第83話 獣鬼戦② 走りの決着
蛇喰峠・最初のタイトコーナーが、ヘッドライトの先に姿を現した。
ブレーキング勝負。
ガンマの勝負どころだ。
先行するのは獣鬼。
V-MAXの巨体が、そのままの勢いでタイトコーナーへと突っ込んでいく。
「…無理筋だ!!」
夏菜はV-MAXの進入速度を見て、
そう判断した。
ガードレールへの接触が予想される無茶な突っ込み。
「インはもらったぜ!」
だからこそ、インを刺すラインを選ぶ。
だが——
「……っ!」
次の瞬間、彼女は息を飲んだ。
V-MAXの後輪が、横に流れた。
巨体のテールがアウト側へ振り出される。
白煙と火花を撒き散らしながら、
車体を斜めに滑らせていく。
「…ッ!! パワースライド!?」
夏菜が叫ぶ。
「オフロードじゃねえんだぞ!!」
道幅いっぱいに広がったV-MAXが、
ガンマのイン側ラインを塞ぐ。
このまま突っ込めば、横っ腹に刺さる。
即クラッシュだ。
「クソッ!」
夏菜は即座に判断を変える。
インを捨て、アウト寄りにラインを取り直す。
フロントフォークが悲鳴を上げるくらいのフルブレーキング。
火花が散り、タイヤが路面をかじる。
髪の毛一本分みたいな隙間を縫って、
ガンマがV-MAXの外側を回り込む。
コーナーを抜けたV-MAXは、
出口で一気に車体を立て直した。
パワースライドの流れをそのまま加速に変えていく。
その尻尾を、ガンマが執拗に追いかける。
「これが……」
夏菜は、息を吐きながら笑った。
「クルーザーで峠攻めるテクかよ!」
◇
連続する高速コーナー群が、夜の闇の中に口を開けていた。
ガードレールの白線だけが、辛うじて道の形を教えてくれる。
その中を、二本の光が絡み合う。
V-MAXと、ガンマ。
「ち……いい加減落ちろや、羽虫が」
獣鬼が低く吐き捨てる。
巨体はなおも前を行き、
テールランプが蛇行するように揺れていた。
ただのブレではない。
リアが、意図的に滑っている。
ブレーキを短く、強く。
重いフロントを無理やりねじ伏せ、同時にアクセルを残す。
リアタイヤが路面を擦り、巨大な黒い塊が横滑りする。
白煙と、アスファルトを削る火花。
V-MAXは数秒間、半ば横向きのままコーナーを維持していた。
「これが——」
獣鬼が吠える。
「狂輪会トップの走りだ!!」
道いっぱいに広がる巨体は、後続を寄せつけない。
インもアウトも塞がれたライン。
ガードレールと谷と、V-MAX。
「……上等だよ、バケモン」
夏菜は、笑いながらも目だけは冷静だった。
ブレーキングポイントが近づく。
(そのスライド、どこで終わる——)
夏菜はブレーキレバーに指をかけたまま、ギリギリまで引かない。
V-MAXの斜めの姿勢。
テールが流れきる、その一瞬後。
そこに、ほんのわずかなギャップが生まれる。
「そこだ!」
獣鬼がドリフトを収束させようとした瞬間。
夏菜は、一段だけ深くブレーキを握り込んだ。
前荷重が乗り、ガンマのフロントが沈む。
アウト側ぎりぎりまで広がったV-MAXの横っ腹。
ドリフト軌跡と、出口の結び目。
一本分、ラインが空く。
「そこ、もらった!」
夏菜は、そこを目掛けてガンマをねじ込んだ。
タイヤが悲鳴を上げる。
火花が散る。
「ッ……!」
獣鬼が低く唸る。
ドリフトの終わり際、ほんの一瞬に生まれる“隙”。
そこに、ガンマの小さな影が食いついてくる。
「チィ……!
いつまでもついてきやがる」
獣鬼が舌打ちを漏らした。
コーナーを抜けても、距離は詰まらない。
だが離れもしない。
直線が来れば、パワー差がモノを言う。
V-MAXはドリフトの出口で車体を立て直すと、そのままアクセルを開けた。
「ドガァァァァン!」
排気音が一段と重く響く。
ガンマも負けじとスロットルを捻る。
「パパパパァァァーーン!」
2ストの乾いた咆哮が、重低音を追いかける。
◇
蛇喰峠・終盤。
下りの速度は上がり続ける。
木々の影が、右から左へ、左から右へと流れた。
(ここからが本番だろ、暗夜會)
夏菜は、前もって頭に叩き込んだ罠の位置を思い出す。
フェイントブレーキの落ち葉ゾーン。
幅寄せトラップ。
サバイバル戦では、有象無象がそれを使ってきた。
ヘッド戦で、獣鬼が何もしてこないわけがない。
V-MAXのブレーキランプが、唐突に強く点いた。
「いい加減——」
獣鬼の声が、ヘルメットの中で低く唸る。
「くたばりやがれ!!」
「……来た」
夏菜は、ほんの少しだけスロットルを戻す。
減速ではなく、間合いを測るため。
V-MAXが、必要以上に強く減速する。
ラインが一瞬、乱れる。
「急ブレーキトラップ……」
一琉がスクリーンに向かって呟く。
「後ろが突っ込んだら、
そのまま前転コースだ…」
同時に、V-MAXがラインを膨らませた。
コーナーの入り口で、わざと並走状態を作る。
アウト側に広がりながら、夏菜のガンマを押し出すように寄ってくる。
「並走蹴り、か」
夏菜は、眉を顰めた。
さっきサバイバル戦で使われた、
雑な蹴り技の“上位互換”。
重量とパワーと、走り込みの量の差を悪用したやり方だ。
(……分かりやす過ぎんだよ、
暴力で塗ったテクは)
ガンマのブレーキレバーにかかる指を、ほんの少しだけ緩める。
V-MAXの急減速から、半拍遅れて、自分の減速を開始する。
その一瞬で、距離が空く。
「……空振りしろ」
獣鬼の蹴りが、夏菜の旧ブレーキポイントに向かって振り抜かれた。
だが、そこにガンマはもういない。
「あ?」
獣鬼の声が、短く漏れる。
その瞬間を待っていた。
「返すぜ」
夏菜は、残していたスロットルを一気に開けた。
減速したばかりのV-MAXのイン側へ、
ガンマのフロントを滑り込ませる。
同時にステップから足を外し、膝と腰のバネで「押し蹴り」を放つ。
アクセルオンの立ち上がりと、蹴り足の反動。
ふたつの力が重なった。
「っ……!」
獣鬼の身体が、ほんのわずかよろめく。
重量差で吹っ飛ぶほど甘くはない。
けれど、スライドに入るタイミングと姿勢が、いつもと違う角度になった。
V-MAXのテールが、想定外の方向へ大きく流れる。
「チッ……!」
立て直そうとする一瞬分、ライン取りが甘くなる。
その隙を、夏菜は逃さなかった。
「イン、もらった」
ラインの内側。
そこに、ガンマのフロントをねじ込む。
フェイントも罠も蹴りも、全部まとめて踏み越えるように。
「走りだけに命賭けられねえ奴は——」
夏菜が吐き捨てる。
「必ず下らねぇ仕掛けしてくると思ってたぜ!」
「外様が……」
廃変電所のスクリーンの前で、誰かが呟く。
「獣鬼を抜いた……!」
ざわめきが、震えみたいに場を走った。
◇
蛇喰峠の終盤。
ガンマが先行する。
夏菜は息を吐く。
蛇喰峠の闇は、まだ終わっていない。
ヘッドライトの前方には、自分のラインしかない。
だが、その背中には常に、V-MAXの重低音が貼りついていた。
「後ろから突かれたら、クラッシュだ」
わざと口に出して、自分の思考を整理する。
(ライン、絶対外さない)
ブレーキングポイント。
ターンインのタイミング。
アクセルオンの角度。
一つでも狂えば、その瞬間に蛇喰に食われる。
「……夏菜」
一琉は、画面の中で揺れるガンマのテールを見つめながら、小さく呟いた。
「ほんとに、命張ってるんだね」
静は、言葉なく頷いた。
◇
蛇喰峠・最終セクション。
最後のS字と、その先に短いストレート。
ゴールラインまでは、あと少し。
「行くぞ……!」
夏菜は、グローブの中で指先に力を込めた。
最初の右。
ブレーキングをギリギリまで引っ張り、フロントを沈めてから一気に倒し込む。
ガンマが路面に吸い付く。
タイヤから伝わる感触で、グリップの限界を読む。
(まだ、いける)
そのまま素早く切り返し、左へ。
V-MAXの重低音が、すぐ後ろに張り付いている。
獣鬼の歯ぎしりが聞こえた気がした。
重量もパワーも、まだ向こうが上だ。
だが、峠の最終区間。
ここだけは、テクと度胸がすべてを決める。
「待ちやがれェ……!
クソがァァ!!」
獣鬼が吠える。
夏菜は、答えない。
ただ、蛇喰の牙を一本一本、踏み越えていく。
最終コーナー。
「ここだ!」
ブレーキをギリギリまで引っ張る。
目の前のガードレールと谷が、ぐにゃりと歪む。
ギリギリの減速から、スムーズに侵入。
膝と腰と肩。
全身をバネにして、ガンマを路面に這わせる。
(立ち上がり勝負──)
コーナー出口。
ハンドルを少しだけ開き、視線をゴールラインへ向ける。
スロットルを、一気に。
「パパパパァァァーーン!!」
ガンマの2ストが、ロケットみたいな加速を見せた。
最後の短いストレート。
V-MAXも、直線で巻き返そうとアクセルを全開にする。
「うおおおおおッ!!」
獣鬼の叫びと共に、重低音が背後で膨らむ。
ヘッドライトが見る間に近づいてくる。
だが──
「……届かねぇよ」
夏菜は、ほんの少しだけ笑った。
蛇喰峠の記憶。
昼間の下見で刻み込んだ、ガードレールの位置と、路面のうねり。
そのすべてを総動員して、最後の一本を抜ける。
テクニックと、度胸。
「暴力と重量」だけじゃ、届かない一線。
ガンマが、ゴールラインを先に切った。
◇
廃変電所のスクリーンの前で、一瞬だけ静寂が落ちる。
「……バカな」
誰かが呟く。
「ガンマが──」
「V-MAXを抑え切った……!」
次の瞬間、どよめきと怒号が一気に爆発した。
「外様が、獣鬼に勝ちやがった!」
「嘘だろ、ヘッドだぞ!? 蛇喰の獣鬼だぞ!」
廃変電所跡の広場。
まず、青白いライトが戻ってくる。
夏菜のガンマが、ゆっくりと中に滑り込んだ。
続いて、黒い巨体。
V-MAXが入り口付近で一瞬減速——
「……ッ!」
次の瞬間、アクセルが煽られる。
V-MAXのテールが大きく滑った。
入り口ギリギリでアクセルターン。
白煙と火花を撒き散らしながら、廃変電所の出口そのものを塞ぐ形で向きを変える。
「……」
一琉の背中に、冷たいものが走った。
獣鬼はヘルメットを脱がない。
ただ、ゆっくりとエンジンを切る。
静まり返る広場。
蛇喰峠のヘッド戦は終わった。
でも、蛇喰の夜は──まだ終わらない。




