第47話 vs雷門報復隊
湿った夏の風が、廃工場の広場を通り抜ける。
夕暮れの廃工場。
その中心で、狂犬と報復隊の連続タイマンが、始まろうとしていた。
最初の一人は、勢いで突っ込んできた。
「おらァ!」
グン、と踏み込んだ足。
間近に迫った暴力に煙のモードがカチリと切り替わる。
煙は一歩も引かず、わずかに体をひねる。
繰り出された前蹴りを脇に抱え、そのまま頭突きを打ち込む。
首を掴んで地面に叩きつけ、動かなくなるまで顔を殴る。
「ぐっ、がっ、あっ……!」
静かになったところで、煙はギラついた眼を次の相手に向けた。
二人目。
「シィッ!!」
距離を取ったジャブが数発煙に当たる——が、
殴りつけた腕を両手で掴むと、引き戻す前に噛み付く。
「いィッ!?」
とっさに掴まれた肩口ごと相手の体重を利用して投げ飛ばす。
土埃が舞う。
倒れた体に蹴り、蹴り、蹴り、蹴り。
狂気的な戦いに、丸まった女は既に戦意を失っていた。
三人目。
足を狙ったローをギリギリでかわし、至近距離に跳び込むような頭突き。
鼻血が吹き出る。
動揺してしまえば、もはや狂犬にあらがう術は存在しない。
煙は手打ちの打撃を喰らいながら、一方的に相手をひび割れたコンクリに沈めた。
「っ……バケモンかよ、こいつ……!」
「三人続けてやられたぞ……!」
似たような結果になるにつれて、報復隊の士気が目に見えて下がっていった。
煙は息を荒げながらも、一歩も下がらない。
肩で息をし、目だけはギラギラと狂気を湛えている。
「次は、誰だよ」
唇の端から、血を拭う。
「っ……!」
「な、何だこいつイカレてる……!」
「おい、タイマンじゃ勝てねぇだろ……」
「クソ、ふざけんな……!」
そして、誰かがキレたように叫ぶ。
「タイマンなんかやってられっか!
全員で潰せ!!」
統制が崩れた瞬間、空気が一気に濁る。
四人、五人と前へ出ようとした瞬間——
誰よりも速く夏奈が集団に跳び込んでいた。
「おらァ!!」
ヘッドシザースホイップ。
ひとりの首を脚で刈り取り、そのまま集団の中に投げ込む。
「うぉっ!?」
「ぐえっ!」
ひるんだ一人の顔面がローリングソバットで弾ける。
別方向から突っ込んできた一人を踏み台にして飛び上がり、もう一人の顔面へミサイルキック。
プロレスじみた空中殺法に、周囲がたじろぐ。
「タイマン崩すってことは――」
着地と同時に、夏奈は歯を見せた。虎の瞳孔が鋭く光る。
「こっちも“好き勝手”やっていいってことだよなァ!」
「右は任せな!」
鷹津は逆側で、冷静に数を捌いていた。
伸びてきた拳を外側に弾き、カーフキック。膝が揺らいだところを外掛けで倒す。
別の一人が回し蹴りを放ってきたのを、ぎりぎりで腕でガードし、カウンターのジャブを頬にねじ込む。
「まとめて来いや、面倒だからよ!」
低い姿勢からのタックルで一人を倒す。
グラウンドには入らず寄ってきた別の腕を払って、ローキックで足を刈る。
一琉と煙の前に、二人が壁のように立った。
静は一歩だけ後ろ、その中心に立ち、周囲全体に視線を走らせる。
「い、一琉くーん♡」
どさくさに紛れて、一琉を触ろうとする手が何度か伸びてくる。
「…」
無音の殺意。
音速のリードストレートが顎を撃ち抜き、ほぼ同時にサイドキックが打ち込まれる。
突き飛ばされた身体が別の女にぶつかり、二人まとめて転がった。
「ひっ……!何今の…!」
「見えなかったぞ…!」
地面を滑るようなフットワークで、円を描くように敵を弾き飛ばしていく。
伸びてきた手は一つ残らず折られ、狙う気配はすぐに消え失せた。
◇
また一人殴り倒す。
「フーッ……フーッ……」
煙は荒い息を吐きながら周囲を見回していた。
今までなら、視界に入る全員が「敵」だった。
けれど今、背中に感じるのは——
「無茶すんな、煙!」
頭上をかすめるように、夏菜の足が飛ぶ。
煙に向かっていた拳が、そのまま別方向に吹っ飛んだ。
「右は任せろって言ったろ!」
鷹津の声。
肩越しに見ると、自分の死角を埋めるように、飛んでくる攻撃を捌いている。
今まで、背中を預けたことなんて一度もない。
背を向けた瞬間、蹴られ、殴られ、踏まれるのが当たり前だった。
(……全員が、敵じゃ、ねぇ)
胸の奥で、今まで固まっていた何かが、かすかに揺れる。
「集中しろ、煙!」
夏奈の声に反射して、煙の体が動く。
鳩尾へ膝、顎へ頭突き——
体に刻まれた「殴られながら生き延びるための動き」。
けれど今は、誰かが自分の代わりに受け止めている感覚があった。
◇
その光景を、一琉はじっと見ていた。
拳一つ握らずに。
乱戦の真ん中、静の影に守られながら、ただ煙の動きだけを見ている。
さっきまで獣のように牙を剥いていた顔が、今は少し違う。
(味方と並んで戦う煙)
拳を振るうたびに滲む躊躇い。
背中を守られるたびに、わずかにこわばる肩。
(……まだ、迷いだらけだ)
それでも、彼女の目は、明らかにさっきより先を見ていた。
「あ、あの子全くビビッてねえ…」
「こんだけの乱戦で…
あれが凪嵐十字軍のヘッド…!」
囲む者たちの目には乱戦の中、
配下に戦闘を任せ悠然と佇む凪嵐十字軍のトップが映っていた。
◇
やがて、廃工場に広がる声は変わっていく。
「だ、ダメだ……!」
「何人やられたと思ってんだよ!」
「引け! 一回引くぞ!!」
悲鳴にも似た声が、広場に響いた。
半数以上が地面に転がり、残りは顔を腫らして後ずさる。
「覚えてろよ……!」
捨て台詞を残し、報復隊はばらばらに走り去った。
夕風が、埃と汗の匂いを薄めていく。
遠くで、蝉の声がまだ鳴いている。
煙は肩で息をしながら、その場に立ち尽くしていた。
ふと横を見ると、夏奈と鷹津が軽く息を切らしながら立っている。
「……」
「いいじゃん、煙」
夏菜が笑う。口元にはまだ血がついている。
「お前、もっとやれる」
「後輩ってことでさ」
鷹津も、口元だけニッと上げた。
「一度くらい飯付き合えよ」
「……っ」
煙は何か言いたげに口を開きかけて、やめた。
視線をそらして、立ち上がる。
「煙」
一琉が、静かに近づいてきた。
汗と砂埃でぐしゃぐしゃの白髪越しに、まっすぐに目を見る。
「……生きてて、よかった」
「は?」
「ご飯、また食べにおいで」
それだけ。
偉そうな説教も、感想もない。
煙は、そっぽを向く。
「……べ、別に、オレは助けられなくても生きていける」
ぶっきらぼうな返事。
けれど、その頬はわずかに赤かった。
「うん。知ってる」
一琉は笑った。
「でも、来てくれたら嬉しい」
「……うっせ」
踵を返し、歩き出す。
工場の出口で、一度だけ振り返った。
西日がもうほとんど沈みかけた空。
廃工場の影の中で、五人が煙を見ている。
「……チッ」
振り返ってしまった理由を、舌打ちでごまかす。
「……変な連中」
小さくそう吐き捨てて、神代煙は廃工場を後にした。




