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第六章『アイロン部と文化祭 後編』

あれからめまぐるしく毎日が過ぎる。

 その日、僕は嶋本先生と酔いつぶれ、公園のベンチで寝ていた。

 正常でない意識を奮い起こし、何があったかを正確に把握しようとする。

 そうだ、たしかみかの親父さんと一緒に商工会議所の会合に出席したのだ。嶋本先生と一緒に。

 僕らはそこで商店街でエクストリームアイロンを広報して貰えるように算段し、その代わりに僕らは学校の文化祭に入る業者の依頼を各商店街に卸す事で合意した。

 明日からは生徒会にも顔を出して積極的にアプローチしなきゃならない。伊藤っちゃんのしてくれた報告では生徒会は文化祭関係で入れる業者を全て例年通りの業者で行うツモリらしいが、今日の商工会議所の会合で算段した見積もりを持っていけばコストの低さに腰を抜かすに違いない。それだけ、これはうちの学校にとっても有益な商談だった。

 あとは以前までの業者との兼ね合いも勘案し、生徒会をどう説き伏せるかを頭の中で算段していたが、どうにも酔いの方が強くて頭が回らなかった。


 「遠藤ぅ」


 嶋本先生が絡んでくる。


 「俺はお前が羨ましいぞぉ!」


 ぐでんぐでんに酔っ払い前後不覚となっている嶋本先生はベンチで僕の首を締め上げながらそう叫んでいた。


 「えくすとりぃぃぃむ!あいろん!いえええええええええええええ!」

 「いええええええええええええ!」


 端から見れば酔っ払い二人が公園で叫んでいるようにしか見えない。多分、警察に通報されて補導でもされようものなら僕も先生もタダで済まされる訳は無いが、今の僕らにそこまで考えるだけの頭は無かった。

 先生はひとしきり僕の首を締め上げると、急に俯いて泣き出した。


 「うう……ああ……」

 「せんせぇ!どうしたんっすかぁ!」

 「バカやろう!泣いてなんているか!これは心の汗だ!」

 「心のアセぇ?おうぃえ!」


 先生はひとしきり嗚咽を上げると頭を上げる。


 「これは独り言だからな!」

 「独り言おういえ!」

 「俺はエクストリームアイロンで人を一人死なせたんだ」


 僕は水を浴びせかけられるように急に酔いが引いてしまった。先生は嗚咽を繰り返しながらそれでも続ける。


 「イギリスに居た頃、俺にエクストリームアイロンを教えてくれた人が居たんだ。その人は俺がたった一つのミスをしたせいで命を落とした。俺は正直、怖い。お前たちをこのままエクストリームアイロンの世界に引きずりこんでしまい、命を失う事になってしまった時、もう後戻りできないと知ったら……俺みたいになっちまうと考えると……どうしょうもなく怖い」


先生は嘔吐と一緒に吐き出すように呟く。


 「だから、俺は理事長に何も言えなかった。説得できる言葉が俺の中に見つからねえんだよ。なあ、遠藤。お前ならどうする?」

 「僕は僕にできる精一杯をやるだけッスよ。僕はエクストリームアイロンがしたい。だからやるだけやる!」


 僕は酒の勢いに任せて口から出るだけ喋ってみた。先生はそんな僕の答えに満足したのだろうか、腹の底から笑い出した。


 「あっはっはっはっはっはっは!!」

 「わはははっはっははははっはっは!」


 僕はそんな先生の顔が面白くて腹の底から笑う。自分でも馬鹿やってんなーと思いながらも楽しかった。


「今日はもう帰りまショー」


 僕はおぼつかない足取りで立ち上がるとふらふらと歩き始める。


「大丈夫かぁ?」


 嶋本先生はそんな僕の肩を抱き、しっかりとした足取りで歩き始める。


 「……ったく、一丁前の事いうじゃねえか。まだ酒も飲めねえガキんちょの分際で」

 「エクストリームアイロナーですから!」

 「よっし、後三年して二十歳になったら一緒に酒飲むぞ!」

 「もう飲んだじゃないっすかぁ!」


 僕は先生の笑う横顔を記憶の最後にとどめ、混濁していく意識に身を任せた。


   ◆◇◆◇◆◇


 文化祭まで寝る暇も無く僕は方々を飛び回った。

 頭がくらくらするが、昨日の酒のせいだけではないのだろう。

 僕が何かを算段しているのは教師の間でも認知されておりその様子を良く思ってない連中は居たが、少年補導員から連絡が行ってるのだろう。それがうまく働いて直接僕に何かを言う事は無かった。

 僕は生徒会室での打ち合わせを終えると今度は各業者に飲料水やベニヤの合板の依頼の電話をしていた。

 文化祭の二日前、もう既に全校生徒の間にアイロン部が文化祭の最後に何かをやらかすという話が触れ回っていた。だが、まだ何をやるかまでは知らないみたいだ。

 その辺りまでは僕の計算の範疇に入っていた。

 僕は相手先に携帯電話越しに頭を下げると一人屋上でため息をついた。

 昼休みが終わるまで、まだ、十分以上あった。そういえばお昼を食べるのをすっかり忘れていた。

 だが、これから演劇部と軽音楽部の様子を見に行き、また、良好な関係を築いておかなければならない。

 それに、可能であれば各クラスの出店にも商店街が新たに作った、エクストリームアイロンをしている僕らが全面的に印刷されたクリーニング店の広告用ポスターの貼付を依頼しにいかなきゃならない。

 今日も昼食は放課後になりそうだと思いながら僕は立ち上がる。元から昼の弁当は親に言って頼んでない。いつも登校中にコンビニに寄ってパンを買ってくるからだ。

泥のように重い体を引きずりながら屋上から校内に戻ろうとしたとき、丁度みかが入ってきた。

 みかは僕を見つけると、満面の笑顔を浮かべる。


 「真一、発見」

 「なんだよみか。今忙しいんだ」


 僕はみかの横を通り過ぎて階下に降りようとするが、みかはそんな僕の腕を掴んで屋上に引きずり戻した。


 「真一ご飯食べてないでしょ?」

 「食べてる暇がないんだ。これから演劇部と軽音楽部を見にいく」


僕がため息をつきながら言うと、みかはクスリと小さく笑う。


 「それと、広告用ポスターの貼付依頼?……水下君と遙がやってるし、ポスターはうちのバスケ部の後輩にやらせてるから大丈夫だよ」

 「え?」

 「だから、真一はここでお昼を食べるの」


 みかは持ってきたサブバックの中から弁当箱を取り出し、僕に一つ押し付けた。

 僕はそれを困惑しながら受け取る。

 みかはそんな僕の様子に構わず、自分の分を開けて食べ始める。


 「ホラ、急がないと昼休み終わっちゃうよ?何なら食べさせたげよっか?あーんしなさい、あーん」


 みかはどことなく怒っているようだった。

 僕も弁当箱を開けて、食べ始める。

 ふと、赤いウィンナーを見て、少し吹き出してしまう。いまどき、タコときた。


 「これ、お前が作ったの?」

 「笑うな」


 みかは食べる手を休めないで平静を装いながらそう言った。

 僕はそれを手早く食べてしまう。

 みかが作った弁当は女の子サイズなので僕がその気になれば三分とかからず、食べきってしまう。


 「ご馳走様。ありがとう」


 僕は食べ終わった弁当箱をみかに返すと、そのまま立ち上がる。

 立ち上がるが腕を引っ張られそのまま引きずり倒される。


 「感想は?」

 「美味しかった。ありがとう」

 「じゃ、少し休んで行きなさい」


 みかは無理矢理自分の隣に僕を座らせる。

 僕は苛立たしげに頭を掻き毟るとみかに対して言葉を荒げる。


 「あのさ?一体何のツモリな訳?」

 「だって真一、私がお願いしても無理するから今度から無理矢理、引き止める事にしたの」


 みかはご飯を食べながら平然とそう答えた。

 みかはまだご飯の残っている弁当箱を仕舞うと、ナプキンに包み鞄の中に仕舞う。


 「昨日だって嶋本先生とお酒飲んでたでしょ?」

 「何でお前がそんな事知ってるんだよ」

 「二人してゴミの中に倒れてるの見っけてタクシー呼んだのが私なの!バカじゃん!」


 僕にはどうにも記憶が無い。

 みかは憤然として怒りながら、顔を真っ赤に染めて僕に詰め寄る。


 「真一が頑張ってるのはわかるから今は少しだけ休んで」


 みかは僕の頭を掴むと、無理矢理自分の膝の上に乗せる。僕は図らずもみかの膝枕の上で寝る形となる。


 「……恥ずかしいな。こんなの誰かに見られたらどうするんだよ」

 「バカじゃん!私だって恥ずかしいわよ。この代金は高くつくからね。いろえんぴつのバナナクレープ、三回」

 「勝手に人の頭自分の膝の上に乗せて奢りを要求するなんてどこのヤクザよ」

 「そんな事言っていいの?今からうちの親に手を返してもらってポスターだとか商工会議所に働きかけて貰ってもいいんだよ」


 これはみかなりの僕への優しさなのかもしれない。僕は小さくため息をつくと、そこで少し横になった。

 みかはため息をつくと


 「……ったく素直じゃないんだから」


 と小さく呟いたが、僕は心の中で


 「どっちがよ」

 「何か言った?」


 呟いたツモリが声に出ていた。


   ◆◇◆◇◆◇


そして、文化祭がやってきた。

 文化祭初日は何事も無く、進んでいった。

 例年通り、各クラスの出し物や、文科系クラブの展覧会等が校内の随所で行われている。

 僕はみかと二ノ宮に振り回されるようにその出し物を見て回った。

出店の多くに商店街に配布させたポスターが貼付され、行きかう人々がありえないアイロンがけをしている写真に目を奪われる。

 そして、そこで買い物をする店員と明日の夜にアイロン部が何かするかもしれないという噂話をし、盛り上がっている。

 僕はその様子に満足する。

 僕は不満をあらわにするみかと二ノ宮をなだめつつ、文化祭回りを早々に切り上げると最終日の準備に取り掛かった。

 夜の校舎の屋上に花火を仕掛け、グラウンドの照明関係の調節、そして、器材の搬送を実施する。

 水下や伊藤っちゃんも手伝いその作業が終了した後、僕らは長らく使用していない部室で次の日の最終打ち合わせを実施した。

 その場には軽音楽部の部長である日下部先輩や、演劇部部長である古川先輩も同席していた。


 「これより、明日のエクストリームアイロンの実施計画を伝達する」


 僕は黒板に校舎の図と音響車の位置、そして、観客の位置を次々に記載する。


 「今回のエクストリームアイロンは全校生徒を巻き込んだエクストリームアイロンだ。今回の最大の目的は、全校生徒を煽動し、みんなの前に榎本理事長を引っ張り出し、アイロン部の存続を認めさせる事が目的だ」

 「「了解ッ!」」


 アイロン部の怒号のような返事に、他の部の部長が驚く。無理も無い。ともすれば軍隊と同じような場所なのだから。


 「順番としてはこうだ。音響車の上では依頼した軽音楽部の最後の曲「アイロンハート」が流れ次第、演劇部が音響車の一段低い場所に設けられたステージに入ってミュージカルを実施。その間奏時に水下、伊藤、二ノ宮が音響車背後の校舎屋上からラペリングしながらエクストリームアイロンを実施する。左サイドから水下、右サイドから伊藤っちゃん。そしてセンターから二ノ宮がだ。脚本にあるとおり、その際、何でもいいから客を煽る一言を言ってくれ。全部が終了次第、僕が飛ぶ」

 「「了解ッ」」


 皆が鋭く返事をするのを見て、僕は静かに頷いた。


 「最後に……これは僕ら北星学園の自由を守る為の戦いだ。これに敗北すれば、僕らはこれから自由を奪われ続ける事になる。これから入る後輩達の為にも、このエクストリームアイロン、絶対に成功させるぞ!」


 僕は言葉を切ると、部員と円陣を組む。


 「北星学園ア・イ・ロ・ン・部ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」

 「「ワアァァァァァァァァァァァッ!」」

 「エイッ!」

 「「オウッ!」」

 「エイッ!」

 「「オウッ!」」

 「エクストリィィィィィィィィィィィム」

 「「アイロンッ!イヤァァッ!」」


 一同の叫びが狭い部室の中を震わせる。

 僕らはお互い握りこぶしをぶつけ合うと、不敵な笑みを浮かべて解散する。


 「よっし、今日は早く休めよ」


 僕がそういうと皆苦笑して頷く。

 軽音楽部部長の日下部先輩が僕の方を見て、羨ましそうに言った。


 「何か……いいな、お前ら」


 僕は苦笑すると、親指を立てる。


 「アイロン部、最高ッスよ」


   ◆◇◆◇◆◇


 文化祭最終夜。

 噂は伝播し広がり、皆、この夜に起こる出来事を期待していた。

 PTAを含め、興味に思った街の連中や学校のOBまでもがグラウンドに集まっていた。

 星が綺麗に浮かぶ夜空の下に集まった生徒の熱気は薄ら寒い風を吹き飛ばし、ゆらゆらと、音響車をライトアップする光と一緒に天を焦がす。

 大型のコンテナ車に、大型のスピーカーアンプシステムを積載した音響車はまるでロックフェスティバルのステージをそのまま運んできたかのような大きさだった。

 それがゆっくりと展開し、ステージを作ってゆく。

 展開したコンテナの中からドライアイスの蒸気が吹き上がり、吐き出されるレーザー光線の中、軽音楽部の面々が姿を現す。

ベレー帽の三年生の女子をヴォーカルにしたユニットだ。彼らは奇抜な衣装を着るのではなく、あえて北星学園の制服を着崩し、格好よく見せている。


 「北星学園!軽音楽部ゥ!」

 「エクストリィィィィィィィィム!」

 「「ミュージック!イヤァァッ!」」


 昨日の僕らの真似だろう。彼らは声を上げると観客を沸かせた。

 スピーカーから生徒会のアナウンスが入る。


 「北星学園文化祭もこれで最後のプログラムとなります!軽音楽部による最終夜ライヴ!」


 アナウンスの終了と共に、軽音楽部の楽器が鳴る。激しくビートを刻み、ヴォーカルの紡ぎ出す歌声がスピーカーの上で弾け、圧倒的な力量で持って僕らを震わせる。

 観客はその勢いに酔いしれ、プロでは無い、だがしかし、情熱を持った彼らの音楽に身を揺らす。


 「イエェェェェェェェェェェェェェ!」


 二曲、三曲とアップテンポな曲が続き、四曲目にバラードが入り、客を少ししんみりさせる。

 そして、いよいよ、最後の曲が来た。

 軽音楽部のヴォーカルの女の子がステージの前に出てきて大音量のマイクで観客に呼びかける。


 「みんなー!北星学園を愛しているかー!」


 全校生徒が歓声を上げる。


 「北星学園に自由をォォォォォ!」


 それに答えるように皆が咆える。

 そして、その女の子はその歓声が引くのを待って、こう告げた。


 「……だけど今、この北星学園で一つの自由が奪われようとしています」


ざわざわと観客がざわめく、だけど、その子は静かな、そして力ある声で訴えかけた。


 「……それは普段、私たちには関係の無い人達の自由かもしれません。だけど、彼らは私たちと同じこの学び舎で自分たちの青春を命懸けで謳歌する、かけがえの無い仲間たちです。もし、この自由が奪われるのであれば私たちはこの後、幾星霜に渡る北星学園の歴史に自由を差し出した不名誉な記録を刻むことになります。私たちはそんな事を認めてはいけない。私たちは自由を守らなきゃいけない。軽音楽部は彼らの自由を守る為、皆さんと一緒に最後のナンバーを歌いたいと思います」  


 全校生徒がざわざわと騒ぎ出す。眩しいライトに照らし出されたその子は自分の着ている制服のスカートの中に隠していたアイロンを掲げる。


 「北星学園、演劇部とアイロン部、軽音楽部が送る最後のナンバー!」


 軽音楽部の他の面々もどこからかアイロンを掲げ、ステージの前に皆で立つ。


 「北星学園の自由の為に歌いますッ!タイトルは!アイロン部のテーマ!アイロンハートォォ!」


 軽音楽部が観客に向かってアイロンを掲げる。

 観客の中で歓声が起き、方々でアイロンを投げる奴が居た。この騒ぎをあらかじめ察知して事前準備してる生徒も居たのだ。良く見ればそれは女子バスケ部の連中であった事にも気がつく。

 シンセサイザーの音が鳴り響く。

 ドラムが軽快なリズムを刻む。

 ギターのビートがそれに絡まり、観客席を熱くする。

 ステージの上に制服姿にエプロンをつけ、手にはアイロンやアイロン台、シャツをったた演劇部の面々が集う。

 ヴォーカルの女の子が叫ぶ。


「アーユーレディ!?」

 「「エクストリィィィィィィィィム!!」」


それに、舞台上に居る全員、そして全校生徒が答えた。


 「「アイロンッ!イヤァァァッ!」」


 ヴォーカルの子がマイクを振り乱し歌う。


 「ッチョー!ッチョー!ッチョー!トーレっ!」  


それは僕らがいつもランニングする時に掛けていた掛け声だった。作詞作曲は全部任せていたが流石に僕も苦笑する。


 「「ッチョー!ッチョー!ッチョー!トーレ!」」


 全校生徒がそれに合わせる。

 演劇部が走る演技をしながら踊る。


 「北星学園アイロン部ぅぅぅ!」

 「「ふぁいお!ふぁいお!」」


 舞台の上のヴォーカルが手にしたアイロンを虚空にかけると、それにあわせて皆が舞台に向かいアイロンをかけるように手を振る。


「「イヤァァァァァァァァァァァァァ!」」


 僕の胸に熱いものがこみ上げてきた。


 「右手にあるのは熱いアイロンッ!左手にには白いシャツ!背中にテーブル背負ったら飛び出そう!胸にはアイロンよりまだまだ熱いハートを持って!」

 「「エクストリーム、アイロン、イェェッ!」」

「崖の上でも海の底でも、空の上でもどこでも構わない!そこで僕は感じるから!アイロンより熱い青春を!」


演劇部の部員が台の上にシャツを広げ、アイロンを押し当てる。


 「白いシャツの上で踊れアイロン!」

 「「アイロォン!」」

 「僕の心よ躍れアイロン!」

 「「アイロォン!」」


 熱く迸る咆哮が空を貫く。熱い熱気が僕らの体を貫き、体の奥底に鬱積していた何かを解き放つ。


「エクストリィィィィィィィィム!」

 「「アイロォン!イヤァァッ」」


 びりびりと大気を震わせる。

 全校生徒が咆える中、軽音楽部の楽器が鳴り響き間奏に入る。

 その間奏が鳴ると、音響車の後ろの校舎がライトアップされ、その左右に、作業服にヘルメット、ハーネス姿の水下と伊藤っちゃんが立っていた。


 「これより!」

 「エクストリームアイロンを実施する!」


 全校生徒が歓声を上げる。

 水下がワイヤレスマイクを放し、全校生徒の喧騒に負ける事のない大声で叫んだ。


 「水下学はぁ!マジになる物探してエクストリームアイロンやってきましたぁ!エクストリームアイロン最ッ高ッ!」

 「「イヤァァッ!」」


 全校生徒が歓声で答える。

 伊藤っちゃんが水下に負けないくらいの大きな声で叫ぶ。


 「伊藤新吉はぁ!学校生活に悔いを残したくないからエクストリームアイロンやってきましたぁ!エクストリームアイロン最ッ高ッ!」

 「「イヤァァッ!」」


 全校生徒の歓声を受け、二人は屋上の縁に立つと、いつも同じようにロープのチェック、カラビナのチェックをする。


 「ロープよし!ハーネスよし!水下降下準備よぉしっ!」

 「ロープよし!ハーネスよし!伊藤降下準備よぉしっ!」


 二人はお互いの顔を見合わせて叫ぶ。


 「「エクストリィィィム」」


 全校生徒が叫んだ!


 「「アイロン!イヤァァっ!」」


 二人が物凄い勢いで降下し、校舎の壁に張り付きながらアイロンをかける。

 ライトアップされる校舎の壁に張り付き、アイロンをかける二人の雄姿を間近に見た皆は声も無く、ただ、軽音楽部の間奏に聞きしれ、見惚れていた。

 そして、照明が校舎屋上の中央に現れた二ノ宮に向く。


 「アイロン部一年!二ノ宮遙ですッ!エクストリームアイロン実施しますッ!」


 小柄な体に見合わない、大きな声で観客に対して咆える。


 「私は!遠藤真一先輩が大好きです!遠藤先輩にアイロンより熱い私の思いを届けたくてエクストリームアイロンやってきましたぁ!エクストリームアイロン最ッ高ッ!」

「「イヤァァッ!」」


 全校生徒の叫びの中にどこかやけくそじみた響きも混じってる気がするが二ノ宮は全校生徒に手を振ると屋上の縁に立つ。


 「ロープよし!ハーネスよし!二ノ宮降下準備よぉしっ!」


 二ノ宮が叫ぶ。


 「遠藤先輩ぃぃ!あ・い・し・て・まぁぁぁぁぁす!エクストリィィィィム!」

 「「アイロン!イヤァァァっ!」」


 二ノ宮が地面を蹴り、空中で一度、錐揉みすると校舎の壁に足を着ける。

 そのまま校舎の壁を軽快に下ると、途中で停止し、アイロンをかける。

 三人の雄姿をライトが照らし、浮かび上がるありえない光景に全校生徒が沸いた。

 文化祭の最終夜のラストステージ。ありえない歌にありえない演出、そして、ありえない場所でのアイロンがけを見せつけられて興奮しない訳が無い。

 タイミングよく間奏が終わり、再び、ヴォーカルの女の子が歌う。


 「ただ僕らは謳歌したい!青春の一つの形としてさ!さあ広げようアイロン台!さあ広げよう白いシャツ!熱したアイロン手に持ったら!飛び出せばいいのさどこにだって!そこでかければそれは!エクストリィィム!」

 「「アイロン!イヤァァ!!」」


 僕は体中から迸るエネルギーを押さえつけると、背中に背負ったソレを確認した。

さて、そろそろ行かねばならない……


「右手にあるのは熱いアイロン!」


 黒いバックパックの紐を僕は口に挟むと、右手に熱したアイロンを持つ。


 「左手に白いシャツ持って!」


 左手に白いワイシャツを持つ。


「背中にアイロン台を背負ったら飛び出そう!」


 バックバックの上に背負ったアイロン台を確認すると、僕は屋上の奥、クラウチングスタートの姿勢をとる。今にも爆発しそうな衝動を押さえ込んで。


 「胸にはアイロンより熱いハートを持って!」


僕は走り出す。


 「エクストリィィィィィィィィム!」


 僕の中で何かがはじけ飛び、それが僕の口から迸った。

 全身を駆け巡るエネルギーが地面を蹴飛ばし、先程、二ノ宮が降下した場所に設置された跳び箱で使う踏み切り板めがけて走りこむ。

 僕は頭の中が真っ白になる。

 力いっぱい踏み込み、跳躍する。


「「アイロォォォォォォォォン!!」」


全校生徒が叫ぶ中、僕は飛んだ。

 空中で錐揉みし、背中のアイロン台を膝の上に乗せる。アイロン台の上にシャツを広げ、そこにアイロンを押し当てる。

 風が吹いた。僕は風となっていた。

 僕の体は熱気で焼かれた空に舞っていた。

 そう、僕は屋上からロープも何もつけず、踏み切り板で思いっきり跳躍し、飛び降りたのだ。

 皆が僕を見ている。

 紛れも無くロープも何も無く、空中で錐揉みし、膝の上でアイロンをかける狂人を見て驚いている。

 僕は途方も無く生きている実感を感じ、口に咥えた紐を引いた。

 ばさりと僕の背中で何かが広がる。

 それはパラシュートだった。

 ベースジャンプというスポーツがある。ただ、飛び降りパラシュートを開くというスポーツだ。


 「崖の上でも海の底でも、空の上でもどこでも構わない!そこで僕は感じるから!アイロンより熱い青春を!」


歌うヴォーカルの前に、僕はアイロンをかけながら悠然と降り立つ。

 高度が足りない事から、パラシュートでの減速は足りず、落下のスピードは相当な物だった。足から頭の先まで痺れるような衝撃が走ったが、それも、今は心地よい。

 ばさりと、パラシュートが地面に落ちて、沈黙があたりを支配する。

 僕はゆっくりと顔を上げ、呆然と僕の凶行を見ていた全校生徒を見渡す。

 僕はヴォーカルからマイクを受け取ると、静かに、そして、力強く言った。


 「エクストリームアイロン……最ッ高ッ!」


皆、目の前で何が起きたかわからないような表情をしている。僕は不敵に笑い、熱気を放つアイロンを頭上にかざして、咆えた。


 「イヤァァァァァァァァァァァァァッ!」


 響き渡る咆哮が、熱気となって全校生徒の頬を凪ぐ。

 次の瞬間、その熱気は何倍にもなって、ステージの僕に帰ってきた。


 「「イヤァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァぁぁぁぁあああッ!」」


 びりびりと空が震え、何かが僕らの中で爆発していた。

 僕はマイクを持ったまま全校生徒に語りかける。


 「遠藤真一!当年とって十七歳!命を懸けて青春してます!」

 「「オオオオオオオオオオオオオ!」」


 全校生徒が答える。


 「ただ、アイロン部は理事長命を持ってして、解散しなければなりません。」


 皆がざわつく。

 僕は間髪入れずに叫んだ。


 「ンな不条理認めてたまっかぁっ!」


 ここから先はもう、台本に無い。

 後は僕の思いの丈をぶつけてやるしかない。


 「エクストリームアイロンは危険だから中止しなさいだとぉ?命に関わるからやめなさいだとぉ?そんなモンこちとらとっくに承知の上でやってるんだ馬鹿ヤロウッ!」


だんとステージを踏み抜く勢いで足を鳴らすと咆えた。


 「僕らの高校時代は今この瞬間しかないんだ!その瞬間に命を賭けて何が悪い!今この瞬間に命を賭けれないで、一体いつになったら命を賭ける事ができる!後であの時、やっときゃよかったって後悔するぐらいなら!死んでしまった方がマシだ!」


 僕はそこで一度息を切ると、静かに告げた。


 「そこんとこ、ヨロシク」


皆が、答えた。


 「「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」」


 学校が壊れそうな勢いの咆哮が響く。震える大気がびりびりと響き、僕の心に更なる勇気をくれる。


 「榎本理事長!壇上へ!」


 僕がマイクで榎本理事長を呼びつける。

 だが、理事長は姿を現さない。ここで出てこなければ僕の計画は水泡に帰す。理事長もそのくらいの事は理解しているのだろう。

 僕はじっとりと脂汗が額に滲むのが分かった。

 生徒達は次の展開が無い事から、徐々に興奮という魔法から醒めかけている。

 ざわざわとした喧騒が広がりはじめ、それと同時に僕の心にも失敗したという疑念が広がりはじめる。

 だが、その時、


 「理ッ事ッ長ッ!理ッ事ッ長ッ!」


 女子バスケット部員の真ん中で誰かが理事長コールを始めた。


 「理ッ事ッ長ッ!理ッ事ッ長ッ!」


 足を鳴らし、一人で声の限り理事長コールを続けるそいつは、金井みかだった。

 みかにつられて、女子バスケット部員も理事長コールに参加する。


 「「理ッ事ッ長ッ!理ッ事ッ長ッ!」」


 次第にコールは伝染していき、全校生徒を巻き込み、そして、さらには来客していたPTAや一般客にすらコールは及んだ。


「「理ッ事ッ長ッ!理ッ事ッ長ッ!」」


 大合奏となった理事長コールを受け、人垣を掻き分けてスーツ姿の榎本理事長が苦々しい表情を浮かべながらステージにやってきた。


 「「イヤァァァァァァァァァ!」」


 皆が歓声を上げる。

 理事長はなるべく平静を保とうとして、皆に軽く頭を下げる。

 そして、僕の方に歩み寄ると、誰にも聞こえない声で言った。


 「やってくれたな」


 僕はしたり顔でマイクを理事長に渡す。

 ここまでやってアイロン部の解散を指示する事はできないだろう。

 僕は理事長が次に述べる言葉を待った。

 理事長はそれでも僕に対して不敵に笑った。


 「北星学園理事長の榎本です。全校生徒の諸君、お集まりの皆様。今夜は北星学園文化祭の最後にふさわしい若さの溢れる夜となりました」


 僕は理事長の不敵な笑みにどうしょうもない不安を感じた。


 「さて、先日当校においてアイロン部に対し解散を求めた次第ではありますが、今夜の催しを見て私も考え方を変えざるを得ません。生徒の自由は生徒の力で。この力はこれからの日本を担っていく若者である皆さんの生涯の宝となるでしょう」


 全校生徒が咆えた。


 「「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」」


 それは不条理な施策に対し、僕ら生徒が勝利した瞬間だった。

 だが、理事長は僕の方を一瞥すると、続けた。


 「ただし、エクストリームアイロンは非常に危険な競技である事には間違いありません。また、競技人口も少なく、部として認めるにはいかがなものか。と、私は思案し、部として認めるに際して、今年度の残り半年において、部としての活動実績を公式に残せた場合のみ、その存続を認めようと思います。なぜなら、他のスポーツクラブや文化部と対等に引け目を感じる事無く活動していただき、北星学園の名を世に知らしめて欲しいからです」


 僕は全身から汗が吹き出るのを感じた。

 理事長は鼻を鳴らすと、僕にマイクを返した。

 公式の記録等、日本で大会をやっていない以上残す事はできない。

 ここで安易に返答すれば大会の所存を問われるだろう。ありもしない大会で記録を残すとここで公言すれば僕は全校生徒に対する嘘つきとされ、学園に居られなくなる。

 よって、公式大会の無いアイロン部は必然的にこの場で廃部宣言をしなければならない。


 「さあ、遠藤部長にアイロン部の抱負を語って貰いましょう」


 全校生徒が煽る。


 「「イエエエエェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェッ!」」


 僕はマイクに向かい何をしゃべればいいのか必死に考えるが、状況を打破する為のアイデアは浮かんで来ない。

 校舎の壁から二ノ宮、水下、伊藤っちゃんが呆然とした顔で僕の方を見つめている。全校生徒は皆が期待に満ちた目で僕を見つめている。

 そして、みかだけが、まるで天に祈るように手を組み俯いている。

 僕が諦めて小さくため息をついた時だ。


 「あー、ここで、全校生徒に重大な発表がある」


 スピーカーから流れ出るその声は間違える事も無い、嶋本先生だ。

 照明が嶋本先生の姿を探すが、発見できない。

 生徒の誰かが屋上を指差し、そこに佇む嶋本先生を見つけ騒ぎ始める。

 嶋本先生は一度、屋上の奥に引っ込むと、助走をつけ、先ほど僕が跳躍した踏み切り板から跳躍する。

 それはアイロンをかける一陣の風だった。

 錐揉みし、膝の上でアイロンをかけ、パラシュートでもって、ステージに着地する。

 僕とまったく同じエクストリームアイロンをこなし、悠然と立ち上がった嶋本先生の雄姿に皆、声も無く見とれていた。


 「アイロン部顧問。嶋本一彦です。今度、ここに居る遠藤真一と一緒に、エクストリームアイロンの大会に出場します」


 皆がどよめく。


 「エクストリームアイロンは全世界で競技人口千人弱のマイナーなスポーツです。当然日本に公式の大会なんてありません。ですから日本では理事長の言うような公式な記録なんて残す事はできません」


 嶋本先生はさも当然といった様な様子でそう皆に告げた。

 全校生徒達の間にどよめきが更に広がる。当然だ。公式大会で記録が残せなければその時点でアイロン部は解散なのだから。

 しかし、嶋本先生は不敵に笑う。


 「しかし、日本には大会が無くても、世界に目を向ければ大会はあります!そして、先日、私と遠藤真一に、世界大会の出場要請がありましたァッ!」


嶋本先生のガッツポーズに全校生徒が咆える。


 「「ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」」


 それは僕にとっても衝撃的だった。

 嶋本先生はにやりと笑うと、続ける。


 「詳しくはエクストリームアイロンの公式ホームページをご覧下さい。世界大会出場者欄に遠藤真一と私、嶋本一彦の名前が記載されております」


 理事長は目を丸くして僕らを見る。嶋本先生は僕らの方を笑いながら一瞥すると、全校生徒に向けて叫んだ。


 「我々は!北星学園アイロン部の看板を汚す事の無いよう!世界大会で優秀な記録を残して参ります!」


 そして、手にしたアイロンを頭上に掲げる。


 「エクストリィィィィィィィィィィム!」

 「「アイロン!イヤァァァッ!」」


 全校生徒が咆えた。


     

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