黒-闇に花開く色
連作短編の3作目です
カタン。
突然の物音に肩がビクリと震える。
何かが倒れたのかそれとも誰かがどこかにぶつかったのか。
両目が包帯で覆われた状態ではそれを知ることは出来ない。いや、仮に包帯がなかったとしてもその目が光を捕らえることはない。
コンコンコン。
「新見聡志さ~ん、入りますよ~」
「は、はい!」
少しして今度は扉が叩かれる音、それに続く声。
こちらは何度も聞いた音で、それでもわずかに緊張が走る。
病室では検温、包帯の交換、身体に触れる時だけでなくなにかをしようと動く前に看護師は必ず声を掛けてくれる。
交通事故で大怪我を負い、視力を完全に失った少年に対する医療者としての配慮なのだろう。病室も個室が宛がわれ、極力不安を抱かせないようにしてくれている。
「今日はお母様は来られないんですね。なにか困ったことはありませんか?」
「えっと、し、仕事を休めないらしくて。でも大丈夫です。その、ご飯食べるのを手伝ってくれれば」
相手の表情が見えない状態で無言だと不安になるだろうと、病室にいる間は看護師が絶えず話しかけてくれる。
なので、戸惑いはあれどそれほど不安を覚えることなく処置を終え、また病室が静かになった。
「はぁ~……」
聡志は看護師の足音が遠ざかってしばらくしてから大きく息を吐く。
そして息を止め耳を澄ませて、本当に病室には誰もいないことを確認してゆっくりとベッドに倒れ込む。
治りきっていない背中や肩、後頭部に痛みが走るが今はそれすらも安心材料となる。
事故の記憶は曖昧だ。
通っていた中学校を出て家に帰ろうとしたまでは覚えているが、次に覚えているのは病院のベッドの上で痛みのあまり声にならない叫びを上げたところからだ。
両親が自分の名前を呼んでいるのはわかったが真っ暗で身体もろくに動かない。
少しずつ右手を動かして顔を触ると両目を包帯が覆っているのがわかったのでホッとしたが、それはつかの間のことだった。
医師が診察のために包帯を解き、聡志が瞼を開いても、彼の目はなにも映すことができなかった。それどころか光を感じることさえ。
それからの聡志は些細な物音にも怯えるようになる。
物音の正体がわからない。
近いのか遠いのか、目が見えていた時は音を聞いただけでわかった沢山のことが、目が見えなくなってまったくわからなくなってしまった。
学校の友達が見舞いに来てくれたときも、聞き慣れているはずの声なのに相手の感情がわからず、ただ帰ってくれるのを願っていたほどだ。
「うぅぅ、もう嫌だよ。僕がどんな悪いことしたって言うんだよ!」
消灯時間を過ぎ、病棟が静まりかえるとようやく緊張が緩む。同時に、蓄積していく不満や不安、悔しさ、悲しさが口を突いて出る。
そうして泣き疲れてようやく眠りにつくのだ。
ただ、本当に眠れているのか、聡志にはわからない。
光を感じられないので目が覚めるという感覚が掴めないからだ。
起きているのか、それとも夢の中に居るのか。現実と夢の狭間をずっと行き来しているような気がしてしまう。
チチッ、チチチッ。
「な、なに? 鳥?」
不意に聞こえてきた音に聡志の意識が浮かび、反射的に耳に集中する。
コツ、コツ、チチッ。
ガラスを突くような小さな音と鳥の鳴き声。
ガラス越しに聞こえてきたその音は緊張を強いるものではなく、聡志は鳥が何をしているのか想像してみることにした。
まだ早い時間なのか病棟は静かで、遠くから看護師がなにか話しているらしい声が微かに聞こえてくるばかり。
そのことにホッとして聡志は意識を耳に集中させる。
カチャ
鳥が両足で跳び上がって着地した音。
カツ
なにかを突いたような音。
バタバタ
羽ばたきの音
落ち着いて聞き分ければ、聡志にも鳥がどんな動きをしているのかわかったような気がした。
「あの、外に出てみたいんですけど、ダメですか?」
「え?」
朝食の時、介助してくれている看護師に聡志が思い切って聞いてみる。
病室の中で聴く音はやはり恐い。けれど、外の音ならもしかしたら。
ただ、今日も母親は仕事があり、面会に来るのは夕方以降だろう。その時間からでは外出もできないだろうし、ダメでもともとといった気持ちだった。
「う~ん、念のため先生に相談してみますけど、車椅子で、敷地内を1時間くらいなら大丈夫だと思いますよ。手の空いたタイミングになっちゃうので待ってもらうけど、良い?」
「は、はい!」
これも医療行為の一環ということなのだろうか、意外にあっさり許可されて聡志の鼓動が早くなる。
いつもは恐いだけの食事が、ほんの少し味を感じられたような気がした。
外出は午後になるだろうと言われ、聡志は部屋で待っていると昼食後しばらくしてから男性の看護師が迎えに来た。中学生とはいえ体格は大人に近いので万が一のことを考えてなのだろう。
「新見くん、僕の腕、そう、そこを掴んでね。うん、ゆっくり腰を下ろして」
何度か聞いたことのある優しそうな男性看護師の声に従う。
車椅子の移動は恐い。
動いている感覚はあるのにどこに向かっているのかまったくわからない。
緊張で些細な振動のたびに肩が震えるが、今どんな動きをしているのか、これからどんな音や振動がするのかを逐一教えてくれることもあって、いつもよりは気持ちが落ち着いていられた。
「それじゃあここから外に出るよ。病院の中庭だね」
その言葉の直後、自動ドアが開く小さな音とフワリと優しい風が聡志の顔を撫でる。
「あの、外ってどんな感じですか?」
曖昧すぎる質問。
「う~ん、今はすごく晴れてるよ。雲はところどころ浮かんでる。日差しはまだ結構強いね。でも患者さんが何人か散歩してるよ」
なにを知りたいかわからないまでも丁寧に目に入るものを教えてくれる。
「植物はどうですか? その葉っぱの感じとか、色とか」
「まだ青々した葉が沢山だね。でも真夏の時よりほんの少し枯れかけのが増えてるよ。花壇は植え替えたばっかりのパンジーと、あれなんだっけ、鶏のとさかみたいな赤い花も咲いてるね」
思いつく限り重ねられる質問に、看護師ができるだけ具体的に説明してくれる。
ただ、それを聞いても聡志の中でなかなか鮮明な映像が浮かばない。色を聞いても、それがどんな色なのかをしっかりと思い出せない。
「わからない、です。僕、あんまりちゃんと見てこなかったんだなって」
「……そう、かもしれないね。そう言われると、僕だって別に空とか花とか、見たものを覚えようってしてないからさ。しっかりイメージできるかって聞かれると自信ないなぁ」
聡志の言葉に、看護師が少し考えてからそう言った。
「じゃあさ、新見くんはどんな風にイメージした?」
「え?」
「え~と、そうだな、あ、いま音がしたでしょ? なんだと思った?」
風が木の枝を撫でる音とは別に聞こえてきたカサリという音。
「えっと、なにか軽いものが落ちた、音?」
「うんうん、なにが落ちたと思う?」
「う~、木の枝、かな?」
「色は?」
「茶色で、葉っぱも着いてて、緑色?」
「正解!」
クイズのようなやり取り。
けれど、繰り返す内に、音が少しずつ輪郭を形作っていく。
「僕の説明する色と、新見くんが想像する色が同じかどうかはわからない。でも、別にそれでも良いんじゃない?」
「え?」
「いや、キミと話してて思ったんだけど、僕が見た緑色と他の人が見た緑色、本当に同じに見えてるかなんて結局わかんないなって。僕の目には野菜みたいな瑞々しい色に見えてるけど、他の人は真っ赤に映ってて、でもそれを緑色って名前で覚えてる。そんなこともあるかもしれない」
「そんなこと、あるのかなぁ」
「わかんないよ? もしかしたらキミのご飯の色が僕の目には紫色に映ってるかもしれない」
「え~!?」
想像してみて、思わず笑いがこみ上げてきた。
「そっか」
海は青い、葉っぱは緑、バラは赤い。
目に映る色はそうかもしれない。
けれど、別にそう感じる必要まではないのかもしれない。
「えっと、それじゃあ、晴れた暑い日の空は黄色」
「良いねぇ」
「お湯は赤い」
「そうそう」
「お母さんの顔は真っ赤」
「いつも怒られてる?」
いつぶりか、聡志の笑い声が色を伴って響いた。




