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貞操逆転ヤンキー世界のワケありヒロイン  作者: くにねむりと
第3章 狂犬ひろいました
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第51話 毒親来訪

終業式を目前に控えた五時間目、

教室の空気は湿気で少しだけ重たかった。



窓際の席でノートを取っていた一琉は、ふと、校庭の方から聞こえてきた怒鳴り声にペン先を止める。

「……なんだろ」

ざわ、と教室の視線が窓に集まる。

先生も板書の手を止め、眉をひそめた。

「ちょっと静かに……」


言い終わる前に、廊下側の扉がガラッと開く。

「センセー! やっべーの来てます!

 狂犬の親が! 校庭で暴れてる!」



教室の空気が一気に冷える。

——狂犬。

 神代煙。


一琉は顔を上げる。

「……行ってきます」

「あ、天凪クン、待ちなさい」

先生が呼び止める。


けれど一琉は、静かに頭を下げただけだった。

「様子を見てきます。……すぐ戻りますから」

それだけ言って、教室を出る。

どこかから現れた静が無音で後に続く。

その背中を、夏菜と鷹津と梨々花も追いかけていった。



校庭は、日差しで白くかすんでいた。


「——ゴラアァァァア!!」

怒鳴り声が、空気を裂いた。

視線が一斉に集まる。

桜坂中の校門近く。

ごてごてのアクセサリーをつけた派手な女が校舎に向かって叫んでいる。


「アンタらが狂犬なんて呼ぶから、

 ウチの子は狂ったんだよ!!」

ヒールの高いサンダルで地面をガンガン踏み鳴らす。


教員が数人、距離を取って取り囲んでいるが、誰も近づけないでいる。

「お、落ち着いてください、ここは学校で——」

「黙りなさいよォ! 

 教師のくせに何してんのよ! 

 ウチの子がどんだけ傷ついてるか!」



生徒たちは、一瞬で“見物モード”だ。

窓から身を乗り出し、廊下の窓にも人だかり。

「やべー……」「あれ狂犬の親?」と、ざわめきが波のように広がる。

職員室前の廊下では、教師たちが顔を見合わせていた。

「……警察、呼ぶべきか?」

「いや、でも肉親だし……保護者と揉めるのは……」

「注意して逆上されても……」

全員、腰が引けている。



そんな中、校舎の影から、一人のシルエットがゆっくり現れた。

白い髪。

細い体。

ポケットに手を突っ込んだまま、女を見下すように立つ。

「……何やってんだよ」

神代煙だった。


「狂犬…!」

あちこちから、小さな声が漏れる。

女は煙を見るなり、ぱっと顔を輝かせた。

「やっと出てきたかぁ!」

サンダルを鳴らして近づいてくる。

「アンタのために、ここまでしてやってるんだよ!? 

 わざわざ学校まで来てやってんの!」

「は?」

煙の目が冷たく細まる。


女は胸を張り、周りの生徒たちにわざと聞かせるように叫んだ。

「アンタが強いのは、全部アタシのおかげなんだ!」

「今度はアンタがアタシを助ける番でしょ!? 借金取りがうるさいんだよ! アンタくらい有名なら、アタシの立場も逆転できるの! 分かる!? 分かれ!!」


煙の顔色が、すっと変わった。

目の奥に、ぞわりとしたものが走る。

肩が小さく震え、指先が握りしめられる。

狂犬の目になりかけた、その瞬間——



「おーい」

校舎の方から、聞き慣れた声が飛んできた。

「お迎えにしては、ちょっと趣味悪くね?」

夏菜が、制服を緩めながら校庭に降りてくる。

その後ろには、腕を組んだ鷹津、スマホを構えた梨々花、いつも通りの一琉、そして無表情の静。


「な、凪嵐十字軍だ」

「天凪さんが狂犬引き入れてるってウワサ…」

「これ乱闘なる感じ?」

ざわめきが一段階上がる。

教師たちは思わずほっとしたような顔をした。

(……あの子たち、授業は普通に受けてるし)

(むしろあっちが話まとめてくれるかも……)



そんな視線を背に、夏菜は煙の横にすっと立った。

「おい、煙」

肩をがしっと掴む。

「ここで暴れたら、あいつの思うツボだぞ」

もう片側から、鷹津も肩を押さえた。

「落ち着け。ここ学校だからな? 

 殴っていい場所と、ダメな場所は分けとけ」

「……っ」

煙は奥歯を噛む。

爪が食い込むほど拳を握りながら、それでも足は一歩も出なかった。



一方、一琉は一歩前に出て、煙の母親と正面から向き合う。

「神代さん、でしたね」

柔らかいが、はっきりした声。

「……あぁ?」

女が睨みつける。

「煙にあんな扱いをしてきたあなたが、何を言おうと」

一琉は目を逸らさずに言った。

「それは、ただの言い訳です」


「はァ?」

女の顔が歪む。

「アンタに何が分かるのよ!

 暴走して問題起こすくらいなら、

 アタシが引き取ってやるのが筋じゃないの!」


「じゃあ、質問してもいいですか」

「はぁ?」

「“娘のご飯”、最後に用意したの、いつですか?」

空気が、ぴたりと止まる。

母親の笑顔が、わずかに引きつった。

「は、はぁ? そんなの、昔からちゃんと──」

「いつですか?」

声色は変わらない。けれど、目だけは氷のように冷たかった。

「パンひとつでも、コンビニのおにぎりひとつでもいいです。

 煙に“食え”って渡したのは、いつですか」

「……」


「傷に薬を塗ったことは? 

 寒い日に、上着を貸したことは?」

母親の顔から、表情がひとつずつ剥がれていく。

「一切、無い。

 ……だから煙は殴って、奪って、生き延びるしかなくなった」

「な、なにを……」


「そんな扱いをしてきたあなたが何を言おうと」

その瞬間だけ、一琉の声が少しだけ低くなった。

「ただの言い訳です」

校庭に、ざわめきが走る。

「彼女は、あなたに縛られる理由なんてもう持っていません」


「っ……!」

母親の足が、一歩、後ずさる。



そのとき。

校門の影から、数人の女たちがこちらをうかがっているのが、一琉の視界の隅に入った。

派手な髪色に服装。

街でよく見る“裏の匂い”を持った女たちだ。


(……取り巻き)

一琉は悟る。

煙をここで暴れさせて、「問題児を親が引き取ります」とやるつもりだったのだろう。



だが、想定は外れた。

煙は、狂犬モードに入りきっていない。

肩を押さえている夏菜と鷹津の手の下で、母親を睨み返している。


「……っ」

煙は、狂犬の目にならなかった。

その目にあるのは、恐怖でも、憎悪でもない。

真正面から睨み返す。


「勝手に名前使って、勝手に騒いで。オレのため? 笑わせんな」

「あ?」

「お前が殴ってきたから、殴り返しただけだ」

煙は、喉を震わせて言葉を吐き出す。

「強いだの何だの、勝手に言ってんな。

 オレが強くなったのは、自分で決めて殴り返したからだ。お前のおかげじゃねぇ」

「……っ、な、なに言って——」

女が一歩、後ずさる。



取り巻きたちも、校門の影で顔を見合わせる。

「おい、話がちげえぞ。

 煽ったら暴れるって言ってたよな?」

「理由なく拉致は、さすがにマズい……」

ざわつき始めた空気を感じ取ったのか、煙母は舌打ちした。


「……ちっ」

ひとりが母親の腕を掴む。

もうひとりが、周りをぐるりと見回して肩をすくめた。

「教師も生徒も見てんだ。

 証拠動画撮られて拡散されたら、こっちが困る」

「そ、そうよね……」

母親は明らかにビビっていた。

さっきまでの大声はどこへやら、すっかり腰が引けている。


その姿を、取り巻きたちが囲む。

「とにかく引くぞ。ここでやったらババアは逮捕、

 アタシらも全員まとめて少年院だ」

「おい、借金の話はどうすんだよ」

「あとでだ、あとで。宵星様の機嫌損ねたくねぇ」

「少しは働けねえのかババア、いくら借金あるか分かってんだろうな」

「わ、わかってるわよ…」

そのまま、校門の外へと消えていく。


「……宵星?」

小さく呟いたのを、一琉は聞き逃さなかった。

残されたのは、真昼の光と、ざわめく生徒たち。



静かな風が、校庭の砂をさらう。

「……」

煙はその場に立ち尽くしていた。

「……よく堪えたな」

夏菜がぽん、と軽く背中を叩く。

「ここで殴りかかってたら、マジでめんどくさいことになってた」

「別に」

煙は顔を背けたまま答える。

「もう殴る価値もねぇだけだ」

その声は、ほんの少しだけ震えていた。

鷹津が、小さく笑う。

「それでいい。殴る価値ない相手に、拳使うだけ損だわ」


少し離れたところで、一琉は静かに彼女を見つめていた。

(……今の煙は)

胸の中で、そっと言葉を置く。

(初めて、“自分の意思で”暴力を抑えられた)

ただ止められたのではなく、自分で踏みとどまった。

その一歩がどれだけ重いかを、一琉は知っていた。


「今の、聞いた?」

梨々花がぽつりと呟く。

「宵星様って、言ってたわね」

「……また物騒なのが出てきたな」

夏菜が、空を見上げて笑う。

「暗夜會の上の方か、別の何かか。

 ま、調べる楽しみが増えたってことで」

「やめろよ、楽しみにすんな」

鷹津が頭を抱える。

「せっかく抗争一個たたんだとこなのに……」


一琉は、小さく息を吸って、煙の方へ歩み寄った。

「お疲れ様」

「……うっせ」

そっぽを向いたまま、煙は短く返す。

でも、その横顔は、どこかスッキリして見えた。



七月の空は眩しくて、蝉の声が一段と大きくなる。

新しい名前がやけに耳に残った。

——宵星。

それが、次の嵐の予告であることを、この時点で知っている者はまだいなかった。

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