第85話 獣鬼戦④ 虎閃、三次元殺法
廃変電所の真ん中で、二人は向かい合った。
背後では、まだ喧嘩の音が鳴っている。
鉄パイプが鉄骨を叩く音。
誰かが倒れる鈍い音。
その全部を、夏菜は一度だけ耳に入れてから、切り離した。
「……集中するか」
足元を軽く弾ませる。
獣鬼は、プロテクターだらけの上半身をぐるりと回し、首を鳴らした。
「外様一人に、ここまでやらせるとはな」
フルフェイスの奥で、笑い声が響く。
「狂輪会の看板に傷がつくところだったぜ」
「いや、もうベッコベコだろ」
夏菜は肩をすくめた。
「勝負のあとにダサい真似しようとしてんの、テメェだし」
「……口だけは達者だな」
獣鬼が、一歩だけ前に出た。
その一歩だけで、空気が重くなる。
体格差は歴然だ。
夏菜は、胸の前で軽く構えを取る。
「喧嘩だって」
口角を上げた。
「あたしのホームだぜ」
次の瞬間。
獣鬼の右フックが、風を裂いた。
「──ッ!」
夏菜は一歩、体を沈める。
風圧だけで前髪が揺れた。
「重っ……」
夏菜は低く笑った。
振り抜かれた腕の下から潜り込み、ローキックを叩き込む。
膝。
脛。
装甲の薄そうな部分を選んで蹴る。
だが、鈍い手応えは返ってくるものの、獣鬼の表情は変わらなかった。
「効かねぇな」
獣鬼が、露骨に肩をすくめる。
「おもちゃみてぇな蹴りだ」
続けざまに、タックルのような突進。
夏菜は横に跳んでかわす。
肩が掠めただけなのに、体が横に弾かれた。
「っつ……」
頬に切り傷が走る。
フルフェイスのバイザーの縁だ。
「プロテクターとヘルメットでガチガチかよ」
夏菜は舌打ちした。
「つまんねぇ女だな」
獣鬼が鼻で笑う。
「喧嘩ナメてんのか?」
「ナメてんのはテメェだよ」
虎の眼光が鋭く光る。
その間にも、周囲では鉄騎隊と狂輪会がぶつかり合っていた。
鉄パイプの金属音。
怒号と悲鳴。
阿修羅號は広場の端で白煙を吐きながら向きを変え、
次に突っ込む相手を探している。
「よそ見すんなやァ!!」
獣鬼が、タックル気味に踏み込んできた。
大きな影が、夏菜を飲み込もうとする。
「うおっと……!」
夏菜は横に跳び、かわしざまに側頭部めがけてハイキック。
ガンッ、と重い音がした。
ヘルメットのシールドに、白い傷が走る。
「ちょいは当たるようになってきたじゃねぇか」
獣鬼は、まるで効いてないとでも言うように笑った。
「だが、当たったって通らなきゃ意味がねぇんだよ」
「テメェの頭、どんだけ硬ぇんだよ……」
夏菜は、わざと一歩下がった。
肩で荒く息をしながら、少しだけ足元をふらつかせる。
「なにビビってんだ、外様ぁ?」
獣鬼がゆっくりと迫ってくる。
「走りじゃたまたま前に出れただけだろうが」
「どうだろうなぁ」
夏菜は、口の端だけで笑う。
「じゃあ今度は──」
足を軽く弾ませて、距離を測る。
「こっちの出番ってだけだ」
獣鬼の体重が、前に乗った。
「死ねやァ!!」
そのまま地面を蹴る。
正面からの全力タックル。
腕を広げ、まとめて抱え込むつもりだ。
「そんじゃ、本気で潰れ──」
夏菜は、そこで動いた。
タイルの床を蹴る。
獣鬼の肩をかすめるようにして、踏み込み。
——ローリングソバット。
踵が、獣鬼の側頭部を薙いだ。
鈍い衝撃。
ヘルメットの横に、もう一筋、亀裂が走る。
「っ……!」
巨体がわずかにぐらついた。
ヘルメット越しにダメージは通りにくい。
けれど、完全に無効化はできない。
「ほぉ……」
獣鬼が口元を歪める。
「ちょっとはやるじゃねえか」
「そりゃどうも」
夏菜は、体勢を立て直しながら息を吐いた。
その時、視界に写る影。
——鉄騎隊の一人が狂輪会の群れに囲まれている。
「オラァ! まとめてかかってこい!」
煙が、その輪の中へ飛び込んだ瞬間——
「どけ」
夏菜は走り出していた。
敵の一人の肩を踏み台に、ぐんと跳ぶ。
膝を別の一人の首に絡め、くるりと回転。
「うわっ!?」
ヘッドシザースホイップ。
集団に投げこまれた狂輪会のメンバーによって、包囲が崩れる。
「ってことで」
着地と同時にスライドし、再び獣鬼と対峙する位置に戻る。
「雑魚の相手は、そっちに任せたぜ」
「勝手に人使うな」
煙が顔をしかめる。
が、その口元は少しだけ笑っていた。
夏菜は、再び構えを取る。
「……さて」
「まだやるか、ヘッド」
「当たり前だろうが!」
獣鬼が吠えた。
意趣返しと言わんばかりに、
近くで狂輪会と競っていた鉄騎隊メンバーをラリアット気味に吹き飛ばす。
その隙に夏奈のミドルが脇腹に入るが——
蹴り足をそのまま掴み取ってきた。
「っと——」
「捕まえたぜ、チビ!」
そのまま、力任せに振り回そうとする。
「甘ぇよ」
夏菜は即座に、掴まれた足を軸に身体をひねった。
空中で体勢を反転させる。
掴まれていない方の足が、しなりを生む。
「延髄ィ──!」
踵が、ヘルメットの後頭部をばちんと打ち抜いた。
「ぐっ……!」
獣鬼の体が、前のめりに沈みかける。
足のホールドが緩んだ瞬間、夏菜は地面に手をついて着地した。
「いつまでもヘルメットかぶりやがって」
夏奈は口の端を吊り上げる。
「シャイな女だぜ」
「どんな面してるか」
にやりと笑った。
「おがんでやるよ」
フルフェイスのシールドには、積み重なった衝撃で、細かなヒビが入っていた。
今はまだ“顔”までは見えない。
それでも、内側で歯を食いしばっている気配だけは伝わる。
——廃変電所の夜は、まだ終わらない。




