第94話 ヤバい道場
「……沙夜、今日も休みか」
数日後の昼休み。
一琉は弁当箱を閉じながら、教室の出席表にちらりと目をやった。
暗夜會とゴチャついている最中も、
鷹津は多少遅れてくることはあっても、休むことはほとんどなかった。
「道場戻るって言ってたしなぁ」
窓際でパンをかじる夏菜が、ストレッチ代わりに肩を回す。
「厳しいとこなんでしょ?」
梨々花がスマホをいじりながら首を傾げた。
「血祓戯流……
街の不良板じゃ“マジもんのイカれ道場”って呼ばれてる」
静はちらりと一琉を見る。
「……心配?」
「それは、まあ」
一琉は曖昧に笑ってから、ポケットからスマホを取り出した。
「あと、こっちもケリつけたいんだよね」
画面を開くと、“七緒”の名前が光っているチャット画面を呼び出す。
——地獄鬼・爆轟閻魔の襲来を、事前に知っていた男の娘。
一琉は、指先でゆっくりと文字を打ち込む。
『この前は教えてくれてありがとう。
どうして地獄鬼が来るって分かったの?』
送信。
既読がつくのは早かった。
すぐに返事が返ってくる。
『ふふっ♡ 気にしてくださったんですね、一琉さん』
続いて、ハートマークとスタンプが連打される。
『理由は——ひ・み・つ、です♡
でも、今度もっと大きなプレゼントを用意してますから、楽しみにしててくださいね』
「……プレゼント、ね」
一琉は小さく息を吐いた。
「どうだった?」
夏菜が覗き込む。
「うーん……要領を得ない、かな。
地獄鬼のことも、何で知ってたのか教えてくれない」
「内部の人間なのはほぼ確定、って感じだな」
煙が机に頬杖をついたまま、ぼそりと呟く。
「“もっと大きなプレゼント”ってのも、絶対ロクなもんじゃねぇぞ」
「……何を送ってくるのやら」
一琉は胸のざわつきを押し込め、スマホをしまった。
「とりあえず、七緒の件は“危険だけど敵だけとも言い切れない”で保留。
今は——沙夜の件、かな」
◇
さらに数日後。
「お、おはよー……」
教室のドアが開き、沙夜が顔を出した瞬間——教室の空気が固まった。
「ちょっ、えっ、沙夜!? それどうしたの!」
梨々花が椅子をひっくり返しそうになって立ち上がる。
顔の横には青黒い痣。
腕にはテーピング。
制服の襟元から覗く鎖骨周りにも、うっすらと打ち身の跡が見えた。
「襲撃受けたの?」
「暗夜會!?」
教室のあちこちから声が飛ぶ。
「ち、ちげーよ!」
沙夜は慌てて手を振った。
「ただの……ちょっとした、うっかり事故っていうか……」
「“ちょっとした”って程度か…?」
夏奈が腕を組む。
その視線の先で、一琉たちも席を立っていた。
「沙夜」
一琉が近づくと、目を逸らした。
「……べつに、大丈夫だから」
「大丈夫なわけあるか」
夏菜がじろりと睨む。
「それ、どう見ても殴られた痕と、投げられた痕と、落とされた痕だぞ。
アタシでも一日じゃそんな色にならねぇよ」
「……ッ」
図星だったのか、沙夜の肩がビクリと震える。
「沙夜」
静がそっと覗き込む。
「道場、きつい?」
「……きつくなきゃ、強くなんねーよ」
しばらく黙ったあと、沙夜は苦笑した。
「あーしが頼んで戻ったんだしさ。
泣き言いったら、姉貴らに笑われる」
「笑うような姉さんたちなの?」
一琉が問うと、沙夜は言葉に詰まる。
眉間に皺を寄せ、何かを飲み込み——舌打ち混じりに肩をすくめた。
「……とにかく、大丈夫。
でも正直、あーし一人じゃ折れそうだからさ」
そこでようやく、こちらを見る。
「見学くらい、来るか?
あーしの地獄を見て笑ってくれてもいいから」
「行く」
静が一言で答えた。
「そりゃ行くだろ」
夏菜も即答する。
「取材券きたーー!!」
梨々花はすでにノートを取り出している。
「……面白そうじゃん」
煙は欠伸を噛み殺しながらも、目だけは鋭かった。
一琉は小さく頷く。
「じゃあ、放課後。
差し入れ、持っていくよ」
「……マジで一琉、良い子すぎてそのうち死ぬぞ」
沙夜は呆れたように笑い、それでもどこか嬉しそうだった。
◇
夕方の住宅街は、朝とは違う顔をしていた。
吐く息が白く、街灯のオレンジが路地を長く伸ばす。
「ここだよ」
沙夜が立ち止まった先には、古い木造の建物と、横にくっついた平屋。
昼間、一琉がスマホで見ていたストリートビューのまま——
いや、それよりも少しだけボロく見える。
門柱の横、白い木の看板には墨の文字。
血祓戯流道場。
「……なんか、想像より“道場”って感じしないね」
一琉が正直な感想を漏らす。
夏菜は門の向こうを覗き込み、口笛を鳴らした。
「いやいや、いい雰囲気だぜ?
こういうとこで育ったら、そりゃあひねくれるわ」
「うっせ」
沙夜が肘でつつく。
「靴、脱ぐの?」
梨々花が訊ねると、沙夜は苦い顔になった。
「……それがさ」
ちょうどそのとき。
引き戸がガラリと開き、中から声が飛んできた。
「靴は履いたまんまでお上がりなさーい♡」
明るい女の声。
現れたのは、沙夜とどこか似た目元の、派手めな美女だった。
タイトなトレーニングウェアに、
腰に巻いた道着の帯だけが名残のように揺れている。
髪はゆるくまとめられ、耳にはやたらキラキラしたピアス。
「お友達、連れてきたのねぇ、沙夜」
「……昼奈姉」
沙夜が小さく呟くと、昼奈はぱっと笑顔を広げた。
「はじめましてぇ、血祓戯流師範代、鷹津昼奈でーす♡」
そう言って、一琉の方にすっと歩み寄る。
「そしてぇ……あなたが噂の、一琉くん?」
「え、はい。
一琉です、よろしくおねがいします」
ぺこりと頭を下げると、昼奈の目がキラリと光った。
「礼儀正しいぃ……しかも美形……しかも女にビビらない……」
ぶつぶつと何かを数え始める。
「昼奈姉、よだれ」
「出てないわよ?」
横で静の気配が、ほんの少しだけ温度を下げる。
「そっちのは……ストーカーかしら?」
昼奈はその視線に気づき、にっこりと微笑んだ。
静は答えない。
「突然ぶっこんだな」
夏菜が笑いを堪える。
「悪くないわね。修羅場潜ってきた子はみんな可愛いわ。
今日は“お友達”が見学に来てるってことで、特別に丁寧に説明してあげる」
昼奈はくるりと踵を返し、中へと手招きした。
「さ、入って入って。
うちの“まともじゃない空手”をお見せするから」
戸の向こうに広がっていたのは――
木の床ではなく、灰色のゴムマットが一面に敷かれたフロア。
壁にはミットとサンドバッグ、角には椅子とパイプ、雑多な武器にも見える木刀や棒。
そして、その上を。
スニーカーやブーツを履いたまま、女たちが殴り合っていた。
「……道着、ないんですね」
一琉が思わず呟く。
「ウチでんなコスプレしてきやがったらフクロよ」
昼奈が笑う。
「各自で揃えた“いつでも戦える装束”が、血祓戯の正装。
外で襲われても、そのまま動けなきゃ意味ないでしょ?」
「汗臭くなるから道着用意してほしいんだけどなぁ……」
沙夜が小声でぼやく。
昼奈は肩をすくめて、道場の中央を顎でしゃくった。
「ほら、見てなさい。
——血でも汗でも全部祓って、最後に立ってた奴だけが勝ち。
それが血祓戯流よ」
マットの上で門下生同士が打ち合っている。
実力差は明らかで、片方が圧倒し、もう一方はガードを固めている。
レフェリーがいれば警告を受けそうなほどの固まりぶり。
そのうちに、押し込んでいる方が焦れて、そのままテイクダウンを仕掛けた。
——その瞬間、守っていた方の重心がストンと落ち、相手を引き込んでそのまま投げた。
巴投げ。 投げられた方は受け身をとれずに転がる。
投げた方は即座に反転し膝で抑え込むと軽く掌底の一撃。
「ごはっ…! くそ……」
攻め込んでいた方が負けを認め、立ち上がる。
「安易な組みつきは何でもありの環境じゃハイリスクだぜ」
勝ったとは思えないほどボロボロの側が、ほぼ無傷の相手の肩をたたく。
「立ち技がどんなに強くても、一手ですべてがひっくり返るのがストリートよ。
逆に言えば——実力が足りないなら、有利なところに引きずり込めばいいってこと」
昼奈の声は楽しげだった。
「ウチはそれを教える場所よ」
「マジでヤバい道場だぁ……」
梨々花が驚愕しながらもメモをする手は止まらない。
「――さあ沙夜。
アンタの“友達”の前で、どこまでやれるか見せてちょうだい?」
沙夜は一瞬だけ、仲間たちを振り返る。
一琉、夏菜、静、煙、梨々花。
全員の目が、真剣にこちらを見ていた。
喉の奥の恐怖を、噛み殺す。
「……上等だよ、昼奈姉」
沙夜はジャージの袖をまくり、マットの上に一歩踏み出した。
血祓戯流という地獄の、真正面へ。




