第79話 狂輪会サバイバル戦
蛇喰峠、サバイバル戦のスタート地点は、
廃変電所だった。
鉄柵とコンクリの壁に囲まれたその場所は、昼間ならただの廃墟だろう。
壁に括りつけられたスクリーンと、安っぽいプロジェクター。
カメラマンたちが、三脚に載せたビデオカメラを調整し、
ドローン係がコントローラーを握っている。
「映像、入った!」
誰かが叫ぶ。
スクリーンに、山道のライブ映像が映し出された。
路肩に設置された固定カメラの映像。
ドローンから俯瞰で見るS字。
蛇のようにくねる峠を、これから十数台のバイクが一斉に駆け上がるのだ。
「さぁさぁ、お待ちかね!」
安いマイクを握ったMC役が、ギャラリーに向かって叫んだ。
「本日の蛇喰サバイバル戦——
特別ゲストとして、外様乱入が入っております!」
冷ややかな笑いと、「おー」という歓声が混じる。
夜の山肌に、ずらりと並んだヘッドライトが白い帯を作っていた。
十数台。
フルカウルのSSに、ストファイ、ネイキッド。
その一番うしろに、ひときわ小さなシルエット——夏菜のガンマがいた。
「外様はケツからだ」
仕切り役の女幹部が、メガホンも使わずに叫ぶ。
「文句あんなら、走りで言え!」
ギャラリーから笑いとヤジが飛んだ。
「おーおー、後ろから見学させてもらえよ!」
「最初のコーナーで終わりだろ!」
ゼファーとカタナは、鉄柵の外側、ギャラリーの中にいた。
一琉と静はバイクから降り、
人垣の少し後ろからスクリーンとスタート地点を見ている。
「……すごいね」
一琉は、ドローンが映し出す山の上へと視線を上げた。
「ここまで“ショー”にしてるとは思わなかった」
「獣鬼の威光」
隣で静が短く言う。
「走りも、恐怖も、両方“見せる”」
「うん」
一琉は無意識に拳を握った。
スクリーンの端には、「LAP」「POSITION」の文字。
その横にずらりと並ぶ名前の中、
一番下に「外様・虎閃」と手書きで追加されているのが見えた。
「ルール説明はいいな!」
MCが叫ぶ。
「全員、一斉スタート!」
「途中で止めてもリタイア扱い!」
「最後に先頭でゴールラインを切った奴が、ヘッドへの挑戦権を得る!」
「まあ、今日の外様ちゃんは、途中で峠の藻屑だろうけどよ!」
笑いが起こる。
夏菜は、そんな声を背中で受け流しながら、ハンドルを握り直した。
「……夏菜」
一琉が、インカム越しに声を送る。
『聞こえてる』
夏菜の声は、落ち着いていた。
『罠は分かってる。ラインも頭に入った』
『あとは、いつも通り走るだけだ』
静かに、ガンマの回転を上げる。
「3!」
MCの叫びに合わせて、前列が腰を沈めた。
「2!」
夜の峠に、エンジン音が重なっていく。
「1──」
短い沈黙。
「スタート!!」
号令と同時に、十数台のライトが一斉に前に飛び出した。
◇
夏菜は、ほんの一瞬クラッチミートを遅らせた。
「……よし」
十分な車間。
最初の混乱を、半歩だけ後ろから見るための余裕。
——前の二台が左右にふらついた。
ガンマのエンジンが吠える。
「行くぜぇぇ!」
その隙間に、夏菜は迷わずフロントをねじ込んだ。
2ストの鋭い加速が、一気に夏菜の体を押し出した。
ヘアピンに向かう前の短いストレート。
前の二台が、すでにラインを奪い合っていた。
「外様が来たぞ!」
右側から並んだストファイが、ヘルメットをこちらに向ける。
ステップから足を外し、夏菜のガンマのステップを狙って振り上げた。
「潰れろやぁ!」
「……舐めんな」
夏菜は舌打ちした。
一瞬だけ、ハンドルを切る。
イン側へ、わずかにラインをずらす。
相手の足は空を切り、勢い余ってバイクがふらりと揺れた。
「うおっ——」
バランスを崩したその刹那。
夏菜の口元に笑みが浮かぶ。
コーナーの進入で一度だけ車体を倒し、
そのまま立ち上がり際に体を直立に戻す。
「――返すぜ!」
ステップから、右足をスッと外した。
相手が体勢を立て直そうとした、その前輪のすぐ横。
夏菜のブーツが、カウルの側面を押し蹴りで突いた。
「ガッ!」
鈍い音と共に、ストファイの車体が大きく外へ膨らむ。
ガードレールすれすれで蛇行し、
慌ててブレーキを握ったところへ後続が押し寄せる。
「うわっ!」
「邪魔だボケ!」
罵声と共に、数台がラインを乱しながら抜き去っていった。
「おおおっとぉ!? 後方で接触か——!」
MCの声が、スクリーンの映像にかぶさる。
「外様ぁ、カウンター決めてきやがった!」
「パパパパァァァァーーン!」
ガンマは、そのまま2スト特有のパワーバンドに入った。
後方の混乱を置き去りにして、夏菜は前走車たちへと食らいついていった。
観客席から遠くざわめきが漏れる。
「かわしてから蹴り返したぞ……!」
「やべぇ、外様なのに全然ビビってねぇ!」
ヘアピン手前。
前の連中がブレーキランプを点滅させ、ラインを探り合う。
夏菜は、その背中を狙うように、すっとイン側に寄った。
「蹴りなんざ、遊びだな」
夏菜は息を弾ませながら、独り言のように呟く。
「本番は……ここからだ」
ガンマはさらに前へ。
蛇喰峠の闇の中で、その小柄な車体が次々と前走車を射抜くように抜き去っていった。
◇
序盤の混戦を抜けた蛇喰峠は、静かな殺気に満ちていた。
「一台、二台——!」
MCが叫ぶ。
「外様・虎閃、順位をどんどん上げてきている!」
蛇喰峠の名物ヘアピン。
夏菜は、2台前を走る狂輪会メンバーのテールランプを見据える。
「……ここだ」
あいつのラインと、ブレーキのタイミング。
昼間の下見で見た、あの落ち葉ゾーンの位置。
全てが、頭の中で重なっていく。
「おい、外様が調子乗ってんぞ!」
遠くのギャラリーから、怒号が飛んだ。
「潰せ! 潰せ!」
ヘアピン手前の直線。
前走車が、わざとらしいタイミングでブレーキランプをチカチカと点滅させる。
「……フェイントだ」
夏菜は、スロットルを抜かない。
相手の減速の“質”が違う。
ノーズの入り方が、減速しているマシンのそれではない。
「電装弄ってやがるな。
——小細工だぜ」
瞬時に見抜き、イン寄りのラインへとバイクを寄せる。
(ここでビビって減速したら、
アウトの落ち葉踏んで——クラッシュ。)
そう計算している走りだ。
「甘いんだよ、その手は」
ヘアピン進入、ブレーキを一段深く握り込む。
ぎりぎりまでバイクを倒し込み、膝スリ寸前で踏ん張る。
前走車はアウト側から、わざと膨らむラインで入っていく。
――昼間見た、あの落ち葉の溜まり。
トレースしてしまえば——スリップ必至。
相手が「仕留めた」と思った瞬間。
夏菜のガンマが、さらにインを抉るように割り込んだ。
「嘘だろ……!」
狂輪会メンバーの目の前を、
夏菜のガンマが火花を散らしながらぶち抜いていく。
ステップが路面を擦り、金属音が夜に弾けた。
「なんだあの突っ込み!!?」
ギャラリーから悲鳴にも似た声が上がる。
夏菜は、ヘアピンの立ち上がりで一言だけ吐き捨てた。
「あたしを騙すには百年早えんだよ!」
ガンマが一気に立ち上がる。
2ストの回転が一段上がり、チャンバーが夜を裂いた。
「パパパパパァァァーーン!」
後方の相手は、動揺でわずかにブレーキを効かせすぎる。
そのタイヤが、落ち葉の上で一瞬だけ滑る。
「うおっ——!」
ガードレールすれすれで車体を立て直し、なんとか転倒は免れたものの——
後続の有象無象に飲まれていく。
夏菜のガンマは、そのまま前へ。
「外様なのに……!」
峠に集まった走り屋たちが一斉に息を呑む。
「どんどん抜いていきやがる……」
一琉は、ギャラリーの中で静かに拳を握った。
「これが……夏菜の走りか」
夜の蛇喰峠を駆け上がる、白と青の小柄な車体。
その背中を、誰も軽くは笑えなくなっていた。
◇
ヘアピンを抜けた先。
ストレートから、ゆるい右カーブへと続く区間。
前方には、まだ数台のテールランプが揺れている。
前を走る一台が、今度はイン側を徹底的に塞いでくる。
ラインブロック。
夏菜の進路が、じわじわと外側へ押し出されていく。
ガードレールと、前走車の間に挟まれる形。
「潰せぇぇ!!」
どこかから取り巻きの叫びが飛ぶ。
アウト側には、やはりあの落ち葉ゾーン。
幅寄せして外に押し出し、落ち葉の上で自爆させる。
ガードレールはすぐそこ。
谷は暗く深い。
夏菜は、一瞬だけスロットルを抜いた。
わずかな減速。
そのまま、相手の真後ろに滑り込むようにラインをずらす。
「っ!?」
相手の視界から、ガンマのライトが消える。
その瞬間にはもう、夏菜は次の動きに入っていた。
ブレーキは使わない。
エンジンブレーキだけで一瞬速度を合わせて――
再度の立ち上がりで、スロットルを一気に開けた。
ガンマが、インから一気に刺した。
「なっ——!」
前走車が慌てて車体をインに寄せるが、もう遅い。
夏菜のガンマが、ラインのギャップを射抜くように滑り込んだ。
「読めてんだよ、そのヘタクソなライン潰しはな!」
インから抜き返し、加速で一気に差を広げる。
「や、やべっ……!」
ブロックに失敗した相手は、逆にアウト側に膨らみ、
落ち葉ゾーンに前輪を突っ込んだ。
タイヤがズルッと滑る。
「うあっ!」
派手に転倒はしなかったが、その場で大きく失速し、後続に飲まれていく。
前方の空気が、再び開けた。
夏菜のガンマが唸りを上げて、夜の山道をさらに駆け上がっていく。
「外様・虎閃、ラインブロックを読み切ってインから抜き返したぁ!!」
観客席のどよめきが、次第に色を変えていく。
「外様なのに……次々と潰していく……」
「有象無象じゃ相手にならねぇぞ……!」
峠のあちこちで、そんな声が漏れた。
女幹部は、腕を組んだまま黙ってその様子を見ていた。
目だけが、ギラギラと夏菜の動きを追っている。
蛇喰峠サバイバル戦。
まだ、レースは折り返しにも達していない。




