第88話 外伝 修羅華速報⑤ 影と守護
放課後の教室には、部活に向かう足音と、斜めの夕陽だけが残っていた。
窓際で静が文庫本を開き、
一琉は前の席でノートPCを閉じる。
後ろの島には、夏菜と鷹津と煙。
真ん中で、椅子を反転させてまたがった梨々花がスマホを掲げる。
「さてさて、本日の修羅華速報は、広目天と持国天のターンでーす!」
「お、裏方コンビか」
夏菜が腕を組む。
「何やらかした?」
「やりすぎ、って言うの」
梨々花は記事のスクショを見せた。
「広目天、“流火党”と“紫電会”を同時にぶつけたのよ。
どっちにも『裏切り者がいる』って偽情報流して、大乱闘」
「……性格悪っ」
鷹津が顔をしかめる。
「どっちも相当な勢力だぞ。二つ同時に潰すとか、怖すぎだろ」
「で、そのあと炎掌・南條サナと電撃・早乙女ヒカルを──」
梨々花が指を二本立てる。
「広目天が、まとめて“処理”」
「……マジで“戦場を作る奴”じゃねーか……」
夏菜は口を半開きにした。
「夜叉と増長天ぶつけたのもあいつだって噂あったけどよ。あの時点でこれかよ」
窓際から、煙がつまらなそうに言う。
「殴り合いなら一人でやりゃいいだろ」
「お前はそうだろうな、狂犬」
鷹津がため息をつく。
「でも修羅華は、戦場を“デザインする”奴が覇権取ってる。
現場は、その絵の上で暴れてるだけだ」
「ふふん、まだあるわよ」
梨々花は次のページを開いた。
「持国天。三年の残党派閥が一年狩りに来たんだけど——
“守護番長”が正面から迎え撃って撃退!」
「守護番長?」
夏菜が目を丸くする。
「一年のくせに、上級生まで従えてるって噂の」
「そう、その人」
梨々花が頷く。
「二年の脱落組まで取り込んで、上級生すら号令に従わせたって。
もう“軍隊”よ」
「一年にして軍隊持ち、か……」
鷹津は苦笑した。
「群れて強がるのは勝手」
煙が鼻で笑う。
「でも結局、殴り合いで立ってる奴が最後に残るんだろ?」
「そうだな」
夏菜はニヤリとする。
「でも“群れを守れる奴”がいるから、修羅華は面白ぇんだよ」
「はいはい、まとめ!」
梨々花は椅子の背をコンコンと叩いた。
「暴力の夜叉天、暴君の増長天、守護の持国天、影の広目天!」
ドヤ顔でスマホを掲げる。
「修羅華は“四天王時代”に突入しました〜!」
「恐ろしいこったな」
夏菜が肩をすくめた。
「まぁ、うちの街からしたら遠い世界の話だけどな」
鷹津も言う。
「遠いようで、案外近いかもよ?」
梨々花はニヤリと笑い、一琉の方を見る。
「ね、ボス?」
「……うんうん、すごいなー」
一琉はノートをカバンにしまいながら、生返事を返した。
「絶対聞いてないでしょあんた!」
梨々花がぷんすこする。
「でも安心なさい、この梨々花ちゃんがぜーんぶ記録してるから!」
「——あ、そうそう。あとさ」
梨々花が、スマホを再びスクロールする。
「地獄鬼。“爆轟閻魔”のことも、ちょっと話題に」
その名を聞いた瞬間、空気がわずかに変わる。
「今や四天王でも最強との意見が根強い夜叉天、
明堂アカネと正面からやりあって——」
梨々花は、一文を読み上げる。
「“唯一、黒星がつかなかった女”」
「……化け物じゃねーか」
鷹津がぼそりと漏らした。
「アカネさん相手に、それって」
「闘い方は、中国拳法。詳細は……よくわかんないけどさ」
梨々花は肩をすくめる。
「“削って爆ぜる”って書いてある。
どういうことか分かる?」
「地獄鬼、ねぇ」
夏菜は天井を仰いだ。
「本当に今も動いてるなら、出てくるのは今…か」
一琉は、カバンのチャックを閉めながら、心の中でだけ思う。
(地獄鬼……爆轟閻魔、黒崎燐)
薫子が言っていた名前が、頭の中でつながっていく。
暗夜會最強の個人戦力。
そして、その配下が——虚無詠劫。
単独の襲撃で、整えた盤面をひっくり返せる存在。
「……まぁ」
夏菜が立ち上がり、伸びをした。
「向こうがこっちにわざわざ来てくれねぇ限り、関係ねーけどな」
「来ないとは限らない」
静が小さく首を振る。
「蜘蛛の巣会。狂輪会」
淡々とした声。
「次、誰が来るか、わからない」
「……だそうです、ヘッド」
鷹津が視線を送る。
一琉は短く息を吐き、笑った。
「そうだね。だからこそ──」
窓の外、夕焼けに染まる校庭を見ながら呟く。
「油断しないで、いつもの日常を守る。今の僕らに出来るのは、それくらいかな」
梨々花が笑う。
「さすがね、ヘッド。でも、その通りかもねー」
笑い声の奥で、言葉だけが沈殿していく。
伸びるのが早くなった放課後の影が、
やけに長く感じられた。
◇ ◇ ◇
その夜、暗夜會・幹部会。
口火を切ったのは、修羅鬼だった。
「……狂輪会も、潰されたか」
割れた机の上には、蛇喰峠の写真が並べられている。
阿修羅號。
血にまみれた獣鬼。
そして、その横で笑っているのは──ガンマ乗りの少女。
「暴動鉄騎隊と呼応、ね」
窓際で椅子を逆さにして座っている女が、退屈そうに指を鳴らした。
「凪嵐十字軍は、もはや雑魚の群れじゃない。敵の首魁だよ」
天鬼は写真の端をつつく。
「蜘蛛の巣会。狂輪会」
薄く笑った。
「鬼道連時代の駒を、
ずいぶん綺麗に片づけてくれたじゃないか」
「綺麗……ねぇ」
壁にもたれていた女が口を開いた。
黒のロングコート。
レースのついたトップスに、鋲だらけのチョーカーとブレスレット。
指には、細い刃物みたいな意匠のリングがいくつも光っている。
黒崎・燐。
地獄鬼。
異名──“爆轟閻魔”。
「今さら惜しいとか言わないでよ、天鬼」
「惜しがってないさ」
天鬼は肩をすくめる。
「ただ、舞台はまだ続くと思ってたんだ。なのにさ——」
写真を指先で弾き、くるりと裏返した。
「そろそろ“新しい役者”を出したくなっちゃってね」
修羅鬼が、息を呑む。
「まさか……地獄鬼を前線に?」
「当たり前だろ?」
天鬼は燐の方を振り向く。
目が合う。
「燐」
その名を呼ぶ声は、不思議と柔らかかった。
「行ってくれるかい?」
「……めんどくさ」
燐は、うっすらと目を細めた。
虚無の色をした瞳。
けれど、その奥では、どこか楽しそうな火がちろりと揺れる。
「まあ、いいけど」
壁から背を離す。
「私が出る」
修羅鬼が思わず身を乗り出した。
「相手は、蜘蛛の巣会と狂輪会を潰した連中だぞ。さすがに、数は──」
「要らない」
燐は首を振る。
「数で殴るのは、アンタらの役目でしょ」
左手のブレスレットが、かすかに鳴った。
金属音。
その端には、小さな棘が並んでいる。
「盤面なんて、一カ所ひっくり返せば十分だよ」
天鬼が口元を緩めた。
「ほら、やっぱり最高の演者だ」
「……またそうやって、テキトーに舞台つくる」
燐は呆れたように目を細める。
「アンタ、ロマンで生きてるだけじゃん」
「バレた?」
天鬼は肩をすくめる。
「でもほら、これまでもなんとかなってきたろ?」
「で?」
燐はため息を一つ、窓の外を一瞥する。
晩秋の空。
街の灯りが、じわじわと滲み始める宵の口。
「相手は——凪嵐十字軍?」
天鬼が頷く。
「……はぁ」
燐は大きくため息をつく。
「めんどくさい」
口ではそう言いながらも、指先でチョーカーの鋲をなぞる。
ジャラ、と金属の音。
装飾品が、薄暗い部屋で妖しく光る。
「でもまあ、逢魔が時って嫌いじゃないし」
窓の外を見つめながら、ぽつりと足す。
「血の線、よく映えそうだしね」
天鬼が笑った。
「いいね、そのセリフ。台本にメモっておこうか」
「そういうとこがムカつくんだよ、アンタは」
燐は口元だけで笑った。
壁から離れ、出口へ歩き出す。
ただ、片手だけ軽く挙げた。
「あんまり期待しないで待ってなよ」
淡々とした声。
「“いつでも潰せる”って結論くらいは、すぐ持ってきてあげるから」
「さあ」
天鬼は机の写真に指を伸ばす。
「凪嵐十字軍。君たちの“守りたいもの”を、どこまで守れるか──」
くすりと笑って、指先で写真を弾いた。
晩秋の逢魔が時が、静かに迫ってきていた。




