第66話 外伝「謎のファン七緒」二人乗りと、はじめての本音
薔薇乙女會と交流をしている間も、
七緒はたびたびカノンにあらわれていた。
煙はカウンターの奥から出て声をかける。
「……よお」
七緒は最初、完全に無視した。
「一琉さん、これ昨日のとは違いますの♡」
毎回用意されるプレゼント。
手縫いの巾着、ぬいぐるみ、やたら高級な紅茶葉まで。
渡すたびに満面の笑み。
「あ、うん……ありがと」
一琉は毎度押し切られる。
悪意がないと分かる分だけ、距離の詰め方に迷う。
それでも煙は、引かなかった。
来るたび同じように声をかける。
「よう。今日も来たのか」
「腹減ってんなら、グラタンあるぞ」
「外、日差し強い。帰り、気をつけろよ」
次は睨むだけ。三度目には舌打ち。四度目――かすかに、視線が揺れた。
「……うるさいですね。
あなたはこれでも舐めてなさい」
「……」
ぽい、と飴玉が投げられる。
煙は無言でキャッチし、包み紙を破って口に放り、厨房へ戻った。
七緒の帰り際、煙が焼きたての小さなパンを差し出す。
「礼、だ。店長から許可はもらってる」
「……ふん。少しは犬の自覚が出てきたようですね。もらってあげます」
そんなやり取りが、何度か続いた。
それからも、煙は同じ調子で挨拶し、天気の話をし、厨房へ戻る前に一言だけ残す。
◇
「今度の休み、ツーリング行こうぜ!
煙、後ろ乗れよ。2ストの良さを教えてやる」
放課後の路地で、夏菜がガンマのテールを叩く。
鷹津が原付のヘルメットをくるりと指に引っかけ、静は無言で頷いた。
「つ、ツーリング……! 一琉さんがバイクに乗るところ、ぜひ見てみたいです♡」
会話に割って入った七緒の瞳が、いつもより近い。
鷹津が目を細める。
「うーん? 初心者の男の子乗せてくのはねえ。単車持ってないでしょ?」
「……」
「あたしの後ろにゃ煙乗せるし、原付で二人乗りはダルいしな。静が乗せるとも――」
「……ダメ、ですか?」
七緒が、今にも泣きそうに一琉を見上げる。
「んー……僕もだいぶ慣れてきたし、後ろ、乗る?」
「…!!はいっ♡」
他の面子は顔を見合わせる。
「女だったらぜってぇ蹴り出してるんだがなぁ」
「男の子だと思うと、まあ、ほほえましいっつーか……」
「行くなら整備は入れとけよ。……七緒、変なことすんなよな」
「心得ておりますわ♡」
◇
山へと伸びる国道。
風が夏の残り香を運んでくる。
「風が気持ちいいですね♡」
背中に回る七緒の指が、ぎゅっと強まる。
「うん。落ちないようにだけ、気をつけて」
一琉はミラー越しに静のカタナを確認し、前方で軽やかに跳ねるガンマを追う。
「いいか煙、2ストってのはな、パワーバンドに入ると一気に来る! ここ、この回転域、とんでもねぇ加速だろ。 独特の甘い匂い分かるか、オイル混合気の――
「何言ってっかわかんねぇけど、うるせえのは分かった!」
夏菜の饒舌は途切れない。
やがて峠。右へ左へ、木漏れ日を切り裂く。
——そのときだった。
「……あ? やべっ」
夏菜のガンマが、かすかにむせた。
次の瞬間、金属がきしむ嫌な音。失速。
夏菜はすばやくクラッチを切り、惰性で路肩の駐車スペースへ滑り込む。
「妙な感じだった……どうしたんだ?」
煙が即座に降り、後続が次々と寄せた。
「…………焼き付きだ。
久しぶりにやっちまったぜ……
少し待ってくれ」
皆が見守る中、夏菜は手早く工具ボックスを開く。
タンクを外し、チャンバーを外し、シリンダーヘッドを抜く。
「軽く抱いたな。アルミかじってる」
「抱く?かじる?」
「エンジン回し過ぎるとピストンとシリンダーが当たっちまってな、溶けつくんだよ。
2ストは特に起こりやすいな」
「聞いたことあるかも。レッカーか?」
「いや、この程度なら現地修理だ」
「えっこの場で?」
夏菜は紙やすりを取り出すと、慎重にピストンを均す。
「静は車体固定。鷹津、オイル。梨々花、ライト頼む」
静が無言で車体を支え、梨々花が手元を照らし、一琉は器用に削り粉を払う。
鷹津はオイル比を計って混合を作り、補充。
夏菜の指示の下、現地オーバーホールが進んでいく。
◇
工具の音が続くその裏で、少し離れた自販機の陰。
煙はジュースを二本、片手に提げて戻ってきた。
「ほら」
「ふん……気が利きますね。
一琉さんにもお渡ししてきなさい」
「自分でやれ」
煙は自分の缶をプシュと開けた。泡の音に紛れて、小さく言う。
「なあ。お前、なんでいつも猫かぶってんだよ」
「……なんの話ですか?」
「オレは生きるために、絡んできた奴を半殺しにして金盗ってた。
世の中全部、敵だと思ってた。……その時の自分に近い匂いが、お前からする」
「何言ってるか分からないですね。
お友達が欲しいなら他を当たってください」
「本当は、オレたちと話すのだって、怖いんじゃねえのか」
七緒の睫毛が一度だけ震え、缶のプルタブに添えた指先がわずかに力む。
「っ……黙って」
「オレは怖かったよ。
絡んでくる奴が何考えてるのか分かんなくて、だから先にやるしかねえって」
七緒は缶を持つ手を口元へ運びかけ――止める。
笑みを作ろうとして、作れない。代わりに皮肉だけが口から滑る。
「……あなたに、わたしの何が分かるっていうの」
「全部は分かんねぇよ。
けど――ここは噛みつかなくてもいい場所だ」
ほんの一拍、七緒の目が泳ぐ。
それを自覚した途端、頬に熱がのぼり、いつもの仮面が乱暴に戻った。
「うるさい! あなたのような狂犬と、私は違う!!」
「……さっきまでのうさんくせぇ態度より、ずっといいぜ」
「はぁ!? 何様――」
「なぁ、どうして一琉が好きになった?」
「っ、なんなんですか、あなた」
「オレは、あいつに助けられた。何も渡すもんもねえ、オレをだ」
「あなたは“狂犬”と呼ばれる程度には戦力として使えるから」
「あいつは、オレがもう喧嘩しねぇって言っても受け入れる。
……お前が毎回、何も持って来なくてもな」
「ありえません。役に立たない犬の居場所なんて、存在しません」
「……今、初めてお前の本音、聞けた気がする」
「~~~! なんなの!!」
七緒の声が裏返る。
煙は肩を竦め、ジュースを一口だけ飲んだ。
◇
「――よし、始動テスト」
夏菜がキック。
ガンマのエンジンが、まだらな鼓動から、やがて整ったリズムへと収束する。
「まさかホントにエンジンかかるとはね……」
鷹津が感心して口笛を鳴らす。
「帰ったらもう一回バラすけどな。たぶん、それまでは持つ」
「今回はここまで、だね」
「悪かったな。調子乗ったアタシのミスだ」
「いいんだよ。面白いものも見れたし」
工具を積み、荷を括り直す。
鷹津が二人乗りの後部座席を指で弾いた。
「おら、お待たせ、荷物ども~。直ったわよ」
七緒はちらりと煙を見やり、ツンと顎を上げる。
「……ふん」
そして、いそいそと一琉の後ろへ滑り込む。
「一琉さん♡」
「う、うん。じゃあ、帰ろうか」
帰路の途中、速度を落として、涼しくなってきた風を受ける。
七緒の声が、ヘルメット越しにやわらかく届く。
「……あの、毎回プレゼント、持ってこなくてもいいですか?」
「え?」
七緒の指先が、ほんのわずか震えた。
「もちろん。会いに来るだけで、嬉しいから。
……それで、いいよ」
「……はい。分かりましたわ」
七緒は短く答えると、
しばらくして、小さく笑う。
「でも――最後に大きいプレゼントを用意しますね」
「え?」
「楽しみにしていてください♡」
潮の匂いに、わずかな鉄の匂いが混じった気がした。
ゼファーの鼓動は変わらない。日は西へ傾き、影は長く伸びる。
七緒の横顔は笑っていて、けれどどこか、震えていた。




