第96話 血祓戯流の洗礼
十本目のタックルを潰したところで、沙夜の膝ががくりと落ちた。
そのまま前のめりに倒れ込み、両手でマットを掴む。
「っは、はぁ……っ……!」
「よーし、いいわ。そこで一回死んどきなさい」
昼奈がぱん、と手を叩いた。
門下生が沙夜の脇に寄り、肩を貸してマット端まで運ぶ。
「沙夜、これ」
「……サンキュ、一琉……」
一琉が差し出したレモンはちみつのボトルを、沙夜は震える手で受け取った。
一口飲んだ瞬間、顔をしかめる。
「すっぱ……でも、うめ……」
「クエン酸は正義だからね」
苦笑しながら、一琉はタオルも渡した。
昼奈が後ろから覗き込む。
「へえ。 一琉クンにお世話してもらって、いいご身分ねえ。
……シゴキが足りないかしら」
「そういうんじゃねえ!」
沙夜が焦りながら話を逸らす
「あれだ……、そろそろ“家訓”の話もしとけよ。どうせ聞かれる」
「あー、そうね」
昼奈はくるりと客人側に向き直った。
「じゃ、血祓戯流のルール、改めてご紹介しまーす」
片手をひらひらさせながら、指を一本立てる。
「ひとつ、“卑怯こそ正道”」
「物騒な開幕だな」
夏菜が即ツッコミを入れた。
「ふたつ、“才能がなければ相手を引きずり落とせ”。
みっつ、“血を祓いつつ戯れろ”。自分の血でも、相手の血でもね」
「……最後だけ急にポエムっぽい」
梨々花が呟く。
昼奈は肩をすくめた。
「真面目に説明すると、こう。
才能あるやつが正面から勝つなんて、当たり前でつまらないでしょう?
血祓戯は“そこに届かないやつ”が、
知恵と卑怯で引きずり落として勝つための流派」
指輪を嵌めた指先で、自分のこめかみをコン、と叩く。
「でもね、ただ暴れるだけだとすぐ飽きるの。
だから“戯れ”――技を工夫して遊ぶ心を忘れるな、って意味で“戯流”。
血を浴びても、笑っていられるくらいでちょうどいい」
「……やっぱイカれてんな、この家」
沙夜がタオルで汗を拭いながらぼやき、一琉が苦笑する。
「でも、理屈は分かるよ。
強い人に真正面から勝つのは、難しいから」
「そうそう。理解が早くて助かるわ、一琉くん」
昼奈は機嫌よさそうに頷き、足元を指さした。
「だからウチは、道着も履きません。
見ての通り、スニーカーのまんま」
マットの上に並ぶ門下生たちは、皆普段着+スニーカーやブーツだ。
腹にサポーターを巻いていたり、膝にサポートタイツをしている程度。
「いつでも戦える格好が、血祓戯の正装よ」
「あとは武器術ね――」
昼奈はつけているリングを取り外した。
尖った装飾のように小さな突起がついている。
「これ、“鷹の爪”。ただのファッションリングよ?
銃刀法的にもギリギリセーフ。たぶん」
「ギリギリアウトだろ」
夏菜が食い気味に突っ込む。
「これをね、こうやって内向きに着けると——」
昼奈は自分の指にリングを嵌め、拳を軽く握って見せた。
「組んできた相手の首筋とか、二の腕とか、
スッと撫でるだけで——紙を裂くみたいに切れるの」
ゴムマットの上にしゃがみ、想像上の相手の腕を掴むように動く。
指が滑る軌道をなぞるたび、金属同士が小さく触れ合う音がした。
「………」
静の視線が、わずかに鋭くなる。
「ケージファイト上がりの“お嬢ちゃん”たち、
すぐ抱きついてくるでしょ。
そういう子は大体、ここらじゃカモ。
素手ならグラップラーが一番危険。でも、環境が変われば“危険”も変わる」
「……ここらでグラップル少ない理由、それか」
沙夜がため息をつく。
「“なんでもあり”なら隊列組んで長槍持つだけ。
銃刀法だなんだって制限があるから、“今、一番強い形”を考えられる。
――制限の中で最強を目指すのも、悪くない遊びよ」
「遊び……ねぇ」
夏菜が苦笑する。
「血祓戯の栄光はね」
昼奈は肩をすくめた。
「“卑怯だ”なんだって負け犬を踏みつけて得られる自己満足だけ。
……それでも、その自己満足に命賭けたい馬鹿のための流派ってわけよ」
そこには、わずかな誇りが混じっていた。
そこで、一琉が何気なく口を挟んだ。
「鷹の爪って、なんだかスパイシーですね」
沙夜が「やべっ」と小さく肩をすくめる。
以前、同じことを言った女門下生が、
その後地獄のスパーに送り込まれたのを思い出したのだ。
だが昼奈は――
「おほほ、そうなのよねぇ♡」
上機嫌で一琉に向き直る。
「一琉クン、料理もするんだ。
お姉さん、一琉クンみたいな子に毎日ごはん作ってもらえたら幸せだなぁ♡」
「え、えっと……」
しどろもどろになる一琉の背中に、音もなく静が張り付いた。
昼奈は、その様子も含めて楽しそうだ。
「ま、とにかく。
グラップルやるなら、こういうリスクも背負ってるって自覚しなさいって話。
——でも、そういうリスク込みで組み技やってくる女は、本当に怖い」
昼奈がにやりと笑う。
「爆轟閻魔もそうだったでしょ? 沙夜」
ピクリ、と沙夜の肩が揺れた。
「……あの女」
ぼそりと呟く。
「ローキック、全部カットされた。
タックルも、投げも、全部投げ返されて——
助太刀が入らなきゃ終わってた」
胸の奥に、迫る掌底がよぎる
昼奈は肩を竦めた。
「アイツも、一回ここ通ってんのよ。
血祓戯を体現した高弟だった」
凪嵐十字軍一同に驚きが走る。
「そこに八極拳なんて物騒なのを足したから、今の“爆轟閻魔”になったわけ」
「……!!じゃあ、あたしらがこれからやるの、
あの女の“元の環境”ってことか」
夏菜が口の端を吊り上げる。
「燃えてきたじゃねえか」
「うんうん、そうこなくちゃ」
昼奈はすっと立ち上がる。
「ま、いきなり武器は持たせないけどね。
まずは——」
指をぱちんと鳴らす。
「総合格闘技《MMA》の基礎。タックル受け、パス、グラップルの“最低限”。
空手がどうこう言う前に、現代の“読み書き”は身につけてもらうわ」
「……やっぱMMAジムじゃねーかここ」
沙夜が頭を抱える。
「違う違う。MMAは共通語。その上に“ウチの空手”乗せるの」
昼奈はバツ印を作ってから、手を花の形に開いてみせた。
「土台が総合《MMA》、その上にキックの間合いと突きの爆発力、急所と武器。
全部合わせて、“血祓戯流”。いいわね?」
「……正気じゃねぇよ」
「褒め言葉として受け取っとく」
昼奈は満足げに頷き、視線を客人たちへ向けた。
「じゃ、説明はこのくらいにして——
お友達サービスの時間にしましょうか」
ゴムマットの上にいた門下生たちが、一斉に立ち上がる。
獲物を前にした獣のような目が、夏菜たちに向けられた。
「男連れで来たお嬢ちゃんたちに、地獄見せてやるよ」
「手加減は? 師範代」
「しなさいとは言ってないわねえ」
殺気じみた笑いが、あちこちから漏れる。
「へぇ……上等だ」
夏菜が一歩、マットへと踏み出した。
「先鋒、やらせてもらうぜ。
ここの奴らにも通じなきゃ、地獄鬼と戦うなんざ夢のまた夢だ」
「“狂犬”はどうする?」
煙に問うと、彼女は肩を竦めた。
「後ででいい。ああいう奴らは、温まってからの方が面白ぇ」
「静は?」
「……必要なデータ、集める」
静はじっと門下生たちの足運びや構えを観察していた。
一琉は不安半分、期待半分の目で夏菜の背中を見る。
昼奈が手を上げた。
「じゃ、第一試合——
“虎閃”・夏菜ちゃん、いらっしゃい」
血祓戯流の冬の地獄見学は、見学だけで終わるはずもなかった。




