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第71話 墓場から蘇ったRZ

 ループコースを抜けた先の、峠の展望駐車場。

 さっきまでバイクの音で満たされていた空間は、今は妙に静かだった。

 エンジンを切った後の金属のチリチリと鳴る音と、遠くの車の排気音だけが、乾いた秋の空気に溶けていく。


 駐車場の端にはベンチがあり、その向こうは一気に視界が開けていた。

 山の斜面に、赤と橙と黄色がまだらに散らばっている。

 その隙間から覗く街並みは、少し霞んで小さく見えた。



 自販機コーナーのそばで、夏菜と一琉と静は、肩の力を抜いて息をついていた。

 夏菜の手には、スポーツドリンク。

 一琉の手には、微糖の缶コーヒー。

 静は、ホットのほうじ茶のペットボトルを両手で包み込むように持っている。


 すぐそばには、さっき峠で巨体を食った白と紺のRZが停まっていた。

 まだほんのりとエンジンが熱を持っているのか、

 チャンバー付近からかすかな熱気が立ち上っている。


「ふー……」

 夏菜がペットボトルを喉に流し込み、大きく息を吐いた。

 額にうっすら汗が浮かんでいるのは、さっきまでの走りの熱だ。

「いやぁ、でも……あのRZ、相当な化けもんだぜ」


 RZを横目に、ぽつりと呟く。

 下りのタイトコーナーで、あの軽さと切り返し。

 ZRXを外から刺したライン取り。

 ただ速いだけじゃなく、峠の癖を全部読んでいる走りだった。


 一琉は缶コーヒーを口元に運びながら、さっきの光景を思い出す。

「……確かに。怖いくらい綺麗だった」

 静は何も言わない。

 ただほんの少しだけ顎を引き、目を細めていた。



 その時。

「——チビが調子乗ってんじゃねーよ」

 低い声が、駐車場に響いた。


 一琉たちは同時に振り向く。

 そのすぐ目の前に、巨体が立ちはだかっていた。

 さっき、峠で無法な抜き方をしていったZRX。

 そのオーナーだ。


 赤いメッシュの髪を揺らす長身の女。

 肩幅の広いライダースジャケット。

 腕には派手なタトゥーが巻きつき、袖口からは筋肉質な前腕が覗いている。


 背後には、似たような革ジャンやツナギを着た取り巻きが数人。

 みんな、面白がるような、獲物を見つけたような目をしていた。

 ただのツーリング仲間って空気じゃない。


「軽いバイクでたまたま勝っただけだろ?」

 女は顎をしゃくってRZを見下ろす。

「今度は降りて勝負しな」

 声は笑っているが、目は全然笑っていない。

 挑発と、潰す気まんまんの色。


(……あれが、さっきのZRXの持ち主か)

 一琉は眉をひそめる。

 ただの意地の悪い走り屋、というより、

 もっと組織の匂いがする。


 標的を決めて、潰しに来ている目だ。

 背後の取り巻きの、立ち位置の取り方。

 駐車場の出入口をなんとなく塞ぐように散っているのも、ただの偶然じゃない。



 じわじわと、周囲の走り屋たちが距離を取っていく。

 缶コーヒーを持ったまま、少しずつ後ろに下がる。

 誰も口には出さないが、「面倒ごとだ」と本能で察している動きだ。


 RZの横に立つのは、小柄なライダーだった。

 ライダースジャケットに、首元には赤いスカーフ。

 ヘルメットを脱いだ頭からは、下側で結ったツインテールがぴょこんと覗いている。

 童顔。

 小学生にしか見えないほどのあどけなさ。

 だが、その瞳には、さっき峠で見せた走りと同じ、強い光が宿っていた。


「たまたま? ……おもろいやん」

 少女は唇の端を上げた。

 口調に、どこか関西の訛りが混じる。



 夏菜が眉をひそめ、一歩前に出る。

「おい、テメえら……」

 向かっていく間もなく、ZRX女が一歩、踏み出した。

「チビが走りで勝ったくらいで——」


 拳を上げかける。

 その瞬間、

 乾いた音が弾けた。


「……っが」

 長身の女の身体が、横に折れ曲がる。

 少女の細い脚が、すでに蹴り抜いた後の位置にある。

 一瞬で間合いを詰めた回し蹴りが、女の脇腹を正確に撃ち抜いていた。


 続けざまに、少女の肘が上へ跳ね上がる。

 顎に入った。

 女の顔がぐらりと上を向き、その体勢が一瞬だけ浮く。

 そこに、少女は迷いなく背中に回り込んだ。


「せいや」

 肩口を掴み、腰を決めて——

 背負い投げ。

 ドン、と鈍い音を立てて、長身の女はアスファルトに沈んだ。

 息を詰まらせた声が漏れ、そのまま動かなくなる。


「なっ……!」

 取り巻きがようやく反応する。

 前に出ようとした一人の膝の外側を、少女の足が刈った。


 倒れかけたところに、掌底が胸骨に食い込み、

 もう一人が飛びかかろうとした瞬間には、すでに肘がその鳩尾に叩き込まれている。

 乾いた音が続き、数秒で、立っているのは少女だけになっていた。


 相手が呻き声を上げるより先に、彼女はジャケットの裾を軽く払う。

 土埃を払うような仕草で、ふっと顎を上げた。

「口で吠えるより、走りと拳で筋通せや」


 その一言が、駐車場の空気に突き刺さる。

 ざわっ——と、周りにざわめきが広がった。

「……え、今の何」

「ふつーにプロの動きなんだが」

「さっきZRX抜いた子だろ……やべーのが来てんな」


 夏菜は、空になったペットボトルを握りしめたまま、ぽかんと口を開ける。

「……驚いた。ありゃ相当やるぜ……」

 一琉も、目を見開いていた。

「……すごいな」

 静だけが、わずかに目を細めていた。



 少女は、倒れた連中にそれ以上の追撃を加えようとはしなかった。

 ちらりと一瞥をくれただけで、興味を失ったように踵を返す。


 目が合う。

 次の瞬間には、満面の笑みを浮かべて、ぱたぱたと走り寄ってくる。

「あー、やっぱ本物やったんや!」

 弾む声。

「旧車やんね?」


 夏菜が「は?」と瞬きをする間に、少女はゼファーの前まで来て、そのタンクを愛おしそうに見上げた。

 一琉は思わず首を傾げる。

「さっきの人も言ってたけど……やっぱり、この子、旧車なんだね」

 夏菜が肩をすくめて笑った。

「ゼファーだぞ、お前。立派な旧車だ」


「ま、そっか」

 自分の愛機を「立派な旧車」と呼ばれるのは、どこか不思議な気分だ。

 最近手に入れた現役だと思っているのに、時代はもう「昔」を貼り始めている。



「あはは、ええなぁ〜」

 少女は嬉しそうに笑う。

 片手でツインテールを直しながら、

 ゼファーとガンマ、そして静のカタナを順に見回した。


「自分以外に現役で旧車回してるやつ、

 滅多に見えへんから、つい声かけてもうたわ」

 言葉の端に、本気の喜びがにじんでいる。

 さっきまで人をぶん投げていた同じ目とは思えない輝きだ。


「回してる、って言い方するんだ」

 一琉が笑うと、少女は「せやせや」と頷く。

 夏菜の口元が、にやりと吊り上がる。

「アンタのRZ、音で一発でわかったぜ」

 さっきループで聞いたサウンドを思い出す。


「あの乾き具合、チャンバーの抜け、キャブの息継ぎ……完璧に仕上がってる」

 少女は目を丸くした後、すぐににへらっと笑った。

「そらもう、よう聴いとるな〜」

 誇らしげに胸を張る。

「むふ、ウチのRZな、鉄騎の墓場で拾ったジャンクなんやで」


「は?」

 夏菜が思わず眉を上げた。

「鉄騎の墓場……って、あの不法投棄の山か?」

 峠から少し離れた郊外。

 潰れた工場の裏手に、動かなくなった車やバイクが山のように積まれている場所がある。

 暴動鉄騎隊ブードゥ・カーニバルのシマだと言われている、いわく付きのスクラップヤード。


 少女はこくりと頷いた。

「せや。動かん車とバイクがゴロゴロ積まれとるとこ」

 彼女の目が、少しだけ遠くを見る。

「そこから使える部品を引っぺがして、一年かけて組み上げたんや」

 指先でRZのタンクを軽く撫でる。

「工場も知り合いもおらんから、ほぼ自分の手でな」


 その言葉に、夏菜の表情がわずかに真剣になる。

「……マジかよ。それであの仕上がりかよ」

 自分で腰上オーバーホールくらいはやる夏菜でも、

 一年かけて一台を蘇らせる根性には素直に感心せざるを得なかった。



「でもあそこは、暴動鉄騎隊ブードゥ・カーニバルのシマだろ?」

 夏菜は声を落とす。

「危なくねえのか」

 少女は、くすっと笑った。

「ふふ、どうやってるんやと思う?」

 意味ありげにそう言って、軽く夏菜の肩を叩く。


「なぁ、このあと一本流さへん?」

 視線を、ループコースの方へ向ける。

「ちょうど下りるとこやし、

 旧車同士で景気よく走ったら、絶対楽しいわ」


 夏菜が、一琉を振り返った。

「どうする? 流すだけならゼファーでも平気だろ」

 一琉は少しだけ考える。

 この少女の走りは、本物だ。

 危険な無茶をするタイプではない……多分。


 さっきのZRX女のこと、暴動鉄騎隊のシマの話。

 気になることは増えたが——

 静に視線を送ると、彼女は小さく頷いた。

 それだけで、「追える」「守れる」と言っているのが分かる。



「……うん。流すだけなら」

 一琉は頷いた。

「静も、それでいい?」

「……うん」

 静は短く返事をし、そのままカタナにまたがる。

 夏菜もガンマのキーを捻り、エンジンをかけた。


 さっきよりも、空気が少しだけ熱を帯びる。

 少女は嬉しそうに「うへへ」と笑い、RZのキックペダルを踏み下ろす。

 再び、乾いた2スト音が峠に響いた。


 こうして、偶然の旧車邂逅は、そのままもう一本。

 ループコースへと続いていくことになった。

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