呼び』も出来るし。契約者と契約魔物の距離が離れていてもこうやって瞬時に呼び出せるわ」
「な……なるほど」
希はフェンリルの頭を控えめに撫でながら神奈に視線を向けて話を聞く。
「そして、フェンリルと契約して何が出来るか。まず貴方は武器として刀を召喚したわね?……今、出せるかしら?」
「今?……どうするんだっけ、あの時は突然出た感じだけど」
「戦う、っていうイメージを頭の中に浮かばせるの。自分は今から戦う、っていうイメージよ」
神奈に言われるがままに希は頭の中で戦う、と思い浮かべた。自分は今から戦う、これから魔物と戦う……と、だんだん自分の右手に黒く細長いものが煙を立てながら現れ始めた。希はそれを見て驚きながらも意識を戦うという事に集中させていく。黒い煙を立てながら次第にそれははっきりとしていき、続けていくと黒い煙は飛ばされて霧が晴れたようになれば黒く細長いものは刀へと変わっていた。
「……しっかりとした形になるのが遅かったわね。まあ、契約者になりたてであるのと本当に戦っている時ではないからかかったのでしょうね」
「ああ……あの時はそうなのかな」
神奈の言葉を聞いて希は声を漏らす。あの時、教室での出来事だ。確かにあの時は命懸けの戦闘中だった。敵狼、ガルムを倒さなければという思いが常にあったからすぐに刀が召喚出来たのだろうか。希はそう思いながら自分の手に召喚された刀を眺めた。
「その刀を使うだけでも充分戦えるけれど、敵によっては通用しない事もあるわ。そのためにはまず今どんな事が出来るかを知らなければならない。……外に出ましょう」
希を見つめながらそう言って神奈は立ち上がり、すたすたとリビングから出て行く。希は慌てて刀を両手で持ったまま神奈の後を小走りで追い掛ける。神奈は玄関で靴を履いており、自分も靴を履こうとしたが持っていた刀を思い出し、どうやって消そうとおろおろしながら眺めてから「消えてくれ」と心の中で思い浮かべると刀は黒い霧のようなものをぶわっと少量広がらせるようにして消滅した。これでよし、と希は頷いて自分も靴を履く。
「どうやって知るんだ?」
「決まってるでしょう、まずは体験するの。その中でどう動くか、契約者としての力をどう使うか。丁度ここにいい練習相手がいるじゃない」
神奈の言葉を聞きながら玄関の扉を開けた、途端。何かが自分の目の前を物凄い勢いで通り過ぎて行ったのが分かった。希は家から飛び出し、通り過ぎた方向に視線を向けた。希はそれを見て瞳を見開く。視線の先には蛇のような尻尾を生やした大きな雄の鶏が自分の家の庭をうろついていたのだ。大きさは明らかによく見る鶏よりも大きい。大きさはコウテイペンギンくらいだろうか。
「あ、あれってまさか……!」
「魔物よ。丁度タイミング良く来たものだから是非ともあの魔物を実験相手に試してみなさい。因みにあれは『コカトリス』と言って気性はかなり荒い魔物よ。殺されないように気をつけなさい」
希は唖然としながら蛇のような尻尾を生やした雄の鶏の魔物、コカトリスを見ていたが自分の後ろにいた神奈にそう言われると慌てて自分の手に刀を召喚させようとする。今度はすぐに刀が自分の手に召喚された。
「そんな呑気に言わないでよ、こっちは命がけなんだから……!」
刀を両手で握り締めながら小さく文句を言い、警戒しながらコカトリスにゆっくりじりじりと近づいていく。コカトリスはどうやらまだこちらには気付いていないらしく、希に背を向けたまま蛇のような尻尾を引き摺りながら庭をうろうろと歩いていた。どんどん距離を縮めていく。もう少しで刀が届く距離になる。届く距離になれば、刀を大きく縦に振り下ろす。そうしよう。希は息を呑み、足音を立てないように近づきながら刀を握り締めて大きくゆっくり振りかぶった。……ここだ!
「言っておくけれどコカトリスは強力な毒を持っているわ。斬った瞬間傷口から毒が噴き出す事もあるわよ」
「何でそれを先に言わないんだよ!!」
神奈のぽつりと言った言葉を聞いて希は慌てて刀を振り下ろそうとするのを止めて大声で叫ぶように言いながら急いでコカトリスから走り離れた。ここでコカトリスも希の大声に気づいて素早く振り向き、翼をバタバタと乱暴にバタつかせてそのまま凄いスピードで駆け出し、庭を出て道へと走り去って行ってしまう。
「あ、ああ! 魔物が! 魔物が逃げた!」
「……貴方が大声を出すからでしょう」
「どうして毒噴き出すって情報先に教えなかったの!? 俺を殺す気!?」
「いいから早く追い掛けるわよ、それとギャーギャー騒がないでもらえるかしら。うるさいのは嫌いなの」
そう言いながら神奈も家から出ていき道へと出た。希はがっくりと項垂れるも何とか自分も後から続く。コカトリスの逃げた先を見てみると、もうコカトリスはかなり遠くの方で翼をバタつかせながら走って逃げていた。
「このままでは逃げられるわ、流石に走りだと追いつかないし。……あら?」
神奈は少し呑気そうに遠くを走り逃げるコカトリスの姿を眺めていたがフェンリルの短い吠えに気づき後ろを振り向く。後ろにはいつの間にかフェンリルがお座りをしていた。希はフェンリルに近づこうとすると、突然フェンリルの全員が黒い霧のようなものに包まれ始める。顔も黒い霧のようなもので包まれフェンリルは見えなくなった。それから少し経つと、またぶわあっと黒い霧のようなものは飛ばされるように晴れた。
「フェンリル、どうし……あれ!?」
黒い霧のようなものが飛ばされてから希はフェンリルに声をかけようとしたが驚く。そこにはフェンリルの姿はなく、代わりに一台の真っ黒な大型バイクがあった。どうやらフェンリルがこの大型バイクに変身したらしく、吠えているのか大型バイクはブゥオォォンッとエンジン音を鳴り響かせた。
「……なるほど、バイクになれるのね。これはいいわ。乗りましょう」
神奈も少し驚いたようにそう呟けばバイクフェンリルに跨りハンドルを握り締める。しかし希は乗らずにバイクフェンリルを見つめながら頭を掻き、ぽつりと聞いてみた。
「……神奈って免許持ってるの?」
「何言ってるの、持ってる訳ないでしょう」
「無免許ライダー!? 俺も持ってないよ!?」
即答の神奈に希は声を上げる。神奈はそんな彼の様子を見て呆れ、希の着ていた服を首元をぐいっと引っ張って希の顔をこちらに近づけさせた。
「無免許がダメなら私も貴方のように乗らないわ。けどバイクに乗らずに追い掛けた事でその間にコカトリスは何人食い殺すのでしょうね?……気性も荒いからかなり食べると思うわ? 貴方はルールを守って人が死んでいくのを黙って見ていくと言うのね?」
「そんな事言ってないだろ……!! 誰が見捨てるか……!!」
自分の首元を引っ張ったままつらつらと話す神奈の肩を掴み、引っ張る手を離させると自分はその後ろに跨った。
「あら、意外と素直なのね」
後ろに跨ったのを見て神奈は他人事のように呟くように言う。希は苛立ったように深くため息を吐いた。
「……さて、どれくらいスピードが出せるのかしら」
神奈がそう言い終わる前にバイクフェンリルはいきなり猛スピードで走り出す。思わず希は神奈の腹に腕を回して後ろから抱き締めるようにしがみついた。速い、速過ぎる。希は神奈にしがみついているが今にも振り落とされそうだ。猛スピードのまま右に、左に方向転換していく。その度にがっくんがっくんと身体が大きく揺れる。
「もう見えてきたわ。あの様子だと誰も人を襲っていないようね」
猛スピードでバイクフェンリルを走らせながら神奈は平然としたように答える。どうやらコカトリスに追いついたらしい。もうすぐこの暴走スピード地獄から解放されると分かると少し安心しかける。
「今停めるわ。しっかり掴まっていなさい」
「え」
また神奈は言い終わらないうちにバイクを勢いよく傾けさせるようにしながら乱暴気味に急ブレーキをかけた。安心しかけたのと突然だったためか、希は急ブレーキをかけられた瞬間バイクフェンリルから放り出されるように吹っ飛ばされて地面に叩き付けられ転がる。
「い、っ……!!」
たい、と言い掛けながら地面に仰向けになろうとするが倒れている自分に猛スピードでコカトリスが向かってきている事に気づき、全身の痛みに耐えながらふらふらと立ち上がっては転び転がるように避けた。痛い。物凄く全身が痛い。先程バイクで猛スピードからの急ブレーキによって地面に放り出されて叩き付けられたせいだ。痛くて動けないとも思ったが案外動ける。……痛いが。
「ど、どう戦えばいいの!? 傷口から毒噴き出してくるんでしょ!? 接近戦じゃ明らかに危ないよね!?」
「飛び道具を使いなさい。貴方の様子を見てきたけど飛び道具系の魔法が使える属性と見たわ。色々自分で試したりしてみなさい」
また無茶苦茶を、と希は言いかけたがまたもやコカトリスは翼をバタつかせて猛スピードで突進してきた。よろよろと走って希は回避すると一旦右手で刀を持って左手をコカトリスに向かって突き出し、「何か出ろ」と何度も心の中で叫んだ。……出ない。
「何にもないよ!? 何にも出来ないよ!?」
希は大声を上げて神奈に言うが神奈は腕を組んでバイクフェンリルに跨ったまま戦っている様子を眺めているだけだった。希は歯を食い縛りながらまたコカトリスの突進を避ける。どうすれば出る!?希はコカトリスの突進を何回も危なっかしい動きでよろよろと避けながら左手を自然と力を込めて握り締めた。そしてまだ「何か出ろ」とまた心の中で何度も叫ぶ。そうしているとまたコカトリスは方向転換をして翼をバタつかせながらまた突進してきた。
「もう、頼むから何か出っ!?」
ヤケクソ気味になりながら力を込めて握り締めていた左手を広げながらコカトリスに突き出した、と同時に左手の掌から真っ黒い炎のような球体が勢いよく発射され、それはコカトリスの胴体に命中して消えた。コカトリスは翼をバタつかせてその場でもがくように暴れる。
「……出てきた」
暴れもがくコカトリスの姿を見つめてから真っ黒い炎のような球体を発射した自分の左手の掌を唖然としながら見つめる。ここでコカトリスは落ち着きを取り戻し、また翼をバタつかせながら希に猛スピードで向かってきた。
「これはいける……!」
希はそう呟きながらまたふらふらとコカトリスの突進をギリギリ回避しながら自分の左手を握り締めて力を込め、また「何か出ろ」と心の中で何度も叫ぶ。
「感覚は覚えたっ……!!」
コカトリスの突進攻撃を何度も回避しながらそれを続ける。続けていると握り締めている左手が黒い炎のようなオーラを纏い始めた。これは強い威力に期待出来そうだ。希はそう思いながら左手を握り締めたまま、方向転換をしているコカトリスに向き直った。
「……ッ、食らえっうわあっ!!」
方向転換をしてこちらにまた突進をしてきたコカトリスに向かって左手を広げて突き出した。それと同時に先程出したものよりも大きな黒い炎のような球体が先程よりも速いスピードで左手の掌から発射された、が。発射したと同時にその反動のせいか希は後ろへ大きく吹っ飛ばされて地面を転がる。地面を転がりながらもコカトリスに視線を向けてみると、速いスピードで先程放ったものよりも大きな黒い球体はコカトリスに命中した。コカトリスは甲高い鳴き声を上げながら翼をその場でバタつかせてもがき暴れてからゆっくりと倒れた。それからすぐに倒れたコカトリスの全身から黒い煙が音を立てて噴き出し始め、黒い煙はコカトリスの身体の上で浮遊する光り輝く綺麗な白い球体、ライフエナジーとなっていく。少し経つと黒い煙は止んでコカトリスの身体も消滅した。
「……やった」
希は倒れたままコカトリスがライフエナジーを残して消滅したのを見てほっと一息をついた。いつの間にかバイクから元の姿に戻っていたフェンリルが飛び出し、その場で浮遊するライフエナジーを一口で飲み込む。
「今出したのは流石に溜め過ぎだったようね。いえ、本当は耐えられるはずだったけど貴方が貧弱過ぎるせいなのか。……その両方かしらね」
倒れている希に神奈は腕を組みながら喋りつつ歩み寄ってきた。希はまた少しむっとしながらも神奈に視線を向ける。
「今の攻撃が飛び道具のようね。多分、あれ以外にもまだ使える魔法があるかもしれないわ。それをどう習得するかは貴方の力次第よ。……まあ、貴方にしては頑張った方かしら。今日はもうこの辺で帰りましょう」
「……その前に、まず病院寄りたいんだけど……」
腕を組みながらそう言って身体を起こそうとする希に背を向け、歩き出した神奈にふらふらと立ち上がろうしながら希は弱弱しい感じの声で呼び止めようとする。
「なら私は先に帰っているわ。貴方はフェンリルが変身したバイクに乗って向かって頂戴」
神奈は立ち止まる事無くさっさと歩きながらそう言った。そんな、と希は呟くように言って神奈の後姿を見送る。それから隣で待機していたフェンリルにちらりを視線を向けてみる。フェンリルはもう既にバイクに変身していた。
「どうやって運転するんだろう……」
そう呟きながらよろよろと何とか立ち上がってゆっくりとバイクフェンリルに希は跨る。神奈は運転していたが自分はさっぱり分からない。どうすれば……と希は考えているとバイクフェンリルが勝手にゆっくり僅かに進んだ。びっくりした希は小さく跳ねてからバイクフェンリルにしがみつこうとした。
「……え、もしかして自分でも動けるの?」
そうぽつりと聞くと返事をするかのようにバイクフェンリルはエンジン音を鳴り響かせた。どうやらフェンリルの意思でもバイクを運転する事が可能らしい。
「……慣れるまでちょっとフェンリルが運転してくれないかな。すぐ自分で運転出来るようにするから。行先は俺が運ばれた間木花病院でお願い」
少し申し訳なさそうにそう頼んでみるとバイクフェンリルはいきなり走り出す。神奈が乗ってる時に出したスピード程ではないがこのスピードも自分にとっては物凄く速く感じた。
「あ、あと安全運転! 安全運転!!」
希は半ばバイクフェンリルにしがみつくような形になりながら「間木花病院に行ったらあのホモな医師、島田仁がいる」という事よりも今は「自分はバイク運転に慣れるだろうか」という心配をしながら希はため息を吐きつつ間木花病院へと向かったのだった。