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貞操逆転ヤンキー世界のワケありヒロイン  作者: くにねむりと
序章 始まりの鬼哭冥夜《ナイトメア》
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第5話 新生活

空は灰色から白に変わり始めていて、街路樹の枝には霜が光っていた。



アカネさんがバイクを止めたのは、市境を越えた小さな警察署だった。

単車のエンジンが止まり、静寂が戻る。


体がまだ震えていた。

寒さのせいか、緊張のせいかは分からない。

アカネさんはぼくに視線を向けた。


「坊、ここから先は警察の世話になる。……大丈夫だな?」


「はい。……多分」


「それで十分だ」


その笑みは、あの高架下で赦光を叩き潰した時の顔とまるで違っていた。

どこか、安心したような——寂しそうな顔だった。



警察署の扉を開けた瞬間、温かい空気が流れてきた。

けれどその温もりに、ぼくの体は反射的にこわばった。


制服の匂い。書類の紙の匂い。

どれも教団の屋敷にあった“権力の空気”を思い出させた。



アカネさんがぼくの肩に手を置く。


「落ち着け。あたしが話す」


そう言って、カウンター越しの女性警官に事情を伝え始めた。

受付の硬い椅子に座ると、全身の力が抜けた。


暖房の匂い。

紙とインクの匂い。

でもあそことは違う。


女性警官の表情が少しずつ変わっていく。

電話をかけ、誰かを呼び、何度も頷いていた。


やがて、別の制服がやって来た。

所轄外の児童相談所の職員だという。



事情聴取は、思ったより静かだった。

担当の女性は無表情で、でも声は荒げなかった。

教団の名前、屋敷の場所、赦光のバンの台数。

ゆっくりと確認していく。


「証拠になりそうなものはある?」


「……これを」


少しずつ持ち出した資料を渡す。

仕事の予定とか、場所…その結果のリスト。



決定的な証拠は偏執的に消されていく中、なんとか集めたもの。

ぼくは、自分なりに覚えている範囲の時間と場所を並べた。


アカネさんは、高架下で幻月夜叉連のメンバーが撮っていた写真と、

テーザーガンから散らばった紙片を提出していた。

紙片にはIDが振ってあって使用者の特定ができるみたいだ。



ぼくは正直に話した。

あの屋敷は、記録が残らないように作られている。

血縁上の親を取り込み声を封じる仕組みも——


「あと…これ」


タオルを借り、手の甲に入念に施してある化粧を落とす。

暖房が効いているのに、寒気がする——

…大丈夫、自由になると決めたんだ——


「…っっ!」


手の甲に刻まれた”それ”を見た職員の顔色が変わる。


「…っ、広域に連携します。まずは少しでも休みましょう」


女性は立ち上がり、奥へ電話を入れた。

それだけの言葉で、肩の奥に張り付いていた氷が少し溶けた。



数時間後、児童相談所の職員が来た。

四十代くらいの女性と、若い女性。

名札と、分厚いファイル。

落ち着いた目と、忙しそうな目。


「移送先は、こちらの一時保護所です。

今夜の身の安全を確保してから、明日の午前に医療チェック、午後に面談。

その後の生活は——」


言葉が、現実になっていく。

ぼくが“所有物”じゃない世界の段取り。

紙に印字されたルール。

そこにぼくの名前が入るだけで、景色が変わる。



「彼女は?」


若い職員が、入口脇の壁にもたれているアカネさんを見た。

無言で見守っていた黒いロングコート。

社会の枠から最も遠いはずの人。


「保護者ではありません。……この子の“紹介者”です」


アカネさんは肩をすくめる。


「こいつは自分の足で来た。アタシはちょっと並走しただけだ」


職員は一瞬だけ目を丸くして、うなずいた。

それ以上、何も言わなかった。

それが、ありがたかった。



書類の束と説明を受けたあと、

ぼくは小さな支援施設の部屋に通された。


ベッドと机と、使い込まれたカーテン。

壁のシミを見ながら、ようやく実感が湧いてきた。


——助かったんだ。



ついてきたアカネさんにメモ書きを渡される。


「アタシの連絡先だ。」

「坊。落ち着いたら連絡しろ。

…困ったら戻ってこい」


 ぼくは胸の奥から、はっきりした声を出せた。


「はい。”約束”です」


アカネさんは笑い、ぼくの頭を軽く撫でると部屋から出て行った。



高架下の闘い。

風を切って走った背中。

あの夜の声。


「自分の足で立て。スジを通して生きろ」


その言葉が、まだ耳に残っている。



その後、制度の支援で小さなアパートを借りられることになった。


場所は郊外。

木造二階建ての一室。


薄い壁越しに隣の生活音が聞こえるけど、それが妙に心地いい。



夜になると、時々ベランダから遠くの国道を眺めた。


単車の音が風に乗って聞こえてくる。

あの夜の音と、少し似ていた。


(アカネさん……どこを走ってるんだろう)


そう思いながら、息を吐いた。


白い煙が月明かりに溶けていった。



数日後、ニュースで《八岐大樹》の摘発が報じられた。

市内の教団関連施設が摘発——のテロップ。


検挙されたのは末端の幹部たち。

“本部との関連は不明”の文字が小さく踊る。


つまり、終わっていない。


ぼくは画面を見ながら、胸の中でため息を落とした。



枝だけ切り落として、幹は残す。

あの人たちはいつもそうだ。

“解決したふり”が、本当に上手い。


ぼくはテレビを消した。

壁にもたれて、天井を見上げる。


これが現実なんだ。

自分の足で立つ——まずはやれることから、始めよう。



今さら保護費だけもらって生かされる気にはなれない。


ぼくはすぐにアルバイトを探し始めた。

働くのは初めてじゃない——ただ、今度は違う。

自分の意志で働くのだ。


中学生だとしても、やりようはある。


ぼくの過去は、ここからだ。



アカネさんとは、それからしばらく会っていない。

支給されたスマホを使い連絡を取っている。


進学先が決まり、

——不良の名門、修羅ノ華高等学校…冗談みたいな名前だ——

幻月夜叉連のメンバーが張り切ってしまって大変らしい。


鬼哭冥夜なんて異名で呼ばれていても、

血の通った一人の人間なんだとわかって、なんだかうれしい。


夜の風が、部屋のカーテンを揺らしていた。



春。


ぼくは中学二年になり、転入先の校門前に立っている。


選ぶことができた中で、アカネさんが通う、修羅ノ華高等学校の最も近くにある中学。

徒歩では難しいくらいの距離は離れているけれど。


——ここから始めよう。


あの人のように、自分の足で立つために。

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