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第90話 外伝 爆轟閻魔、襲来

 晩秋の夕暮れは、昼と夜の境目を曖昧にする。

 街灯が点き始めた商店街の外れ。

 カノンへ続く裏路地には、パンと油の匂い、

 それから、湿った落ち葉の匂いが混じっていた。



「……じゃ、今日はここまでだな」

 夏菜が腕を回しながら言う。

「みんな、ちゃんと周り見て帰れよ。七緒クンの話もあったしな」


「ああ」

 鷹津が、いつものように周囲をざっと見渡す。

「裏路地抜けて駅まで。変なのがいたら即撤退」


「んなビビるかよ」

 煙はポケットに手を突っ込んだまま、あくびを一つ。

「来るなら来いって感じだろ。まとめてぶっ飛ばして——」



 その言葉が終わる前だった。

 空気が、変わった。

 何かが鳴ったわけでも、見えたわけでもない。

 ただ、路地の先にある闇が、すっと“濃くなる”。


 静が、一歩だけ前に出た。

「……来た」

 その一言が、空気を変えた。



 路地の奥。

 電柱の影から、ひとつのシルエットが歩み出る。


 黒。

 ゴシックとパンクを融合させたような、レースとチェーンと鋲。

 ロングコートの裾が、風でもないのに揺れたように見えた。


「見つけた」

 その視線が、一琉たちをゆっくりとなぞる。

「凪嵐十字軍」


 噂でしか知らなかった名前が、現実の輪郭を伴って立っていた。

 指には、細い棘のついたリング。

 手首には、鋲のついたブレスレットとチェーン。



「う……」

 梨々花が思わず呟いた。

「本物……

 黒崎燐。地獄鬼だ……」


「オマエが」

 煙が一歩、前へ出た。

 身長差は、さほどない。

 けれど、二人の立ち姿はまるで違っていた。


 煙は今すぐ噛みつこうとする獣のような前のめり。

 燐は重心を落としたまま、微動だにしない。


「“爆轟閻魔”、とか言ったか?」

 煙の口元が吊り上がる。

「名前負けしてねぇといいけどな」


「ふーん」

 燐は、ほんの少しだけ首を傾げた。

 瞳の奥が、退屈そうに揺れる。

「狂犬か」

 その声の調子で、自分が“見られている”と誰もが分かった。

「どれくらい、もつかな」



 その一言で、煙の足が地面を蹴った。

「言ってろ!!」


 踏み込みは速い。

 路地のアスファルトを蹴り、上体を前に倒す。

 左のショートフックを、顎に叩き込む軌道で振りかぶる。


 その瞬間。

 燐の身体が「沈んだ」。

 膝と腰を同時に折り、上半身をほんの数センチ、後ろに引く。

 同時に——燐の左手首が、小さく円を描く。


 煙の左手首を外側から逸らし、その勢いを“巻き取る”。

 掴む、というより、腕に自分の前腕を絡ませるような動き。


 煙の突きの軌道が、ねじ曲げられた。



「……っ!?」

 バランスが前に崩れる。

 そのまま燐が密着距離へ滑り込む。


 体全体を、一気に前へ“爆ぜさせる”。

 左肩同士がぶつかり——鉄の塊が爆発したような衝撃。


「——ッッ!!?」

 骨が軋み、背中が空気を裂く。

 路地に交通事故のような嫌な音が響いた。


 煙の身体が、弾かれた紙袋のように横へ飛ぶ。

 背中からシャッターに叩きつけられ、ずるずると崩れ落ちた。


 ——鉄山靠てつざんこう



「煙!」

 一琉が駆け寄る。

 膝をつき、肩を支えた。


「……っ、ごほっ……なんだ、今の……」

 煙は荒い呼吸の合間にうめく。

「体が……動かねぇ……」


 生半可な攻撃など、喰らいながら殴り返す。

 そうやって生き抜いてきた煙が、

 いまだかつて経験したことのない強大な衝撃。



「……八極拳」

 鷹津が低く呟いた。

 燐の姿から目を離さない。


「縮身からの鉄山靠……崩しと連動してやがる」

 戦慄をにじませる。

「煙が一撃とはね……やべぇぞ」


 燐はそんな様子に、特に興奮も見せず首をかしげた。

「意識残ってるんだ。さすが“狂犬”」



「ひゅぅ……こりゃ、やべぇな」

 夏菜が息を鳴らした。

「一琉、煙見ててくれるか?」


「うん」

 一琉は頷き、煙の呼吸と胸の動きを確かめる。

 骨は……折れてはいない。

 だが、衝撃で筋肉と肺が悲鳴を上げている。


 震える息遣いを感じながら、必死に表情を整えた。

(これが——地獄鬼)

 その間にも、燐は一歩、また一歩と近づいてきた。



「次」

 コツ、コツ、とブーツの音が路地に響く。


「……ふぅ」

 鷹津が息を吐き、前に出る。

 拳を軽く握り、構えを取った。


「実戦で八極拳使う奴、初めて見たわ」

 鷹津が先に動いた。

 フットワークで間合いを保ち、

 フェイントを織り交ぜ狙いを絞らせない。



 ——ジャブ。

 わざと少し外側に逸らし、様子を見る探りの拳。


 燐は、その拳に向かって自分から踏み込んだ。

 手のひらで拳を外に弾く。

 パリング。

 こともなげにボクシングの技術が使われる。


「っ!」

 鷹津の拳は、燐の顎をかすめることすらできず、外側へ滑らされる。



 同時に燐の右手、鋭く尖った指輪の縁が、拳の甲をなぞった。

 紙を裂くような感触。


「……っつ!」

 遅れて、熱い痛みが走る。

 甲の皮膚に、赤い線がスッと一本浮かんだ。


 鷹津はすぐに距離を取る。

「小細工仕込みやがって、卑怯者がよぉ!」


「負け犬はみんなそう言う」

 燐は淡々と言う。

「焦る?」


「…生憎、かすり傷で焦るほど柔じゃないのよ」

 鷹津は笑い飛ばした。



 ——その裏腹で地獄鬼の重圧が強く感じる。

 拳法・武術の弱点、現代格闘のリズムに適応している。

 フットワークやフェイントに、まったく動じない。


 鷹津は低く吸って、右ローを放つ。

 フェイントを交え、低いキックを刺す。


 膝ではなく、カーフ寄り。

 現代の実戦格闘技で磨いた角度。



 燐は、わずかに前足を上げただけだった。

 前脛でローキックを“チェックする”形。

 明らかに慣れている。


「……カット……!」

 鷹津の目が見開かれる。


 同時に、燐の足先が小さく弾む。

 カーフラインを逆に蹴り返すような当て方。


「……ぐっ」

 ふくらはぎに刺すような痛み。

 足がじんと痺れ、体重が乗せづらくなる。


 バランスがほんの少し揺らぐ。



 その一瞬の揺らぎを、燐は見逃さなかった。

 前足をストンと落とし、一気に前へ滑る。

 現代的なディフェンスから、

 突然間合いを踏み破る、八極拳の踏み込みに。


 鷹津との距離が潰される。

(……っ、近い!)

 胸と胸がぶつかるほどの間合い。


(この間合いはマズい!)

 現代格闘ではクリンチか組み付き、八極拳では——主戦場。

 だが——打てる手がない。



 鷹津は苦し紛れに組みつこうとする。

 その腕は、途中で止められた。


 燐の左手が、鷹津の手首を下からすくい上げるように掴む。

 腰に回した腕ごと、燐の右手が絡みついた。

 燐の足が、鷹津の足首の外側に軽く引っかかる。

 ——掛踏。


「——ふっ」

 最小限の動きで、体をひねる。

 上半身と下半身のバランスが逆向きに引っ張られる。


 ——受け身を取る間もなく、鷹津の背中が地面に叩きつけられた。



「ッっ……!」

 肺の空気が抜ける。

 その上から、燐の膝が鷹津の腹を押さえつけた。

 ニー・オン・ベリー。


 右手首はさっきの流れで既に掴まれている。

 腹に食い込んだ膝が呼吸を奪い、押さえられた腕が自由を奪う。


「や、ばッ——」

 残った片手を上げかけた瞬間。

 右の掌が、ゆっくりと引かれた。

 狙いは、額。

 至近距離からの掌底。



 鷹津の脳裏に、かつて倒した蜘蛛の巣会、マネキの言葉がよぎる。

(——手も足も出せなくなる。

 ——デカい一発を喰らわされる)


 あの怖がり様を、信じなかったわけではない。

 あれから独自に鍛錬を続けて、地獄鬼にだって負けないと自負があった。


(——通用、しねえ……!)



 鷹津自身が、そう思った瞬間。

「ッらぁ!!!」

 横合いから影が飛び込んできた。


 夏菜の飛び蹴り——

 助走なしのワンステップから、全身をひねり込んだミドルレンジ。


 燐は掌を戻し、前腕でそれを受ける。

 金属音がした。


「くっ!」

 その隙に鷹津がなんとか転がって脱出する。


「……っ!」

 夏菜が地面に着地した瞬間、顔をしかめる。

「…てて…! まじで強えな…」


 脛に焼けるような痛み。

 燐のブレスレットの鋲が、蹴り足のすねを斜めに裂いていた。



「……わりいわりい。

 つい、足が出ちまったぜ」

 夏菜は口角を上げた。

「まとめて胸貸してくれるよな? 先輩」


「最初から、そのつもり」

 燐は立ち上がりながら言った。

 軽く手首を振る。

 リストアクセから血が一筋、路地に落ちた。


 静が、一歩前へ出た。

 夏菜の肩越しに燐を見る。


「……強い」

 短い評価。

「気をつけて。さっきのは、全部“入り口”」


「分かってる」

 夏菜は息を吐く。

 白い息が、路地裏の空気に溶けた。


 襲撃の夜は、まだ始まったばかりだった。

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