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貞操逆転ヤンキー世界のワケありヒロイン  作者: くにねむりと
第3章 狂犬ひろいました
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第52話 実家訪問

終業式の日の午後、校門から吹き抜ける風は、もうすっかり夏の匂いがしていた。

窓の外では入道雲がもくもくと膨らみ、蝉の声がじりじりと響いている。



「……夏休み、か」

一琉が校門を出ながら、ふっと息をついたそのとき。

「——見つけた」

制服の裾を片手でつまみながら、煙が電柱の影から現れた。

癖のある白髪が、夏の風に揺れる。


「煙」

夏菜が片手を上げる。

「サボってんのかと思ったぜ」

「うるせえ。……ちょっと見せたいもんがある」

煙はきびすを返し、住宅街の方へ歩きだした。

静が無言で距離を取り、一琉たちも後を追う。





神代家は、外壁のペンキが剥げかけた古い一軒家だった。

遠目からでもわかるボロ車が一台、

斜めに突っ込むように停まっている。

灰色の塗装はところどころ剥げ、バンパーには目立つ凹み。


煙が、奥歯を噛みしめる音がした。

「あれは……アイツの車だ」

「母親の?」

「……ああ。前はもっとボロかったけどな」

吐き捨てるように言いながらも、その目は車から離れない。


夏菜がポケットに手を突っ込んだまま、ふーっと息を吐く。

「……なるほどな、よく教えてくれたじゃん」

「…今は近づかなくてもいい」

一琉が少し考えて言う。

「でもどこに行くかは追っておきたい。

 動きが見えてた方が色々とやりやすいから」

煙は答えない。

ただ、ぎゅっと拳を握った。


梨々花が、ぽんと手を打った。

「ねぇねぇ、こういう時のためのアイテムがありまして〜」

待ってました、と言わんばかりに鞄をがさごそ漁る。

「お前、なんか楽しそうだな」

夏菜が半眼になる。

梨々花が得意げに取り出したのは、小さな丸いタグだった。

「落としたらスマホで場所がわかるやつ。

 ……車の裏にペタッと貼っとけば、どこ行ったかまるわかり♡」

鷹津が頭を抱える。

「サラッとストーカーグッズ出すな」

「合法のやつだから安心しなさいよ。……ま、使い方次第だけど」

にっこり笑う梨々花の顔は、どう見ても“使い方次第”の方を楽しんでいる顔だった。


一琉は苦笑しつつも、タグを受け取る。

「じゃあ、車のバンパーの裏にでもこっそり。……静」

名前を呼べば無言でタグを受け取り、音もなく路地の影へと消える。

数秒後には戻ってきて、こくん、と小さくうなずいた。

「仕事が早ぇな、“音無し”」

夏菜が肩をすくめる。


「……今は中にいるの?」

「さっきまではな」

煙が家の方を顎で示す。

「うるせぇ声で電話してた。どっか出かける準備してるっぽい」

「じゃあ、いなくなってから、かな」

一琉が小さく頷く。

「中、見ておきたい。……煙がよければ、だけど」

煙は、ほんの一瞬だけ迷った顔をした。

それから、低く短く。

「……勝手にしろ」



しばらくして、煙の実家の扉が音を立てて開いた。

煙母が、ど派手なサングラスを頭に乗せ、タバコをくわえたまま、車に乗り込んでいく。

軽自動車は排気ガスを吹き上げながら走り去った。



夏菜がちらりと一琉を見る。

「どうする、ヘッド」

「潜るなら、今だね」

一琉は頷いた。

「煙。無理だと思ったら、すぐ外に出ていいから」

「うっせ。……行くぞ」

その声は、意外なほど静かだった。



扉の前、夏菜が口笛を吹いた。

「んじゃ、第一ラウンド開始だな」

煙は鍵を差し込み、一瞬だけ手を止めた。

喉が、ごくり、と鳴る。

夏菜がそっと肩に手を置いた。

「大丈夫だ。アタシらも一緒だしな」

「……わかってる」

深く、一度息を吸う。

そして、鍵を回した。


ドアが開いた瞬間、むっとした湿気と、微かに残るアルコールの匂いがふわりと鼻を刺す。

玄関にまであふれだす潰れた缶とゴミ袋。

床には焦げ跡のついたカーペットが敷きっぱなしだ。


煙は、いつもならここでシャワーだけ浴びて出ていく。

リビングには足を踏み入れないようにしていた。

けれど今日は、違う。

リビングの敷居を越える。


視界が開けた瞬間、胸の奥がぎゅっと縮んだ。

テーブルの角には、古い血のシミがまだ薄く残っている。

壁紙のひびの中に、投げつけられた灰皿の跡。

壊れたリモコン。

散らばった空き瓶。

その全部が、脳裏に“音”とセットで蘇ってくる。

罵声。

ビンタの音。

床に倒れたときの、世界がひっくり返る感覚。


「っ……」

視界が揺れかけた、そのとき。

肩に置かれた手が、ぐっと力を込めた。

「戻ってこい、煙」

夏菜の声が、すぐそばで聞こえる。

「ここは、もう“今の”お前の場所じゃねぇ」

煙は、奥歯を噛みしめた。

「……わかってる」



そのやりとりの裏で——

「PC……あった」

テレビ台の横、小さな折りたたみ机の上。

古いノートパソコンが、ケーブルに繋がれたまま放置されている。


一琉はおもむろにスマホで写真を撮る。

「電源は……ついてないね」

「ちょっと失礼」

しゃがみこみ、手早く裏返した。

どこからか工具を取り出したと思うと、指先が迷いなく動く。

かちり、とプラスチックの爪が外れる音がして、背面カバーが浮いた。


一琉は鼻歌交じりに、配線をするりと抜き、ハードディスクを取り出す。

持参した小さなケースに差し込むと、

ポータブル端末と繋がれた。

青いランプが点滅する。


静かな時間、画面上で何かが高速で流れていく。

「……何やってんの?」

鷹津の口元が引きつる。

「こういうのは慣れてるから」

窓の外から、子どもたちの笑い声と、遠くの草刈り機の音が聞こえてきた。

やがて、ピ、と短い音が鳴る。


「はい、おしまい」

ハードディスクを元の位置に戻し、カバーを閉じる。

スマホの写真を参照し、全く同じ位置に戻された。

誰かが触った気配すら残っていない。

「…映画かよ」

「映画よりは地味だよ。配線、ホコリっぽいし」



ポータブル端末の画面をスクロールしていく。

「やっぱりストレージ暗号化もしてない。……やさしいね」

一琉が苦笑混じりに呟く。


「発信機仕込んでドヤ顔してたのが恥ずかしいんですけど」

「いやいや、タグはタグで大事だから」

一琉が笑う。


古いメール。

請求書。

借用書のスキャンデータ。

「……これは」

画面を皆に向ける。

拇印付きの誓約書だ。

『宵星様のご厚意により、当方借金を肩代わりいただきました。

 代わりに娘を連れ帰り、再教育し、戦力としてお返しすることを約束いたします』


「プラン1、雷門に潰されそうなところを助ける、って書いてあるけど。

 ……多分、あの報復隊のことだ」

鷹津が苦い顔をする。

「要するに、狂犬を“宵星の犬”にしたかったってことか」


「直接回収、進行中」

夏菜が、その一文だけを指先でなぞる。

「つまり、まだ終わってねぇってことか」





煙がキッチンに足を踏み入れたときだった。

シンクの上に積まれた、割れかけた皿。

冷蔵庫の扉に貼られた、色あせたレシート。

床に落ちたカップ麺の空き容器。


(食うなって言ったよねぇ?)

耳の奥で、声が響く。

(誰の金で買ってると思ってんの? ねぇ?)

手の甲に走る鈍い痛みと、空腹で胃が縮む感覚が蘇る。

立っているだけで、膝ががくがく震えそうになる。



「……煙」

背後から声がする。

振り返れば、そこにいるのは今の自分の“先輩”たちだった。

夏菜。

鷹津。

一琉。

廊下の向こうには静もいる。

誰も、怒鳴らない。

誰も、皿を投げてこない。


「……」

深く、息を吸った。

胸の奥に、湧き上がってくる感情がある。

怒りとも、悔しさとも違う、もっと、形容しづらいもの。

「……もう」

ぎゅっと拳を握る。

「あの頃のオレじゃねぇ」

たどたどしく。でも、はっきりと言った。


夏菜が、にやりと笑う。

「おう。そう来なくちゃな、煙」

一琉は、その姿を見つめながら、そっと目を細める。

(そうだよ)

心の中でだけ、静かに相槌を打った。

(君はもう、ひとりで殴られてる子どもじゃない)





数時間後。

夕方の商店街は、終業式帰りの中学生たちが制服のままアイスを買い漁っていた。

その一角にあるゲームセンターの前で、夏奈たちはこぢんまりと集合していた。


「首尾はどう?」

「上々よ」

梨々花が発信タグの位置を監視し、立ち寄った場所にピンを立てていた。

コンビニに、パチンコ…そして。

郊外の外れ、海とは反対側の工業地帯だった。

「寂れた倉庫街……」

梨々花が地図を拡大する。

「たぶん、宵星の使いと会う場所ね。人目がないし」



「ここから先は」

夏菜が、煙の方を振り返った。

「煙のケリだな」

一琉も頷く。

「回収した証拠だけで、児相と警察は動かせる。

 会わずに終わらせるのもアリだ。」

少しだけ言葉を選んでから、続けた。

「必要なら加勢するけど……最後にどうするかは、君が選んで」


煙は、しばらく黙っていた。

握った拳の中で、爪が掌に食い込む。

それでも目は、もう揺れていない。

「……オレ一人で行く」

ぽつりと、言った。

「あいつに殴られるのも、殴り返すのも」

視線は、まっすぐ前を向いている。

「もう終わりにする」

その言葉は、夏の暑さを裂くように、澄んでいた。

「……わかった」

一琉が、小さく頷く。

「じゃ、行こうか」



駐輪場に戻ると、夏奈のガンマが、夕日に照らされて光っていた。

その横に、ゼファーとカタナ、原付組の姿もある。

「乗れ」

夏奈が、当たり前のようにシートをぽんと叩いた。

「……いいのかよ」

「お前一人で歩いてったら、その前に変なのに絡まれるだろが」

「それもそうか」

煙はため息をつきながら、夏奈の後ろにまたがった。


「じゃ、出発。後ろ、ついてこいよヘッド」

「了解」

一琉はゼファーのキーを回し、セルを押す。

ドドド、と低く重い鼓動。

隣でカタナのエンジンも目を覚まし、静が無言でハンドルを握った。

原付に跨る鷹津と梨々花が、顔を見合わせて苦笑する。

「またえらいとこ行くなぁ」

「ま、夏休み初日にしてはイベント濃いわね」



小さなバイクの隊列が走り出す。

西の空で太陽が、赤く倉庫街の輪郭を染め始めていた。

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