乙女恋愛ゲームを脱出しろ!
川中 真、26歳。
現在、異様に可愛い制服を着用し、異様に整備された中庭で途方に暮れています。
この景色は知っている。なのに私は混乱していた。何故なら、この景色は現実にあってはならない景色だからだ。
異様に派手で大きな噴水、季節を問わず咲き誇る花々。道の一遍まで綺麗に整備され、高級ホテル顔負けの美しさを保った中庭。これまたホテルを思わせる美しい建物は校舎だ。
呆然と立ち尽くしている私の恰好は、万人が着るはずなのに着る人を選ぶタイプの制服。可愛らしい膝上のチェックのスカートに、何故か丈の短いジャケット、裾の長いシャツにこじゃれたタイ。色合いも、普段では絶対選ばない明るめの組み合わせ。足元は、何故かブーツにニーハイ。
足が太い、腰が太い、肩が張っている、二の腕が太い。女の子が万年抱える体型の悩みに真っ向から喧嘩を売ってくるタイプの服装だ。当然私もそこに入る。やばい、心なしかぱつぱつな気がする。ちょっと肩が動かしにくい。
噴水を覗き込んで自分の様子を確認してへこむ。でも、はっと気づいてもう一度噴水を覗き込む。なんか水底までキラキラ綺麗だけれど、今確認しなければならないのはそこじゃない。
「これ、高校生くらいの時の…………」
若返ってる。物凄く変わったわけではないけれど、心なしかあちこち幼い。毎日見ていると気づかないものだけど、やっぱり違うんだな。お肌ぺかぺか! 顔つき平凡!
変わらないものは変わらない。
再度落ち込んでいると、鈴を転がすような女の子達の声がしてきた。状況は全く分からないけれど、不審者として捕まるのだけは避けたい。
私は、とりあえず中庭から走り去った。
「うんうん、週末帰るよー。え? 分かってる分かってる。分かってますって」
会社の休憩時間を見計らってかかってきたのは、妹からの電話だった。お昼ご飯を食べて柚子蜂蜜を飲んでいた私は、テレビを見ている人の邪魔にならないよう席を移動する。隅っこを探すと、観葉植物がででんと置いている辺りが空いているようだ。
低いヒールを鳴らしながら、零さないように気をつけて空いている机に柚子蜂蜜を置く。
「ん? 聞いてるよぉふっ!?」
誰もいないと思っていたテーブルには先客がいた。
彼の名前は、真山薫。部署が違う先輩で、話したことは一度もない。
直接の関わりはないけれど、彼は名前と同じくらい顔が綺麗なのでちょっとした有名人だ。昔は女の子みたいだったとネタのように話しているのを聞いたことがある。
まあ、そういうイケメンさんなので、平々凡々最高な私とは住む世界が違うと思っていた。
その真山先輩は現在、両手で顔を覆って項垂れている。
この周辺に人がいなかった理由がよく分かった。これだけ暗雲立ち込める真山先輩に声をかけられる人は勇者だ。いつもはきゃーきゃー彼を囲ってお昼を食べようとしている女性社員達も、今日ばかりは遠くから困った顔で見守っている。
慌てて席を這変えようと顔を上げると、少し離れた場所で座っていた課長が、ぐっと親指を立てた。
「頑張れよ!」
無視した。
気がつけば、休憩室にいる人々の視線を一身に背負っていた。目の前では社内一のイケメンがこの世の終わりかという風情で項垂れ、電話の向こうでは妹が何度も確認してきている。
助けて柚子蜂蜜。あなただけが頼りです。
薄黄色の液体は、少し温くなって、たぷりと揺れるだけだった。
こうなったら、早々に電話を終わらせて柚子蜂蜜を一気飲みし、ゴミ捨てを理由にさっさとここを離れるしかない。
『ねえ、お姉ちゃん! 聞いてるの!?』
「聞いてます聞いてます! 週末帰る時に【私立青薔薇学園】っていうゲーム買って帰ったらいいんでしょ? 妹の誕生日プレゼントだからね、忘れないってば! はい! 忘れず買って帰ります! え!? 【私立白椿学園】と間違えるな!? そっちは特殊!? ふ!? ふって何!? お麩!? あ、お母さんにお麩の煮つけ食べたいって言っといて! 分かった、分かりましたってば! もう切るね!?」
女子高生の妹は、今月発売された漫画とゲームが多かったらしくピンチなのだ。
必死な妹の電話をぶち切り、柚子蜂蜜を一気飲みする。よし、立ち去ろう!
すっくと立ち上がった私の手を、すらっと長い指ががしりと掴む。
「か、川中!」
「は、はい!?」
まさかこっちの名前を知っているとは思わなかった。
へっぴり腰で下がろうとする私の手を両手で掴み直し、真山先輩はテーブルを乗り越えんばかりに身を乗り出した。
「俺と付き合ってくれ!」
休憩室にいた人々が揃って落とした飲み物掃除で、本日の昼休憩は少し伸びた。
「お姉ちゃん、聞いてる?」
「はいはい、聞いてますよ」
約束通り週末に帰ってきた実家で、ソファーの上でクッションを抱えながら欠伸をする。そこから見えるテレビは、帰宅した晩からずっと妹が占領していた。妹に買ってきたゲームは、男の子と仲良くなっていく恋愛ゲームだ。いろんな選択肢を選んで、狙った男の子と仲良くなるらしい。妹はがんがん進めていき、説明もしてくれるけれど、私はあんまりゲームしないし、この一週間は疲れたので眠い。
右から左に聞き流しつつ、後で聞かれても堪えられるようにポイントは覚える。
ゲームのイケメンさんが笑っている画面を見ながら、私はくすりと笑った。
現実のイケメンさんは、このゲームの所為で大層困っていたのだ。
妹が、誕生日なんだ。
絞り出すように告白されたそれに、「お、同じですね」と引き攣った笑顔で返した私に、先輩は刻々と何度も頷いた。頷く度にさらさら髪が揺れて、正直羨ましい。
なんと先輩も、妹さんから【私立青薔薇学園】のゲームをリクエストされたのだという。しかも店頭販売特典のポスターが欲しいから、ちゃんとお店まで買いに行くようにとのお達しだ。
成人男性が買うにはかなり厳しいパッケージ。更に店頭でと言い渡された先輩は、ああして暗雲漂わせていたという訳だ。
勤務後、自分の分を買うついでに先輩のも買って渡したら、物凄く感謝された。
お礼に週明けご飯奢ってくれる約束だ。デートなんて大それたものじゃないし、お付き合いできるなんて夢を持つには少々大人になりすぎた。それでもやっぱり浮かれてしまう。
綺麗な先輩を鑑賞しながらご飯。あ、まずい。変な事ばっかり口走りそうだ。
「お姉ちゃん、寝ちゃったの?」
少し遠くで妹の声がする。起きてるよと答えようとしたのに、口は開かない。
「疲れてるのかな…………付き合わせてごめんね?」
しょんぼりした声に、そんなことないよと答えたい。だけど妹の声はどんどん遠ざかっていく。
ふんわりとしたストールがかけられた感触を最後に、私の意識は柔らかい闇に沈んだ。
そこまでは覚えている。
中庭から離れ、人が来ないであろう隅っこまで歩いてきた私は、そこで見つけた洒落たベンチに腰かけていた。辺境に設置されているベンチなのに、汚れ一つないのが逆に恐ろしい。
あの日の先輩みたいな恰好で、膝の上に肘を置き、組んだ両掌を額につけて項垂れる。
思い出せ思い出せ、寧ろ考えろ、川中真。
今自分が着ている制服は、【私立青薔薇】でヒロインが着ていた物に酷似している。校舎も中庭も、ヒロインが移動したりヒーローと話したりしていた背景でよく見た。
ならここはゲームの中……? いやいや、そんな馬鹿な。きっとあれだ。ゲームの話を聞きながら眠ってしまったせいで影響されて夢を見たのだ。
この年で恥ずかしいなぁ。そんなに影響を受けやすかっただろうか、あははは……。
そうだ、夢だ。これは夢だ。仮令、汗ばんだ膝裏を流れていく風の感覚まで緻密に再現されていようと、夢だ。絶対夢だ。
これは夢なんだ!
強制的に決めつけて顔を上げた私は、次の瞬間凍りついた。
ヒロインだ。ヒロインが歩いてくる。
【私立青薔薇学園】で選択したヒーローと恋に落ちる美少女(名前はプレイヤー選択)。腰まである長い黒髪は、テレビCMで見る映像より美しく風に流れるストレート、ほっそりとした腰からすらりと伸びる長い脚。涼やかな目元に小さく整った唇。完璧な美少女だ。
数多のイケメンと並んでもお似合いだと口を揃えて言える、女の子の憧れを一身に詰め込んだ綺麗な女の子。
あ、駄目だこれ。現実だ。だって夢なら、私はもうちょっとだけでも現実から離れた姿をしているはずだ。何も気になってたお腹周りがまんま再現されなくてもいいじゃないか。女子高生時代は、もうちょっとだけマシだったのに。ちょっとだけだけど。
ヒロインは、女の私でも見惚れる美しさを振り撒きながら、隅に設置されていたもう一つのベンチに座った。
そして、足を開いて膝に肘を乗せ、組んだ両掌を額につけて項垂れた。
ヒロインが打ちひしがれている。
私の背を嫌な汗が流れていく。この光景最近見たぞ。
深く深く、肺が空になるほど深く吐かれた息は、麗しい女子高生が吐くには少々哀愁が漂いすぎる。
ごくりと、からからの喉に無理やり唾液を飲み込む。
「あ、あの」
掠れた声で呼びかけると、ヒロインはびくりと跳ね起きた。誰もいないと思っていたのだろう。驚いて項垂れていた恰好から飛び上がったことで、長い髪がふわぁと広がってさらぁと落ちていく姿に感動すら覚える。だが、今はそれどころではない。
「ち、違っていたらすみませんが……あ、あの…………」
そんなはずはない。絶対ない。あって堪るか。そう思うのに、
さっきの私みたいに、ごくりとヒロインの喉が鳴った。
「ま、真山、先輩…………とか?」
ヒロインは大きな目を落っことしそうに見開いた後、震える手で私の手首を掴んだ。
「か、川中、か?」
「は、はい! 川中です先輩! 金曜日にコピー機三台が一気に故障して、そちらの階までコピー機借りに行った部署の川中です!」
「ゲーム買ってくれた川中じゃ駄目だったのか?」
確かにそっちの方が二人共通の思い出だ。エラーエラーエラーを三連発で出してくれたコピー機にてんやわんやになった思い出が強烈過ぎた。
「若いぞ!?」
「普段老けてて申し訳ありません!」
「そういう意味じゃない! 後、セクハラじゃないからな!?」
「はい!」
必死に弁明する先輩は、はっと自分の胸と下を押さえた。
「いや、セクハラか!? 三十路近い俺が女の子になってるのはセクハラか!?」
「せ、先輩、泣かないで、泣かないでください――!」
ホテルのように綺麗な校舎の、観光地のメインイベント会場みたいに整った庭園の隅の隅で、私と先輩は一緒に打ちひしがれることになった。
しばらく二人で並んで打ちひしがれていたけれど、やっぱり一人じゃないって心強い。項垂れながらもぽつぽつ進む会話で、何とか状況把握と情報交換を済ませた。
まず、身分証明になるものは何かないかとごそごそしてみた。先輩は女の子になってしまった自分の身体に触るのもおっかなびっくりで可哀相になる。
ジャケットの内ポケットに生徒手帳があった。驚いたことに二人とも名前はほとんど同じだった。ほとんど、が、焦点となるけれど。
私の名前は【川中 真子】。本名より漢字が増えて読み方が減った。
先輩の名前は。
「真山…………薫子……………………薫でいいだろ」
「…………無理やりですね」
生徒手帳の最初のページでは、撮った覚えのない写真の中で無表情の私と先輩がこちらを見ていた。そもそもこの場所に来た覚えも、この制服を着た覚えもない。
学生時代はじっくり開いたこともない生徒手帳を、新しい企画書と言わんばかりに読み込む。先輩もそこに何かの手掛かりがないかと必死になってページを捲る。
「あ、先輩」
「ん?」
「先輩は何年の何ホームですか? 私は1年6ホームみたいです」
「ちょっと待て…………あ、俺も一緒だな。川中と一緒か、心強いな」
「私も嬉しいですが…………先輩と同じクラスなのはちょっと変な気持ちです」
「はは! だな!」
こんな状況になって初めて先輩が笑う。どうしよう。今は女の子同士なのに、うっかり胸がときめいた。
「お互い高校の時はこんな感じだったんだなー…………俺は顔以外は違うからな?」
「顔はそうなんですか……先輩、美人ですね」
何だかお互い打ちひしがれた。
しかし、いつまでもエンドレスで打ちひしがれるわけにもいかない。何とか状況改善の手段を模索しなければ。
「えーと、これはあのゲームの世界観って言ったよな?」
「あ、はい」
先輩は異様に立派な校舎を見上げながら、凄いなと呟いた。
「こういうのはクリアすれば元に戻れるのがセオリーだよな」
「………………はい」
「これ、何すればクリアなんだ? 悪いけど、俺はモンスター狩ったり、戦闘機撃ちおとしたり、走ったりするゲームくらいしかやったことないんだ。川中はゲームとかするのか?」
逆に先輩が女の子ゲームやり込んでたら、それはそれでびっくりだ。人の趣味はそれぞれだから別に引いたりはしないが。
「私、普段はネットで動物育ててラディッシュ植えてるくらいです。妹のほうが詳しいんですが…………えーと、ヒロインが、恋人作れたら、クリアみたいです」
「そうか、ならまずはヒロインを探す事から始めなきゃ駄目だな」
「えーと……その…………」
口を濁す私に、先輩は首を傾げる。さらりと流れる黒髪がとっても綺麗です、先輩。
視線を泳がしながら口ごもる私に、先輩は具合でも悪くなったのかと優しい。気を使わずしんどいなら言えと頼れるお言葉に涙が溢れそうだ。
「大変、申し上げにくいのですが………………」
「ん?」
「先輩のビジュアルが…………」
「うん?」
「そのまま、ヒロインです」
タイミングよく風が走り抜けていく。
真ん丸に見開かれた先輩の目は、次第に愁いを帯びていく。縋るように私を見る潤んだ瞳を直視できず、逸らした私の目にも涙が浮かんでいく。社会人になって数年、後輩を指導する立場にもなった私達が、揃って涙を浮かべるほどの事態だ。
「川中…………」
「はい…………」
「助けてくれっ…………!」
「申し訳、ありませんっ……!」
ゲームはまだ始まったばかりだけど、私達は後何回打ちひしがれればいいのだろう。
「先輩!」
「な、何だ!?」
「そこ右に曲がると」
「ああ!」
「死にます!」
「死亡ルートあり、だと……!?」
二人が戦うのは主に、今となったら恥ずかしさで悶える若さの応酬だったりします。専ら中二病が最大の敵です。