#7
再び仕事に戻る主を見送り、チホさんの様子を窺いに行く。
チホさんには申し訳ないけれど、すぐに還してあげることはできないだろう。
不自由のないよう、いろいろと手配が必要になる。
私が若い頃着ていた衣服は残っていたかしら。新しい服を作ったほうがいいかしら。チホさんはこちらのことを学ぶ気はあるかしら。
とめどもなく考えていると笑い声が聞こえてきた。
チホさんの声と、まだ幼い少年の――いま、ここにいるはずのない者の声。
扉前で控えていたメイドに視線を向けると、申し訳なさそうに頷く。
まあ、皆があの子に逆らえないのは仕方ない。
叱るのは私の役目だ。
『本当です。機会があれば、試してください』
『そんなの怖くてできないよー! イストくんてば無謀ー』
……チホさんがずいぶんリラックスして楽しげなので、少しだけお仕置きの内容を減らしてあげましょうか。
「めずらしい顔が見えますね?」
私の声に、チホさんとソファで談笑していた少年が飛び上がる。
茶に透ける黒髪と、同じ色の瞳を持つ少年――イストルードは、一瞬の動揺のあと見事に体勢を立て直し、にこりと微笑んだ。
「ごきげんよう、母上」
立ち上がってお手本通りの礼を取る息子に私は眉をひそめた。
この一年でかなり背が伸びたイストルードを見下ろすことができるのも、あと少しだろう。
にょきにょき伸びてくれて、腹立たしい。
「よろしくなくてよ。学院寮にいるはずの我が息子がどうしてここにいるのかしら」
「母上はお忙しいでしょう。客人の話し相手になるようにと、氷水公から命が下りまして、しばらくのあいだこちらから学舎に通うことになりました」
ハキハキと説明する息子によると、午後の授業が始まってすぐ、主からの伝書が来てそう命じられたという。
旦那様、私の許可もなく勝手なことを……。
何も言わずに執務室へ去った主に、頭の中で苦情を申し立てた。
「帰宅は遅くなる」と言っていたのは騒ぎで仕事が滞ったせいではなく、これが原因かと悟る。
お帰りを待たずに先に寝てやろうかしら。
「貴方の勉強に支障はないの?」
「予習ですでに先の授業内容まで済ませていますし、ちょっと退屈していたので大丈夫です」
生意気な口をきく息子の額を軽く小突いた。
どうやらイストルードはチホさんが目覚めた直後に訪問して、無駄に回る口を働かせ、彼女の好意を得ることに成功したようだ。
まだ十の子供だということも、彼女の警戒心を削いだ原因だろう。
つたないけれど、会話ができることも。
キョトキョトと私とイストルードのやり取りを不安げに見ていたチホさんに、失礼はなかったか訊ねる。
首を振って、楽しかったですよと笑うチホさんは本当に可愛い。
こうして笑うチホさんを前にしたら、あのお馬鹿さんたちがノックアウトされるに違いない。
ちゃんと目を光らせておかねば。
もちろん息子といえど、よそ様のお嬢さんに近づきすぎぬよう釘を刺す必要がある。
調子がいいところは、一体誰に似たのか。
イストルードはチホさんに、自分が私の息子だと言っていなかったのか、事実が判明してとても驚いていた。
私に似たのは髪や目の色だけなので、無理もない。