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貞操逆転ヤンキー世界のワケありヒロイン  作者: くにねむりと
第6章 血祓戯流、夜を越えて
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第98話 狂犬と無口な師範

「じゃ、次は――そこの、ガラ悪いの」

 昼奈が指をさした先で、煙が露骨に顔をしかめた。

「……オレ?」


「そう、あんた」

 昼奈はニコニコしながら、視線だけは鋭い。

「“狂犬”なんでしょ?

 うちの門下生、そういうの大好物よ。朝霞あさかぁ、出番」


 壁にもたれて見ていた長女・朝霞が、静かに姿勢を起こした。

 無駄のない動きでマットに上がると、ぺこりと一礼する。


「……よろしくな」

 低く短い声。


 煙は一瞬だけたじろいだが、すぐに顎をしゃくった。

「ふん……やってやるよ」

 靴ひもをきゅっと締め直し、マット中央へ歩み出る。



「始め!」

 昼奈の合図と同時に、煙が地を蹴った。


 最初から距離を詰める。

 ガードは粗いが、一歩一歩に体重が乗っている。


 右のストレート。

 朝霞は、ほんの指先ほどだけ顎を引き、肩をずらした。

 拳が鼻先をかすめて風を切る。


「っ……!」

 そのまま左フック。

 朝霞は前に出る。


 外から回ってきた腕の内側に、自分の前腕を滑り込ませ——

 肘と肩ごと、すっと上へ押し上げた。

 煙のフックは、力の逃げ場を失って空を切る。


「なっ――」

 バランスの崩れた懐に、コツン、と短い前蹴り。

 膝の外側を小さく叩かれただけなのに、煙の足がふらついた。


「足が軽い」

 朝霞がぽつりと言う。

「もっと地面を掴め」


「う、るせ……っ!」

 煙は舌打ちしながらも、即座に踏み込み直した。


 今度はフェイントを挟む。

 ジャブを見せて、相手の反応を見てから——

 低く、ボディへ思い切り右を叩き込む。


 鈍い音。

 だが、朝霞の腹筋がわずかに波打っただけだった。

 代わりに、煙の拳には硬い壁を殴ったような衝撃が走る。


「……いい力だ」

 朝霞は一歩も退かない。

 逆に、前足で煙のつま先を踏んだ。


「——っ!?」

 足を引こうとしても、床に縫い付けられた感覚。

 その瞬間、脇腹に短い膝蹴りが突き刺さる。


「がっ……!」

 呼吸が乱れかけたところへ、襟元をぐっと掴まれた。

 上半身が引き寄せられ――


「っ――」

 視界が反転する。

 ドサン。

 マットに叩きつけられた衝撃はあるが、頭は守られている。


「受け身を取れてるな。えらいぞ」

 朝霞が、淡々と評価した。

 煙は、肘でマットを押しながら睨み上げる。


「手、離せよ……!」

「暴れない」

 そのまま、がっちりと上から抑え込まれる。


 片膝を腹に食い込ませ、片腕で首元。

 もう片方の手は、煙の手首を掴んでマットに固定していた。

 ニ―オンベリー――膝立ちの体勢からの制圧だ。


「動けないだろう」

「……っざけんな」

 煙は腰を捻り、足をばたつかせる。


 だが、朝霞の重心は一切ブレなかった。

 むしろじわじわと、膝にかかる圧力が増していく。


「狂犬なら……このくらいで吠えない」

 静かな声。

 煙の歯ぎしりが、マットの上に小さく響いた。


「吠え……ねぇよ」

 腹から絞るように言うと、煙は一瞬だけ全身の力を抜いた。



 次の瞬間、腰を鋭く跳ね上げる。

 押さえられた腕をさらに奥へねじ込み、無理やり体を反転させた。


 体勢がぐらりと崩れる。

 朝霞の膝が滑り、重心が浮いた――

 そのわずかな瞬間に、煙は肩を入れて潜り込んだ。


「っらぁ!」

 今度は逆に、煙が朝霞の胴を抱え込む。

 腰を切り返しながら、半ば投げるように横へ転がった。


 ドサッ。

 二人まとめて転がり、目まぐるしく上下が入れ替わる。

 だが最終的に、上を取っていたのは――やはり朝霞だった。


 腰で挟むようにして、煙の動きを封じる。

 その顔に、わずかな笑み。

「うん」

「……何が、うんだよ」


「ちゃんと、狂犬」

 朝霞は短く言った。

「馬鹿みたいに噛みつくだけじゃない。

 苦しくても、最後まであがいて、隙を見て噛み返してくる」


 手を離し、すっと立ち上がる。

「こういうのは、教えようとしても、なかなか身につかないんだ」


 煙も、ぜえぜえと肩で息をしながら起き上がった。

「……褒められてんのか、それ」

「ああ」

 朝霞は、ほんのわずかに目尻を下げる。

 その柔らかさを見て、門下生たちが「おお……」「珍しい」と小声を漏らした。



 一琉は、その光景を横目で眺めながら、クーラーボックスの中身を取り出す。

「はい、煙も。レモンはちみつ入りスポドリ」

「……ん」

 受け取って、一気にあおる煙。

 喉を通る冷たさに、少しだけ顔がゆるんだ。


「一琉クン、気が利きすぎよねぇ」

 昼奈が笑いながら寄ってくる。

「もう完全にマネージャーじゃないの。

 門下生に欲しいくらいだわ」


「えっと……試合前後のケアくらいしかできないですけど」

「それが一番大事なのよ、戦場では」

 昼奈はニヤリとしつつ、ちらりと朝霞を見る。


「ね、朝霞?」

「……ああ」

 朝霞はそっけなく頷いたが、その視線は一瞬だけ一琉に向いた。

 すぐに逸らす。

 頬が、ほんのかすかに赤い。


 その変化に、沙夜だけが気づいて目をむいた。

「(は? 姉貴……?)」

 混乱する末妹をよそに、昼奈はぱん、と手を叩く。

「さ、まだ終わりじゃないわよ。

 今日はうちの“お客様”に、もう一発お手並み拝見させていただきましょうか」



 視線が、静の方を向く。

 窓際で、黙々とシャドーをしていた静が、ぴたりと動きを止めた。


「スト…番犬も、こっち来なさい」

「……わかった」


 静は一度一琉を見る。

 その視線だけで何かを確かめるように、ほんの短い間。

 一琉は微笑んで、軽く頷いた。


「ケガしない範囲で、がんばって」

「うん」

 静はそれだけ言って、マットへ上がった。


「相手は――あたしがやるわ」

 昼奈が一歩前に出る。


 周囲から、わずかに空気が変わるのが分かった。

 門下生たちが、ごくりと唾を飲む。


「師範代が、直接……!?」

「マジかよ、“音無し”……」


 梨々花はスマホを取り出しかけて、昼奈の鋭い目線に慌ててしまう。

「撮影は禁止よ、取材娘ちゃん」

「ひゃいっ」

 慌ててポケットにしまい込んだ。



 マット中央で、静と昼奈が向かい合う。

 静は、いつものジークンドーの構え。

 やや斜めに立ち、前足を軽く浮かせる。


 昼奈は――その構えを見て、目を細めた。

「ふぅん、 ジークンドーか」

「……知ってるのか」


「そりゃあねえ」

 肩をすくめる。

「そうね――」


 くい、と顎を上げた。

「詠春拳くらいは、もう知ってるわよね?」

「……なんだ、それは」

 静が、いつも通りの調子で首を傾げた。


 その一言で、道場の空気が固まる。

 沈黙。


 次の瞬間、昼奈が額を押さえた。

「……知らないの? アンタ、今までどうやって技身につけたのよ」

「——これを見た」


 静はポケットからスマホを取り出し、画面を見せる。

 そこには古いDVDの写真。

「“ドラゴン・マスター 完全版”」


「……やっぱあれ本気で言ってたんだ……」

 沙夜が小声でつぶやいた。


 昼奈は深々とため息をつく。

「そうやって拳法始める奴はよくいるわね。

 ——で、その後は?」


「終わりだ」


「………はぁぁぁぁ!?

 我流ってこと!? 

 ……ったく、たまにいるのよねぇアンタみたいなの」

 腰に手を当て、ばしばしと足元のマットを蹴る。


「何しようが勝手に強くなっていくタイプ、“ヘンタイ”だわ。

 そういうの、師範としては一番扱いづらいのよ」


 それでも、口元には楽しげな笑みがあった。

「……あとでイェンマンのDVD貸したげるから見ときなさい。

 鍛錬道具も武器も、好きなの持ってきていいわ」


 じろり、と静を指さす。

「それでどんなもんになるのか、逆に気になるし」

「……助かる」

 静は素直に頭を下げた。


 その横顔を見た一琉が、ふっと笑う。

「なんか、沙夜とリアクション似てますね」

「似てねぇよ!」

「似てる……」

 沙夜と静の声が重なり、また道場に笑いが広がった。



 厳しくて、ギラギラしていて、息が詰まりそうな場所。

 それでも——ほんの少しだけ、温度のある笑いが混じっている。


 血祓戯流の冬は、まだ始まったばかりだ。

 ここから、彼女たちの“強さの形”が、じわじわと変わっていく。

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