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貞操逆転ヤンキー世界のワケありヒロイン  作者: くにねむりと
第3章 狂犬ひろいました
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第53話 決別の一撃

郊外の川沿いに、ぽつんと取り残されたような倉庫群があった。

錆びたシャッター。ひび割れたコンクリ。

夏の夕暮れはすでに終わり、紫がかった空の下には、人影もまばらだ。



「……ここだな」

夏菜がバイクを止めて言う。

目の前の倉庫には、小さなテンキー式のパネルが取り付けられている。

その前に立った一琉が、ためらいなく指を動かした。

ピ、ピ、ピ、ピ。

カチャリ、という音とともに、ロックが外れる。

「ホントにその番号で開くのな……」

鷹津が呆れたように口を開いた。

「趣味わりぃ…借金の額かよ……」


煙は、無言のまま通用口を押し開く。

ギギギ……と耳障りな音とともに、倉庫の中の闇が広がる。





倉庫の中は、薄暗い照明がぶらさがっているだけだった。

コンクリの床。

端に積まれた木箱。

その中央に、折り畳みイスを囲むようにして数人。


そして——

その真ん中でヘラヘラしている女が一人。

煙の母親だった。

その周りを囲んでいる女たちは、どれも裏社会の匂いをまとった不良女だ。

だが、その視線は妙に冷めている。



「……んだァ?」

一人が一琉たちの方を振り向いた。

「誰だテメェら」

煙は、一歩だけ前に出る。

「当ててみろ」


その声に、母親の肩がびくりと跳ねた。

「はぁ?」

酔いの混じった目が、じろりと煙をなめ回す。

「……あああああぁ! 煙ぇ!」

立ち上がった母親が、ヒールを鳴らして近づいてくる。

「自分からくるなんてな! 助かったわ!」

酒臭い息が、距離を詰める。

「おめぇはアタシの娘だろ! 犬みてぇに従ってりゃいいんだよ!」

叫び声が倉庫に響いた。



取り巻きの一人が、ぼそっと漏らす。

「……狂犬って割に追跡までしやがるとはな」

「しかもバックに凪嵐十字軍? 聞いてねーぞ」

ちら、と視線の先。

シャッターのところには夏奈たちが立っていた。

噂で聞いた顔。

蜘蛛の巣会を潰した、あの“新勢力”。


「話が違ぇな……これは使いづらいわ」

互いに目配せしながら、じわじわと後ろへ下がっていく。

「うるせぇ!」

煙母が振り返って怒鳴った。

「アンタたちは黙ってな! こいつはアタシのガキなんだよ! 

 言うこと聞かせりゃいいだけなんだから!」



間近で見ている煙の目が、すっと細くなる。

血が逆流する感覚。

視界が赤く染まりかけて——

煙は、ぐっと奥歯を噛んだ。


ゆっくりと、息を吸う。

肺が痛くなるまで吸って、限界まで吐き出す。

背中のどこかで、夏菜の視線を感じた。


「……」

喉に上ってきた咆哮を、飲み込む。

「……もう逃げねぇ」

絞り出すように言葉が出た。

「殴りてぇからじゃねぇ。終わらせるためだ」

一歩踏み出す。

母親の顔が、歪んだ。

「なに、偉そうに——」

「アタシが殴って強くしてやったから今のお前があるんだろうが! 感謝しなさいよねぇ!」



次の瞬間、その拳が振り上げられた。

頬に鈍い痛み。

だが、煙は倒れない。

足を踏ん張り、そのままの姿勢で母親を見返した。

「……足りねぇな」

「はぁ?」

「昔は、もっと本気で殴ってきたろ」

拳を握る。

「今のオレは、あの頃のオレじゃねぇ」


「ぶっ……!?」

煙の拳が頬を打つ。

赤いルージュがにじみ、口角から血が滲む。

「なにすんのよこのクソガキが!」

足を振り上げ、乱暴に蹴りを放ってくる。

煙はそれをギリギリで受け、腹に重い痛みを感じながらも、倒れなかった。

生き延びるために身に着けてきた動き。

体格の違いを活かした位置取りで、煙母の攻撃は威力を殺されていた。


「このガキ……!」

再び、拳。

殴る。殴られる。

互いによろめきながら、なんどもぶつかり合う。

タイマン、と呼ぶにはあまりに見苦しく、あまりに生々しい殴り合いだった。


煙の頬は腫れ、唇が切れ、血の味がした。

膝が、笑う。

肺が焼けるみたいに痛い。

それでも——

(倒れねぇ)

あの頃みたいに“うずくまって許しを乞う自分”は、もうどこにもいなかった。



「ぉぐッ…!ば、バカな」

母親の足元がふらつき始める。

同時にすべてが崩れるような恐怖。

「な、なんで言うこと聞かないのよ! 

 アンタはアタシのために殴られてりゃいいんだよ! 

 稼いで、返して、それで――」


煙は応えない。

「シイィィッ!!」

拳をかいくぐりカウンター気味にボディ、

下がった顎に頭突き。

「ゴフッ…」

煙母はたたらを踏んでよろけながら後退する。


煙は歯を食いしばり、大きく踏み込む。

「ヒィッ」

情けなく振るわれた拳を難なく搔い潜った。


振りかぶった拳に、これまでの全部を乗せる。

ぐらついた頬に渾身の一撃がさく裂した。



コンクリの床に、鈍い衝撃音が響く。

母親の体が吹き飛び、転がりながら後ろに倒れ込んだ。


薄暗い倉庫に、しばしの静寂。

荒い息の音が、やけに大きく聞こえた。



「さ、逆らうな……! 親に、逆らうんじゃないよ……!」

倒れたまま、尚も煙母が呻くように言った。

震える手を、煙に伸ばしながら。


煙は、その手を見下ろした。

ずっと、自分のことを掴んでいた手。

殴って、押さえつけて、好き勝手に振り回してきた手。


「……オレは、もうお前の娘じゃねぇ」

はっきりと言い切ってから——握っていた拳を、そっと下ろした。

追撃はしない。

これ以上殴っても、もう意味はない。



煙母は、床を這うようにして距離を取り、近くにいた女の足首にしがみつく。

「な、なんとかしなさいよアンタたち! 

 約束したでしょ!? アタシは宵星様の——」


その足首を、女は鬱陶しそうに振り払った。

「……チッ」

取り巻きの一人が舌打ちした。

「もう関わってらんねぇな、こりゃ」

「話がちげーんだよ。

 狂犬が“凪嵐十字軍の犬”になってんじゃ、価値半減どころかマイナスじゃねーか」

「ケジメつけるなら、勝手にやってろってこった」


ぞんざいに言いながら、煙母の腕を乱暴に引っ張り上げる。

「いや、アタシはまだ——」

「うるせ。あっちで文句言えよ。

 もうまともな役割は残ってねえからな」

引きずるようにして、出口へ向かう。


去り際に、一人が振り返った。

「覚えとけよ、ガキども」

吐き捨てるように言う。

「宵星様の手で潰されるのは、お前らの方だ」



シャッターが、外から乱暴に閉められた。

がちゃり、と鍵がかかる音。

倉庫の中には、急に静寂が落ちた。



埃っぽい空気の中で、煙だけが、まだその場に立ち尽くしている。

握りしめた拳は、白くなるほど力が入っていた。

呼吸は荒く、肩が上下に揺れている。


「……なんで」

かすれた声が、ぽつりと落ちた。

「なんで、泣いてんだよ、オレ……」


頬を伝うものに気づいて、煙は慌てて袖で乱暴にこすった。

だが、拭っても拭っても、次から次へと溢れてくる。

「勝ったのに……終わったのに、なんで……」

嗚咽を押し殺すように、歯を食いしばる。


ふわり、と頭に何かが触れた。

「え」

驚いて顔を上げると、目の前に一琉が立っていた。

柔らかな手が、そっと煙の頭に置かれている。


「……」

何も言わない。

ただ、優しく、ゆっくりと撫でるだけ。


ぽろ、と大きな涙がこぼれた。

「っ……!」

その瞬間、糸が切れた。


煙は、一歩前に飛び出した。

そのまま一琉の胸元に、勢いよく飛び込む。

「……っ、ひぐ……あ、ぁ……」

声にならない声。

抑え込んでいた感情が、全部あふれ出していく。


一琉は、その背中に腕を回した。

そっと、抱きとめる。

胸の奥で、もう一人の自分が囁く。

(これで、この子は、僕から離れられない)

頭の片隅で、冷静な声が囁く。


弱っているときに手を差し伸べる。

泣いているときに、唯一の居場所を与える。

それは、かつて自分がいた場所――“カルト”の常套手段。

(最低だ)

自分で自分に吐き捨てる。


(依存を作る。縛る。そうやって信者を増やしていくやり方だ)

それでも。

(今だけは)

肩に顔を埋めて震える少女の背中を、抱きしめる腕に、力がこもる。

(今だけは、支えてやりたいんだ)


煙の涙で、制服の胸元がじんわりと濡れていく。

その重さも、熱さも、全部受け止めるように、一琉はただ黙って立っていた。



少し離れた場所で、夏奈と鷹津が壁にもたれていた。

「……見なかったことにしとくか」

夏菜がぼそっと呟いた。


「そうね」

鷹津も腕を組んだまま、そっぽを向く。

「こういうの、邪魔したら一生恨まれそうだし」


「アンタ案外ロマンチストよねぇ」

梨々花は、小さく笑いながらも空気を読んで黙る。


静は、ただ一度だけ、ゆっくりと頷いた。

その瞳には、わずかな安堵と——どこか切ない光が宿っていた。


夏の夜風が、倉庫の隙間から吹き抜ける。

煙の嗚咽は、やがて少しずつ、静かになっていった。



◇ ◇ ◇



同じ頃、暗夜會本拠。

その一室では、別の空気が漂っていた。



「——宵星」

長机の端に座る女が、細い目を向ける。

「報告は聞いたぞ。

 お前が連れてくるはずだった“狂犬”も、今や凪嵐十字軍だな?」


部屋には、数人の幹部が集まっていた。

壁には街の地図。

そこに、いくつもの赤いピンが刺さっている。


宵星は、まるで叱られているとは思っていない顔で、ふんわりと微笑んだ。

「あら」

首をかしげる。

「使い捨てにされないだけの頭はあった、というだけですの。

 クズの手駒になるよりましだったと言えるかもしれません」

「はっ。役に立たねぇ話だ」

別の幹部が鼻で笑う。

「狂犬だなんだと騒いで、結局ヘッドの男に拾われて終わりかよ」


「まあまあ」

そこで、中央に座る女——天鬼が手を上げた。

長い髪。

どこか貴族めいた雰囲気を纏うその女は、楽しげに笑う。

「宵星の仕事は、元から“駒を拾う”ことじゃない。

 情報と盤面の整理だ。……今回も十分だよ」

細い指先で、テーブルの上の資料をトントンと叩いた。

「ほら。彼女のもたらしたやり方で…

 狂輪会は、バイク窃盗をしながら検挙からは逃れている」

暗猫衆やみねこしゅうは?」

「裏サイトで、気に入らない不良グループを囲んで潰したり、

 地上げの配信して遊んでるわね」

別の幹部が、タブレット画面を見ながら答える。

「視聴数は順調。恐怖も、じわじわ広がってる」


「いいね」

天鬼は満足げに頷いた。

「狂輪会も、暗猫衆も、いい感じに勢力を伸ばしてる。

 そうすれば反抗勢力も必ず……

 スペクタクルだよ。ふふふ………」


幹部たちは顔を見合わせる。

「…で、その“新勢力”」

「桜坂の転校生と、そのお友達」

「異名持ちもピンキリとはいえ、一勢力に三人なんてそうそう聞かねえぞ」

「どうするよ」


宵星の目が、わずかに細くなる。

「凪嵐十字軍、でしたっけ?

 暴動鉄騎隊ブードゥーカーニバルみたいに遠征してくるタイプでもないのでしょう?

 今はまだ、手を出す時期じゃないですの」


「だろうね、決戦の時が楽しみだ」

天鬼はあっさり言い切る。

「せっかくの新しい勢力。

 今潰してしまったらもったいない」


「ふん、潰すときは一気に、かよ。

 怖いねえ…」

「恐れ入りますわ」

宵星は、優雅にお辞儀をした。


心の中では――別のことを考えながら。

(私はただ)

目を閉じると、脳裏に一琉の姿が浮かぶ。

(あの人のもとに、全部の“駒”を集めるだけ)



「はぁ……一琉さん」

会合後、宵星は誰もいない屋上で、うっとりとした声を漏らした。


「狂犬なんて、撫でてあげて。優しくしてあげて。

 ……そんなの触っていたら不潔です……」


その口調には、怒りよりも嫉妬に近い熱がこもっている。

「迎えにいって差し上げないと、ですね。全部、片付けて」

くるりと背を向け、闇の中へ消えていった。


こうして。

神代煙は、ようやく一つの鎖を断ち切った。

だが同時に——

街のどこかでは、別の悪意が、静かに編まれ始めていた。

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