#9
「チホ、これはどうだ? 隣国の決まった土地でしか実らぬ果実でな、甘さの中に感じる酸味と、溶けるような食感が素晴らしいのだ。きっと気に入る」
『マシルっていう果物です。甘ったるいです』
「チホ殿、お気に入りの聖典を持ってきたんですよ。色彩が素晴らしく美しいのです。文字がわからなくとも、ご覧になるだけで楽しめると思って」
『宗教勧誘ですから気にしなくてもいいです』
見るからに高額な贈り物を手にした青年たちと、にこやかに微妙に湾曲した訳を挟む少年に囲まれ、チホさんは目を白黒させていた。
最近、三の宮でよく見られる光景である。
しかし殿下も神官補も仕事はどうなさったのか。もう少ししたら、チホさんからSOSが発信されるか冷気を背負った主が回収に来るだろうから、それまでは見逃して差し上げます。
たまにはガス抜きをしておかないと暴走されそうだものね。
普段ギラギラした婦女子にしか縁のなかった青年たちが、庇護欲をそそる素直で愛らしい異界の少女に魅了されるのは早かった。
はからずも、目的通り『癒し』を手に入れたわけかしら。
王子も神官補も好意の段階で、まだ本気にはなっていないようなので、私も主も静観している。
若者の恋愛事情に口出しするほど野暮ではないし、我が身に返ってくると面倒だし。
あら、救難信号が。今日は早かったかしら。
見ると王子と神官補と息子が幼児のような口論をしていて、チホさんがすっかり弱りきっていた。
「まあまあ。みんなやんちゃですこと。あんまり過ぎると、おしりペンペンいたしますわよ?」
さすがに息子はともかく青年男子をお仕置きするのは骨が折れるので、ちょっとしたジョークだったのだが、そろって壁に背中をつけて退避するのは何故。
「近衛まで……」
「お前、昔手当たり次第に躾けていただろう」
あら旦那様。
書類を片手にやって来た主が一瞥すると、蜘蛛の子を散らすように人が退いていった。
うん、見えないところで警護してくださいね。
そういえば王子の悪ガキ仲間を片っぱしから引っ捕らえて仕置いていたかしら。公爵家の権威を笠に着て若い頃の私ったら怖いもの知らず。
あの子たちが成長して、ちゃんと近衛を務めているなんてみんな立派になったものねぇ。
王子を捕まえた主が説教している脇を抜け、残りの三人が逃げてくる。
『すごーい! みんな言うこときいたよ!』
「調教済みですからー」
要らぬツッコミを入れる息子の頭を小突いて、チホさんから腕一杯のマシルを受け取る。
「これだけあればタルトが焼けますわね。料理長にお願いしましょうか」
羨ましそうに見ている神官補は無視です。信者からの献金で成金やってないで清貧を貫きなさい。
「神官補。その後の進み具合はいかがですの?」
「うっ、はい! 骨子は出来たのですが、世界の特定がなかなか」
ビシリと背筋を伸ばした神官補は報告する。
数日で骨組みを作るとは、さすが神童と呼ばれただけのことはある。
「チホさんを喚び出したときの術編は参考に入れて?」
「ええ、情報を抽出して――公が以前、研究されていた書に記述があったので助かりました」
ふと、何かに引かれたように神官補は説教中の主を見、私に視線を戻して小首を傾げる。
「公は魔術が使えないはずですが、何故研究を?」
私は微笑むだけで、何も答えなかった。