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貞操逆転ヤンキー世界のワケありヒロイン  作者: くにねむりと
第3章 狂犬ひろいました
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第54話 章エピローグ 奪う手から、支える手へ

夏の空気は、昼を過ぎてもまだじっとりと熱を残していた。

商店街の一角。

ガラス越しに焼きたてのパンが並ぶ店――カノンの中は、外より少し涼しい。


「……来ちまった」

神代煙は、入り口のドアを押しながらぼそっと呟いた。

夏休みに入ってから、なんとなく足が向く。

べつに約束したわけでもないのに、気づけばここにいる自分に、内心ちょっとムカつきながら。


「いらっしゃいま……あ、煙」

カウンターの向こうで、一琉が笑った。

白いシャツにエプロン。



「今日も来たのねぇ、煙ちゃん」

奥から、店長が顔を出した。

ふわっと小麦粉の匂いが広がる。


その店長が、腰を押さえながら「よいしょ」と出てくるのを見て、煙は思わず眉をひそめた。

「……どしたんだよ、その腰」

「ちょーっと、やっちまってね……」

店長は苦笑いしながら、腰をトントン叩く。

「朝イチで粉袋を運んでたら、ピキっとさ。年は取りたくないもんねぇ」


「店長、大丈夫ですか?」

一琉が慌てて近寄る。

「病院行きます? 僕、店見てますから」

「いやいや、大したことないのよ。歩けるし」

店長は片手を振ってみせ、それから煙のほうをちらりと見る。

「ただ、重い粉袋を運ぶのがちょっとね。ねぇ、煙」

「……ん」

「ちょっと手伝ってくれない?」

「オレが?」

煙は目を瞬いた。

「パンなんて焼いたことねぇぞ」


「できることからでいいのよ」

店長はにやっと笑う。

「袋運んだり、掃除したり。バイト料より、腹いっぱい食わせてやるからさ」

「……腹いっぱい」

その単語に、反射的に喉が鳴りかける。

すぐに打ち消すように、煙は顔をそむけた。

「べつに、そこまでしてもらう筋合い――」


「煙」

一琉が横から口を挟んだ。

「ここ、手が足りてないんだ。

 手伝ってくれたら、僕も助かる」

煙は一瞬だけ一琉をちらりと見た。

一琉は少しだけ微笑む。


「……運ぶくらいなら」

「助かるわぁ。じゃ、裏から」

店長は嬉しそうに笑った。



「おもっ……!」

裏口近くの倉庫。

煙は、抱え込んだ大きな粉袋に押し潰されそうになりながら、情けない声を漏らした。


「腰じゃなくて腕やっちまうだろこれ……」

「それ、こう持つと楽だよ」

ひょい、と横から手が伸びる。

店長の娘――エプロン姿の娘さんが、粉袋の下に腕を差し入れ、テコのように持ち上げてみせた。

「ほら、体にくっつけて。膝使って上げるの」


「……こうか?」

「そうそう。筋いいねー、煙ちゃん」

「その呼び方やめろ」

ぶつぶつ言いながらも、粉袋はちゃんと運べている。

腕はパンパンだ。

でも、殴って痛くなるのとは、少し違う“疲れ方”。


手伝いはそれだけじゃなかった。

床のモップがけ。

トレイ洗い。

空いた時間で、娘さんに教わりながら簡単な成形をさせてもらう。

「こう、手首で押して、返す。力より、リズム」

「り、リズム……って、ちょ、くっつく!」

「打粉打粉。はい、ここ」

「……くそ、言うこと聞かねぇ」


生地は柔らかくて、あったかい。

殴れば潰れてしまう、それなのに——

(それでも、ちゃんと形になるんだな)

不器用な手つきで丸めたパンは、ところどころいびつだった。


「…なんかブサイク」

「初めてにしては上出来じゃないかな」

一琉が苦笑しながらフォローを入れる。

「この形のほうが、“煙が作った”って分かりやすいしね」

「そんなブランドいやだろ……」


それでも、焼き上がったパンはふわっと膨らんでいて、見ていておもしろかった。

オーブンの中で、だんだん色が変わっていく。

それを窓越しに見ながら、煙はふと、自分の胸のあたりがじんわりするのを感じた。

(殴り合い以外で……)

誰かの役に立てている、気がする。

(……オレ、今、なんかちゃんとしたことしてんのか?)


奪うんじゃない。

作る。

届ける。

その感覚が、ひどく新鮮だった。



「よし、今日はこのへんでおしまい」

閉店準備が終わったころ、店長が手をパンパンと叩いた。

「煙、よく頑張ったねぇ。

 じゃ、働いたら食わないとね」


カウンターの向こう。

テーブルには、大きな皿が並べられている。

野菜たっぷりのスープ。

オムレツ。

バゲットと、サラダ。


「うわ、うまそ」

思わず声が漏れる。

娘さんが誇らしげに胸を張る。


「まかないスペシャルだよ。今日は新入りがいるからね」

「……新入りって誰だ」

「アンタ以外に誰がいんの」

店長が笑いながら、テーブルに腰を下ろす。

「食えるときに食っときな。

 アンタはよく知ってるだろうけど、それが一番大事だ」


「……」

煙の手が、スープ用のスプーンに伸びる。

一口飲む。

じんわりと、温かさが喉を通り、胃に落ちていく。

「……うま」


素直にそう言った瞬間、娘さんがにっと笑った。

「でしょー? 煙ちゃんの燃料になーれ」

「だからその呼び方やめろっての」

一琉はそのやり取りを、隣で嬉しそうに眺めていた。


パン屋のまかないの席で、誰かと並んで飯を食う。

奪った財布の中身じゃなく、汗をかいて運んだ粉袋や、下手くそな成形の先にある飯。

(……)

フォークを持つ手に、自然と力がこもる。

黙々と、すべて平らげた。



食事のあと。

夕焼けが街を薄いオレンジに染めるころ、煙と一琉は一緒に店を出た。

シャッターを半分下ろしたカノンに、店長と娘さんが手を振る。

「また明日も頼むよー」

「腰が治るまでねー」

「……分かってるよ」

煙はぞんざいに手を上げ、商店街の通りへと歩き出した。


外では夏奈が歩道の縁でパンをかじっていた。

「お、来たな。ほらこれ」

「ん?」

「煙が成型したやつ、一本もらってきた。

 形はアレだけどよ、意外とうめえじゃん」

「意外とって何だよ」

「上出来ってことだよ、上出来」

夏奈がにやにや笑う。



一琉が半歩下がって、煙の横に並ぶ。

「煙、どうだった?」

「……何が」

「今日、働いてみて」


煙はしばらく黙って前を見ていたが、やがて小さく息を吐いた。

「……別に」

「うん」

「殴らねぇでも役に立てるってのが、変な感じ」


ポケットにつっこんだ手が、わずかに握りしめられる。

「粉袋とか、マジで重てぇし。生地ぐちゃぐちゃにしたし。

 足引っ張ってるだけかと思ったけど……」

「そんなことないよ」

一琉は即座に否定した。

「君がいたから、店長も娘さんも助かってた。

 僕も、明日の仕込みがだいぶ楽になる」


「……そうかよ」

煙は横を向く。

頬が、夕日に紛れて少し赤く見えた。

「煙がここで働いてくれるの、僕も嬉しいよ」

「……」

小さく舌打ち。

「でも、調子に乗って長居はしねぇ」

煙は足元のアスファルトを見つめながら言った。

「居場所もらったら、また奪われるだけだからな。」


一琉は、ちらりと煙の横顔を見る。

笑っているようで、どこか怯えが混じっている目。

「それでも」

一琉は前を向き直る。

「今はここが、君の居場所だよ」


煙は、思わず足を止める。

「……調子のいいこと言いやがって」

「調子はいいけど、嘘じゃないよ」

一琉は肩をすくめる。

「……あーもう、マジでムカつく」

そう言いながらも、煙の歩幅は一琉から離れなかった。


夕暮れの風が、二人の間を通り抜ける。

どこか、ほんの少しだけ涼しく感じられた。



それから、煙は“なんとなく”カノンに通うようになった。

粉袋を運び、生地に触れ、床を磨き、トングでパンを並べる。

忙しい時間には裏に引っ込み、片付けの時間には表に出る。


この小さな店で自分の手が誰かの腹を満たす。

殴るための拳じゃなく、支えるための腕を使う日々。


奪う側から、少しずつ——支える側へ。

それは、いつかどこかで、別の誰かを“支える”力になるのかもしれない。

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