第7話 体育館裏のタイマン
夕暮れのチャイムが鳴った。
普段は人気のない体育館裏。
薄暗いコンクリートの壁を横に、二人の影が向かい合っている。
一触即発の空気に、はやし立てていた者たちも一層盛り上がる。
鷹津と、夏奈。
鷹津は肩をほぐし、拳を鳴らして構える。
夏奈は涼しい顔のまま、両手をポケットに突っ込んでいた。
そしてその少し後ろに、息を潜めて見ている一琉の姿があった。
横では、梨々花がスマホを握り、目を輝かせている。
「おぉぉ……学年でも有名な二人が、男をめぐって対決……! これは特ダネ!」
「やめなよ、そんなの」
一琉が小さく呟く。
けれど梨々花はまったく聞いていない。
彼女にとっては、この光景そのものが最高のスクープらしい。
(あんまり会ったことのないタイプ…
でも好きなものにまっすぐな姿はあまり嫌いになれないな)
生来の性で人物像の観察を始める一琉。
そんな中、女たちの決闘が始まろうとしている。
◇
鷹津は制服の袖をまくり上げ、拳を鳴らした。
口の端が吊り上がる。
「てめぇ前から目障りだったんだよ…!
ちょっと雷門の件をうまく収めたからってデケェツラしやがって」
夏奈は気怠げに言う。
「ふーん?んなツラした覚えはねぇけどな。
陰でプルプル震えてたおめーにはそう見えるってだけだろ」
鷹津の眉間に皺が寄る。
「あ゙ぁ?」
夏奈はゆっくりと肩をすくめた。
「男にマウント取って、情けねぇ自分を慰めてもらいたかったか?
……ちんけな女だぜ、おまえ」
その一言で、空気が爆ぜた。
鷹津が地を蹴る。
頭に血が上っているが、それでも踏み込みは鋭い。
「どらぁ!!」
踏み込みと同時に右のストレート。
だが夏奈は半歩でかわし、
反撃の素早いミドルが鷹津の脇腹を打つ。
「ちっ……!」
鷹津が一瞬よろめく。
それでも勢いを殺さず、次の蹴りを放つ。
右のミドル、すぐさま前手のジャブ、重い右。
格闘技の匂いがする、大振り気味だが勢いのある連携だ。
夏奈は半歩ずつ、軽く弾むようなフットワークでいなす。
ケモノじみた感覚で、
まるで攻撃を打つ場所が分かっているようにかわし続ける。
彼女の口は笑顔を作っていた。
「てめぇ……!」
苛立ちが走り、鷹津の振りが荒れる。
その瞬間——夏奈の足が地面を滑った。
——ドロップトーホールド
夏菜の体が地面で回転する。
鷹津の両脚をとらえ、体が前へ吸い込まれる。
顔面を地面に打ち付ける鈍い音。
関節は極めない。ただ“転ばせる”。
それだけで主導権を握る。
「ぎゃふっ…」
顔面をしたたかに打ち付けた鷹津は、
それでも歯を食いしばって起き上がろうとする。
その瞬間、夏奈は壁際へ走る。
コンクリート壁に飛びつき、身体をしならせる。
見物客たちが息をのむ。
——壁を蹴り、夏菜が跳ぶ。
「な、なめやがっ——」
ふらつきながら立ち上がった鷹津。
その目に飛び込んだのは、
身長より高く跳んだ夏菜の両脚が、全体重を乗せて飛んでくる姿だった。
——壁蹴りミサイルキック
渾身のドロップキックが、咄嗟に挟んだガードごと、再び鷹津を吹き飛ばす。
周囲から歓声が上がる。
「がっ……!」
鷹津の体が転がり、砂埃が舞う。
「ぐっ…!く、くそが…!」
なんとか立ち上がる鷹津、
しかしその足は既にぐらついていた。
「よぉ、まだやるかい?」
夏菜の呑気な声——
しかしその目は油断なく鷹津を見据えている。
(……さすがに止めるべきかな。でも、あの空気の中じゃ……)
迷っている一琉の視界の外、用具倉庫の上。
そこに、人影があった。
——制服の裾を風になびかせ、
屋根の縁にしゃがみ、静かに見下ろしている。
その目だけが、鋭く光っていた。——
「……はぁ、はぁ……!」
虎に睨まれているようなプレッシャーの中、
鷹津は唇を噛み、低く構える。
無言の継戦表明——
鷹津はタックルで踏み込んだ。
夏菜は半身を浮かせ、背中へ片手をそっと当てる
——そのまま、ひらりと“飛び越えた”。
勢い余った鷹津は前につんのめる。
返す刀の足刀蹴りは、軽いステップで空を切った。
夏菜はにやりと笑う。
「へっ、根性あるじゃん。
いいぜ、とことんやってやるよ——!」
鷹津が踏み込み、前手でのジャブからミドルキック——
「甘ぇ!」
水面蹴り。
低く、すべるような回し蹴りが、蹴り足の膝下をさらう。
体勢が、三度崩される。
「ッ……」
一発も当てられず、立ち上がるのも難しいほど追い詰められた——
——鷹津の指先が、ポケットに触れる。
小さなナイフが、夕陽を弾く。
「じょ、上等だよ…ぶっ殺してやる…!」
一琉の肩が、思わず強張る。
視界の外で、用具置き場の上の影が、わずかに揺れた。
——瞬間、夏菜の身体が、音より早く踏み込んだ。
懐を潰し、軸足をひねる。
反応すら許さない、神速のローリングソバット——
旋回する踵が、弧を描いて鷹津の顔面を弾きとばした。
「ごはっ…」
乾いた音。
ナイフが草むらへ転がり、鷹津は背中から落ちた。
「——白けたぜ。
男の前で、ダセぇ真似してんじゃねぇよ」
足先で刃物を遠ざけ、夏菜は吐き捨てる。
「ま、まだ終わって…」
鷹津は顔を歪め、立ち上がろうとする。
しかし、足が震えて動かない。
「ぐ、く…くそ…」
呼吸だけが荒く、肩が上下する
地面に膝をついたまま、悔しげに唇を噛む。
——用具置き場の上の影は、静かに息を吐くと、音もなく背を向けた。
介入の必要なし——そう判断したのだ
◇
勝負が決まり、やじ馬たちの囃し声が遠のいていく。
…手も足もでなかったじゃん…やっぱ近江つえ~
…てかナイフだすのやばくね?…感覚イカれてんだろ、なんたってあの道場の——…
一琉は一歩、前に出た。
けれど足が止まる。
胸の内側で、ふたつの声がぶつかる。
(……黙って見過ごしてもいいのかもしれない。
別に、僕の問題じゃない)
(でも——“筋”の通った人でいてほしい。
そう願ってしまう自分がいる)
一琉は、ゆっくりと鷹津に近づいた。
地面に手をつき、息を荒げている鷹津。
その横にしゃがみこみ、優しく言う。
「ねぇ、鷹津さん。
…きみは強いね。喧嘩が怖いのも想像はできる。
でも……そういう戦い方じゃ、誰も認めてくれないよ」
視線が合う。
鷹津の瞳が、揺れて、伏せられる。
「……っ、うるさい……」
一琉は笑みを浮かべ、静かに続けた。
優しい顔で、それでも目だけは強く。
「鷹津さんには、信念の通った生き方をしてほしい。
ぼくは、そう思ってるよ」
言葉は柔らかく、棘がない。
それでも、逃げ場のない真っ直ぐさがあった。
鷹津は小さく息を呑み、横を向く。
赤くなった頬が、夕焼けの光に染まって見えた。
◇
夕日が角度を変え、影が伸びた。
風が埃を巻き上げ、風に冷たさが混ざり始めた。
夏奈が制服の裾を払って立ち上がる。
「帰んぞ。もう冷える」
「……うん」
一琉、夏菜、梨々花の三人は校門へ向かう。
並ぶ影が、オレンジの道に揺れている。
梨々花が、からかうように夏奈の背中を叩く。
「夏菜、あんたやっぱ強いわね。
流石は“虎閃”
なんて呼ばれてるだけあるわ」
「その呼び方やめろ。
キャラづけでこれ選んでるみたいだろ」
夏菜は羽織っている虎柄のスカジャンを示しながら言う。
「私が見込んだだけのことはあるわ。
番格、目指してみない?」
夏奈は首の後ろを掻いて、気怠げに返す。
「そーいうのはいーよぉ。めんどくせーし」
梨々花は肩をすくめる。
「勿体ないわねぇ。
…ふふっ、それにしても、学年のニュース決定ね。
“新入り男子を奪い合い、転校初日にタイマン騒動!”ってタイトルどう?」
「やめて……」と一琉が苦笑する。
夏奈が呆れたように肩をすくめた。
一琉が前を見たまま、ぽつりと訊く。
「……ところで、鷹津さんって、どんな子なの?」
梨々花は少しだけ考え、答える。
「強いけど、半端者。
イカれた実戦派道場の娘だけど、最近は顔出してないって噂。
勝てない相手との喧嘩は避けて、普通の子にマウント取って……
クラスの“中心”やってる女、って感じかな」
「そっか……」
(——前の自分なら、きっと選べなかった。
言葉をぶつけて、自分の思いを伝えることを)
一琉は胸の奥で呟いた。
夕風が背中を押す。
胸の温度が、少し上がった。
「じゃあ、僕はアルバイトあるから帰るね」
「えっ、アルバイト? 中学生で? ヤバ……」
一琉はにこっと笑う。
「学校のみんなには内緒だよっ」
カルトの駒として空虚に贅沢を消費していた頃にはなかった、
ささやかな温もりが、確かに胸に残っていた。




