第59話 外伝 「謎のファン七緒」ヤンデレ男の娘襲来
埠頭の合宿から戻っても、一琉の日常はあまり変わらない。
夏休みになったぶん、朝からカノンの手伝いに入れるようになったくらいだ。
「ゼファー代、ついに貯まったよ」
「おっしゃ! やったな一琉!」
「うん。もうオオミオートに払ったんだ。
最終調整してもらって、受け取りは週明け」
一琉は笑った。
「色々乗り回させてもらってるから、今さらだけどね」
店を閉め、歩いて帰る。
夏菜、鷹津、静、煙、梨々花――いつもの顔ぶれが並ぶ。
「ゼファー来たらツーリング増やそうぜ」
「賛成~」
「……点検は私がする」
「オイルはケチんなよ?」
そんな他愛もない帰り道。
角を曲がった瞬間、空気が変わった。
陽の反射を切り取るような白い肌。
艶のある黒髪。
血の気を混ぜたような、どこか妖しい赤い瞳。
聖リリアン学園の制服。
“お嬢様風”の影が、通りの角に立っていた。
「初めまして、一琉さん。ずっと会いたかったです」
満面の笑みで、まっすぐ近づいてくる。
一琉は思わず足を止めた。
「えぇっと……初めまして?」
店に来る女の子たちと違う。
なにか、裏の匂いがする声色。
「私のことは七緒と呼んでください♡」
早口で言葉が続く。
「一琉さんが近くの中学に転入したって聞いた時、これって運命だと思ったんです♡お役に立てるように、私も調教をがんばってるんですけど……まだまだこの街には、しつけのなっていないバカ犬どもがいっぱいで……いやになっちゃいますよね。しかも下僕を従えて蜘蛛の巣会まで潰しちゃうなんて……!ご主人様に逆らう下僕なんていらないですよね♡ わかります♡」
意味はわからないが不穏さと好意は痛いほど伝わる。
「おいおいおい、待ちなよあんた」
鷹津が半歩、前に出る。
「ヤベー匂いしかしねぇぞ」
「なんですか、しつけのなってない下僕ですね」
七緒は小首を傾げ、花のように笑った。
「ご主人様が話しているときは邪魔しちゃ折檻ですよ?」
「えぇ……」
一琉は目を細める。
(下心じゃない……嘘の気配も薄い。けど、裏の人間の温度……この子は一体)
夏菜が眉を寄せ、静は黙って一琉の半歩斜め前で風よけの位置を取る。
煙は、獣のようにわずかに顎を上げた。
七緒は一琉だけを見つめ、瞳を潤ませる。
「一琉さんが来るなというなら、もう来ません……。だめですか?」
「う、ううん? 別に、だめってことはないよ」
一琉は慎重に言葉を置いた。
「わぁい♡ 私たち両想いですね」
ぱっと花が咲くみたいに笑うと、懐から小箱を取り出した。
「これ、私の気持ちです♡」
差し出された箱の中には――押し花の栞。
だが普通じゃない。四葉のクローバーだけが、数十枚。
一枚が特別なはずの幸運が、びっしりと敷き詰められ、過剰さが逆に不吉だ。
「……多いね」
思わず苦笑がこぼれる。
「幸運は、多いほどいいでしょう? ひとつなんて、足りません…」
「まだあります♡」
七緒は鞄から分厚いノートを取り出し見せる。
新聞の切り抜き、“蜘蛛の巣会検挙”の見出し。匿名掲示板の断片。
学校の噂、時刻、場所。ページの隅には、小さく“目撃情報”“交友関係”のメモ。
犬のシールがやたら貼られている。
「……これ、全部、一琉さんのことだけを集めた宝物です♡」
「わっ、すっご……私の仕事が奪われそうじゃない」
梨々花が素で感嘆する。
「な、なんかヤベェ女が来たな……」
夏菜は顔を引きつらせた。
そのとき、煙が一歩近づく。
鼻先をひく、と鳴らし、低く言った。
「……たぶん、ちげぇ。お前……男だろ? 匂いが違う。
なんでそんな気味悪い真似してるんだ」
七緒の笑顔が一瞬、割れた。
「は?」
そしてすぐ、吐き捨てるみたいに。
「っ……君の母親の方が、よっぽど気持ち悪いでしょう?」
「あぁ!?」
煙の足が鳴り、拳が上がりかけ――
七緒の赤い瞳に、刹那の怯えが走った。
次の瞬間には、あざとい上目遣い。
「怒ったんですか? 怖いですぅ」
「……?」
煙は拳を止める。直感が告げる。
――こいつは、本当は無理してる。
七緒は煙を一睨み、ぱっと笑顔に戻り、スカートの裾を摘んだ。
「それじゃ、一琉さん。また来ますね♡
“プレゼント”、また用意するので楽しみにしていてください♡」
反転。
聖リリアンのリボンが揺れ、香水の香りが薄れていく。
静は最後まで目で追い、何も言わなかった。
一琉だけが、胸の内で名前を反芻する。
(“七”緒。男の子。……まさか)
夏の夕焼けが、カノンの看板を赤く染めていた。
◇
「……あいつ、何だったんだ?」
最初に口を開いたのは夏菜だった。
一琉は少しだけ視線を落とし、息を整えた。
「……あの子、たぶん、僕と同郷だ」
「同郷……? 初めて会ったんだろ?」
煙が首をひねる。
「………そ、それ、は……」
言葉が喉で引っかかる。胸の内側がざらつく。
「おい待ちな」
夏菜が片手を上げた。
「言いたくないことを無理に言うことはねえ。
訳アリってのは、あたしらでもとっくに察してんだ。
あんたはいつも余裕で笑ってるほうが似合ってるよ」
「そーそー。チル君が実はジェーン・ボンドだったって聞いても驚かないっての」
鷹津が笑う。
「………どんな過去も、関係ない」
静が短く添える。
「……! そっか」
一琉は目を細め、肩の力を抜いた。
「みんな、ありがとう。いつか……かならず話すよ」
「私は聞いてもよかったけどね」
梨々花は肩をすくめ、にやり。
「まあ今回は、夏奈の素敵な告白を記録できただけで良しとしとくわ……
“あんたはいつもあたしの隣で笑っていてくれ”ってね」
「っ!? そんなこと言ってねえだろ!!」
空気がスッと軽くなる。
「それで、あの子に関しては――」
「リリアンは情報少ないのよねぇ」
梨々花は腕を組む。
「もともと不良なんて少ないガッコだけど、最近は特に出てこない。
調べがいはあるけど」
「なぁ……あいつとは、オレも話してみてぇ」
煙がぽつりと言う。
「惚れたの? いい趣味してるわね」
「ちげぇよ!!」
鷹津に即答して、しかし目は真剣だ。
「……あいつ、昔のオレに似てる。
生きるために何でもしなきゃいけなかった頃の……ほっとけねぇ」
「そっか」
一琉はうなずく。
「おそらく、七緒は“男の子”で、女子校の制服を着てる自分を守りに使ってる。
たぶんそうしないと、生きにくい場所で」
「……同郷、ってのは、そういう匂い?」
静が問いかけた。
「うん」
一琉は短く答え、微笑みを戻した。
「だからいきなり詰めたり、追い返したりはしないで。
彼が自分の足で来られる場所を、用意しておきたい」
「一琉……もし、あいつが無茶してるんなら、教えてやりてぇ。
オレみたいに、殴るしか知らねぇままだと、いずれ折れるって」
「うん」
一琉は、はっきりとうなずいた。
「じゃあ決まり。次に七緒が来たら、僕と煙で話を聞く。
押し花は――カノンのレジ横に飾っておこう。
四葉は、多すぎても困らない」
「困るだろ」
夏菜が笑った。
一琉は押し花の箱を見つめ、そっと蓋を閉じた。
(七緒くん――君が“ご主人様”を求めるなら、僕は“居場所”を見せたい。
従わせるんじゃなくて、並んで歩ける場所を)
凪嵐十字軍は、足並みを揃えて家路についた。
遠く、聖リリアンの尖塔が、夏の空に溶けていった。




