第70話 瞬殺の旧車會
峠の頂上駐車場は、ちょっとしたお祭りだった。
秋の昼下がり。
澄んだ青空の下、山の稜線に沿って紅葉のグラデーションが広がっている。
赤、橙、まだらな黄緑。
風が吹くたびに葉がひらりと舞い、アスファルトの端に積もっていく。
その手前、広めの駐車スペースには、現行のスポーツバイクやネオクラたちが整然と並んでいた。
ライムグリーンのZX‐6R。
マットブルーのR1。
丸目ヘッドライトが特徴的なCB650R。
そして、どこか懐かしさのあるZ900RS。
どれも、ピカピカに磨かれ、秋の陽射しをきれいに跳ね返している。
自販機の周りでは、ライダーたちが缶コーヒーを片手に談笑していた。
笑い声と、時折聞こえるエンジンの吹かし音。
秋の日中の、のんびりした峠の光景だ。
そんな空気を切り裂くように、別のエンジン音が近づいてきた。
「パパパパ……」
低く乾いた2ストの排気音。
それに重なるように、空冷4発の深い鼓動。
さらに、刀身を研ぐような直列4気筒の鋭いサウンド。
白と青のスズキRGガンマ。
黒と金のカワサキ・ゼファー。
銀色の刀身を思わせる、スズキ・カタナ。
どれも、きちんと手が入れられた、状態のいいマシンだ。
「……あれ、全部本物?」
Z900RSに腰掛けていたネオクラ乗りの男が、思わず声を漏らした。
隣で缶コーヒーを飲んでいたR1乗りが、目を丸くする。
「あれ何cc? 古そうだけど速いの?」
ネオクラ乗りは小さく笑った。
「速い遅いじゃない。あれは“走る文化財”だ」
「文化財て……」
R1乗りが半笑いで突っ込む。
けれど、他の現行SS組も似たような表情だ。
「部品まだあんのかよ……」
「よくこんなとこまで自走してくるな」
感心半分、呆れ半分。
そんな視線が、三台の旧車に集中する。
しかし当のオーナーたちは、注目なんて気にしていない様子だった。
エンジンを切り、キーを抜き、黙って車体を駐車スペースの白線に収める。
けれど、ただそこに在るだけで、三台のバイクは静かな威圧感を放っていた。
◇
少し時間が経ち、三台の旧車は隣り合って並んでいた。
ガンマ、ゼファー、カタナ。
年式もメーカーもばらばらなのに、不思議と統一感がある並びだ。
夏菜は自販機で買ったスポーツドリンクを一口飲み、ふぅと息をついた。
「いやぁ……やっぱ秋の峠は最高だな」
「空気がきれいだね。気持ちがいいな」
一琉はゼファーのキーを抜き、タンクを軽く撫でる。
長距離を走った相棒への、無意識の労いの仕草。
静は、カタナのタイヤのサイドを指で軽くなぞり、摩耗具合を確認していた。
その背中に、何人かの視線が絡みついているのも、分かっている。
そのとき。
「へぇ〜、旧車? かっこいいじゃん〜」
ねっとりした声が、横から飛んできた。
振り向くと、ピンクのラインが入ったツナギを着た女ライダーが近づいてくるところだった。
どこかヤンキーじみた雰囲気だが、笑顔だけはやたらと愛想がいい。
「ウチも旧車好きでぇ〜」
そう言いながらも、女の目線はゼファーの前で止まった。
そして、そのすぐ横に立つ一琉に釘付けになる。
「あんた乗ってんの、ゼファーでしょ?」
女は一歩踏み出し、一琉の腰元あたりを覗き込んだ。
「いいねぇ、ウチに見せてみなよ〜」
軽い調子で、しかしどこか馴れ馴れしい手つきで、
一琉の腕に手を伸ばそうとする。
その瞬間、夏菜がぐいっと一歩前に出た。
「……ンだてめぇ」
いつもの軽口とは違う、低い声。
睨みつける視線に、女は一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに鼻で笑った。
「あぁ? ガキはどいてろ」
唇の端を吊り上げて、吐き捨てるように言う。
「オトコと話してんだよ」
言葉尻に、安っぽい挑発が混じる。
駐車場の空気が、ほんのわずかに張り詰めた。
瞬間——視界が、一瞬、歪んだ。
一琉の横で、静が動いた。
右足で地面を軽く蹴ったと思った次の瞬間、彼女の右拳が女の顎をかすめる。
ほんの数センチだけ角度を外された拳は、
顎の骨を砕くことなく、脳を揺らすだけの衝撃を与えた。
打たれたことにすら気づかず、その意識が浮いた瞬間。
静の左掌底が、鳩尾を正確に撃ち抜いた。
「……っ!?」
呻き声を上げる間もなく、女の体から力が抜ける。
膝から崩れ落ち、その場にぐったりと倒れ込んだ。
取り巻きと思しき数人の女たちが、「は……!?」と息を呑む。
静は、倒れた女を一瞥しただけで、すぐに取り巻きたちの方へ向き直った。
ほんの少しだけ腰を落とし、低く構える。
「……まとめてやる」
低い声が、駐車場の空気を震わせた。
怒鳴り声よりよほど濃い殺気。
「静、いい」
一琉が慌てて前に出た。
「もういいから」
短くそう言うと、静の肩がぴくりと揺れる。
ほんのわずかに瞬きをして、一琉をちらりと見る。
「ここ、バイク見に来る場所だから。喧嘩する場所じゃない」
彼女は数秒、その場で静止したまま、取り巻きたちを見据えていたが——
やがて構えを解き、すっと立ち上がった。
取り巻きたちは、その隙に顔を見合わせる。
そして、ひそひそと囁き合った。
「おお、おい、あれ……“音無し”だよ…!」
誰かが小さく叫ぶ。
「あ、蜘蛛の巣会潰したって噂の……!」
「てことはこの子……
やべぇ、凪嵐十字軍じゃん!殺されるぞ!!」
さっきまでの強気はどこへやら、一瞬で顔色が変わる。
「すんません!!お邪魔いたしましたぁ!!!」
倒れた仲間を慌てて抱え上げ、
そのまま駐車場の端へと半ば引きずるように退散していった。
顔に水をぶっかけて起こすとエンジンをかける音が連続して鳴る。
逃げるように駐車場から出ていった。
夏菜は大きく息を吐く。
「静、お前相変わらず手早すぎ……」
眉をひそめ、しかしどこか呆れたように笑う。
「アタシの出番ねーじゃん」
静は少しだけ視線を落とした。
「……手、出してきたから」
それだけ言って、目を伏せる。
その表情に、喜びも興奮もない。
ただ、「守るために必要な最短手数を打った」というだけだ。
峠の空気に、さっきまでなかった種類の視線が混じり始める。
好奇と警戒と、少しの畏怖。
一琉は苦笑しながら、周囲の視線をなんとなく受け流した。
「……ていうか、今、凪嵐十字軍って言ってたね」
ぽつりと呟く。
「こんなところにまで広まってるの……?」
悪名なのか、単なる噂話なのか。
いずれにせよ、名前だけが一人歩きしている感覚に、少しだけ肩が重くなる。
そのときだった。
遠くから、聞き慣れた乾いたチャンバー音が近づいてきた。
「パパパパァァーン……」
夏菜と一琉と静が、ほぼ同時に入口の方へ振り向く。
2スト特有の甲高いサウンドが、
ゆっくりと駐車場へ滑り込んできた。
さっき峠道でZRXを食った白と紺のRZだ。
小さな大型キラーは一琉たちのそばに停まる。
エンジンを切る前に軽くスロットルを煽る。
未燃焼ガスを飛ばすための儀式みたいなスロットルワーク。
白い煙が、秋の空気の中でゆらりと揺れる。
タンクに手を突き、ライダーが上体を起こす。
白いフルフェイスヘルメットのシールド越しに見えるのは、真っ直ぐな視線だった。
ヘルメットのロックを外す音がして、カバーがするりと持ち上がる。
こぼれ落ちたのは、下側だけを結ったツインテール。
首元には、さっき峠で見た赤いスカーフ。
風に揺れて、鮮やかな色が一瞬、陽射しにきらめく。
現れた顔は、年齢の判断がつきにくい。
小学生にしか見えないほどの童顔。
大きな瞳に、くっきりとした二重。
だが、その目に宿る光は、年相応のそれではなかった。
まっすぐで、前だけを見ている目。
さっきの走りそのままの、研ぎ澄まされたまなざし。
夏菜の口元が、わずかに笑った。
「──お出ましか」




