第78話 一夜で駆け上がれ
夜の蛇喰峠は、別物だった。
昼間は紅葉で彩られていた山肌も、今は黒い影の塊に変わり、
ところどころの街灯とテールランプが、
その輪郭をかろうじて浮かび上がらせている。
峠のふもとにある、広めの路肩スペース。
そこにもバラバラと単車と人間が集まり始めていた。
夜を待ち、ここまで出向いてきたのは、夏菜、一琉、静の三人だけ。
鷹津と煙は暴動鉄騎隊のアジトで待機し、
万一のときのために動けるようにしてある。
「じゃ、行くか」
夏菜がガンマのキーをひねる。
静のカタナと一琉のゼファーが、その隣でエンジンをかけた。
今日の前線は、この三台だ。
蛇喰峠・中腹。
ガードレールの切れた小さな駐車スペースが、その夜の「会場」になっていた。
照明器具が持ち込まれ、ギラギラと周囲を照らしている。
その輪の中に、色とりどりのバイク。
ネイキッド、SS、スクーター改造車まで混じり、
タバコの煙と排気ガスが薄い霧のように漂っていた。
「おー、また誰か上がってきたぞ」
誰かが声を上げる。
ヘッドライトの輪の外側に、ガンマ、ゼファー、カタナがゆっくりと滑り込んだ。
2ストの乾いた音、空冷四発の低い唸り、カタナの鋭い直4。
その三つの音が混ざった瞬間、ざわ、と空気が揺れた。
「本物かあれ?」
「カタナに、ゼファーに、……ガンマ? マジ?」
「あの子が乗ってんのゼファーだろ? あれ欲しいな〜」
好き勝手な声が飛ぶ。
「男子で大型とか跳ね返ってんな!」
どこからともなく、そんなヤジも聞こえてきた。
「今時2ストなんて、壊れたら直せねえぞ~!」
体育会系の腐った上下関係を、そのまま口に出したみたいな声ばかりだ。
「ギャラリー、ずいぶん多いね」
ヤジを軽く聞き流した一琉は苦笑した。
「暴動鉄騎隊がカチコミに来た時の罠、ってとこだろ」
夏菜が静かに語る。
「『硬派なレースにカチコんで一般人巻き込んだ』って話を、
ここから作るつもりだろうよ」
一琉は集まった車のナンバープレートを見て、溜息をついた。
「そうだね。
こんだけギャラリーいれば、
適当な証言なんていくらでも出てくる」
「だから、その前に終わらせる」
駐車スペースの奥。
折りたたみチェアにふんぞり返り、缶コーヒーを飲んでいる女がいた。
長い脚を組み、短く刈り上げたサイドに長いポニーテールを流した女だ。
ライダースーツは体にぴったりと張り付き、その背中には狂輪会のエンブレム。
その隣には、大柄なネイキッド――
黒地に黄色いラインが入ったバイクが停められていた。
「仕切ってるの、あいつだな」
夏菜が小さく言う。
ガンマから降りると、
虎柄のスカジャンをたなびかせて歩き出した。
ギャラリーの視線が、一斉に夏菜に向く。
「おいおい、乱入か?」
「誰だあれ」
「外様じゃね?」
ざわめきが広がる中。
仕切り役の女が、ようやくこちらを見た。
その目が、夏菜の顔を捉える。
瞬間。
「……“虎閃”?」
女の眉がわずかに跳ね上がった。
「は?」
取り巻きの何人かが顔を見合わせる。
「虎閃って、あの三中で暴れてた……」
「凪嵐だと……!?」
女幹部の顔から、余裕が一瞬で削げ落ちた。
ここは、本来、暴動鉄騎隊を公開処刑するための舞台だった。
狂輪会のランキング戦という名目でギャラリーを集め、
暴動鉄騎隊がカチコミに来たところを、
「一般人に被害を出した危険集団」として喧伝する。
その予定のはずだった。
なのに、なぜか先に来ているのは、
目下抗争中の超武闘派——凪嵐十字軍。
「……クソ、鉄騎隊とやろうって時に」
女幹部は小さく舌打ちしてから、表情を塗り替えた。
「……何しに来た?」
缶コーヒーを投げ捨て、睨みつける。
夏菜は、きっぱりと答えた。
「走りで決着つけに来た」
静かだが、よく通る声だった。
「狂輪会の獣鬼とやらに」
ギャラリーがざわつく。
「ヘッドに直接挑戦とか、頭湧いてんのか?」
「ランキング飛ばして来るとかナメすぎだろ!」
「ずいぶん偉そうな外様だな」
女幹部は鼻で笑う。
「ここは狂輪会のナワバリだ。外様が勝手に口挟む場所じゃねえ」
「そうだそうだ!!外様が勝てるわけねーだろ!」
ギャラリーの空気が、違う方向に流れ始めていた。
「この危険な峠で研鑽した精鋭だぜ!!」
「なあ、あれ凪嵐じゃね?」
目端の利くものがぼそりと言ったが、
「あぁん? だとしても関係ねーよ!
狂輪会に挑むとか笑わせるぜ!!」
あっという間にかき消された。
「ギャラリーは乗り気みたいだぜ?」
夏菜は一歩も引かない。
「外様だろうが、挑戦は受けるんじゃねーの?」
「どうするんすか、姐さん」
後ろから、誰かが耳打ちする。
「ここで断ったら、格好つかねえっすよ」
女幹部は、しばし考えるような素振りを見せた。
本当は、ここで凪嵐を追い返すのが得策だ。
けれど、ギャラリーの空気はもう出来上がっている。
ここで挑戦を断れば、「狂輪会がビビった」と言われかねない。
——舌打ちしたい気持ちを、笑みに塗りつぶした。
「……いいぜ。
外様でも、腕に自信があるなら歓迎してやる。
——ただし」
指を一本立てる。
「ここは蛇喰峠のランキング会場だ」
その指で、背後の山を指し示す。
「挑戦したけりゃ——」
「サバイバル戦を勝ち上がってこい」
「サバイバル戦?」
一琉が小声で繰り返すと、女幹部はニヤリと笑った。
「挑戦者を全員同時に走らせる」
「勝ち残り制」
女幹部は、楽しそうに続けた。
「一夜で峠を駆け上がるサバイバル。
勝てばランキング最上位の挑戦権。
負けたやつは——」
少しだけ口元を歪める。
「ここで終わりだ」
ギャラリーが「おおー」と盛り上がった。
「外様らしいじゃねーか」
「どうせクラッシュだろ!」
「負けたらその男置いてけよ!」
「坊やのゼファー、マジでかっさらってやるからな!」
好き勝手言われている一琉は、ため息をひとつついた。
「人気だね、僕」
「人気の方向がおかしいけどな」
夏菜が笑う。
ガンマに振り返り、タンクを軽く叩いた。
「一夜で駆け上がってやるよ」
蛇喰峠のサバイバル戦。
狂輪会の仕掛けた罠の上を、ガンマが、凪嵐十字軍が、どう駆け抜けるのか。
夜の山が、その行方を静かに見下ろしていた。




