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貞操逆転ヤンキー世界のワケありヒロイン  作者: くにねむりと
第3章 狂犬ひろいました
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第45話 変なやつ

昼休みの廊下は、扇風機の生ぬるい風と湿度でむわっとしていた。


一琉は紙袋と牛乳パックを抱え、1年の教室の前に立った。

中からは、わいわいと弁当の時間らしい声が聞こえてくる。


「……ふぅ」

深呼吸をひとつ。


少し離れた柱の影には、いつものように静がもたれかかっていた。

腕を組み、目だけで中を警戒している。

「一緒に来ると刺激するから、待ってて」

そう言えば、静は素直に頷いた。


「見ててくれるだけで、十分心強いよ」

そう言って、教室の扉を軽く叩いた。



「失礼します……」

ガラリと扉を開けると、一年の教室の空気が一瞬で固まった。

中では、クラスメイトたちが机をくっつけて弁当を広げている。


「え、天凪さんじゃね?」

「マジだ……」

「キレイ……」

「蜘蛛の巣会潰したって噂の……」

「もしかして狂犬のとこ来た……?」

小声のさざ波が、ざわざわと広がっていく。

一琉はそれを聞かないふりをして、教室の奥を見た。


窓際、一番後ろ。

机の上は空っぽで、椅子を斜めに傾け、足を机に引っかけて揺らしている少女がひとり。

白い髪。

細い手足。

ひょろっとした体つき。

——神代煙。

ちらっとだけこちらを見て、すぐに窓の外へ視線を戻した。


机の上には何もない。

カバンの口も閉じられたままだ。

一琉は、机の列の間を縫うようにして、煙の席へ歩いていった。



「……なに」

近づくと、煙が面倒くさそうに顔だけこちらへ向けた。

「お昼、まだだよね」

 一琉は、紙袋を軽く持ち上げる。

「パン屋の廃棄だけど、よかったら」

「……施しのつもりかよ」


低い声。

教室の空気が、さらに固くなる。

「ううん」

 一琉は首を振る。

「廃棄も、処分するの大変なんだよね。

 食べてもらえたら、助かるんだ」


煙は、ふん、と鼻を鳴らした。

でも、その視線は紙袋に引っ張られている。

小さく、でもはっきりと、お腹の鳴る音がした。


「……」

一琉は何も言わない。

ただ、そっと机の上に紙袋を置く。

横に、パックの牛乳も添えた。

しばらく、睨み合う沈黙。



最初に折れたのは、煙のほうだった。

「……っ」

乱暴に紙袋を掴み、ガサガサと開ける。

中には、揚げパン、クリームパン、ソーセージロール——売れ残りの詰め合わせ。

ひとつ、目についたクリームパンを引き抜き、かぶりつく。


その瞬間。

「……っ……!」

動きが変わった。

最初の一口さえ越えてしまえば、あとは勢いだ。


もぐもぐ、もぐもぐ、と頬張る。

喉が詰まりそうになって、一瞬止まり——

「ほら、牛乳もあるよ」

一琉がそっとパックを差し出す。

もごもごのまま受け取り、パックごと豪快に飲む。

喉が上下するたび、白髪が揺れた。


(こういう時は、距離を詰めすぎない)

手を伸ばしすぎれば、逃げられる。

カルトの施設で、何度も何度も見てきた光景。

(あのやり方は、嫌いだ)

信頼を装って、依存させて、逃げ道を潰す。

そんなやり方は二度としたくない。

(でも——使い方次第で、誰かを外に連れ出すことだってできる)


「いつも、ああやってご飯代を集めてるの?」

パンを半分ほど片づけた頃、さりげない調子で尋ねる。

煙は一瞬だけ顔を上げ、すぐにそっぽを向いた。

「……悪いかよ」

「ううん」

 一琉は首を横に振る。

「生きていくのに、そんなこと言ってられないよね」

「……」

返事はない。

でも、パンを食べる手は止まらない。


周りの一年たちは、完全に固まっていた。

「狂犬が喋ってる……」

「やば……」

「天凪さん、怖くないの……?」

小声で、怯えと興味の混ざったささやきが飛び交う。

廊下の柱にもたれている静は、腕を組んだままそれを見ていた。

視線が、ほんの少しだけ鋭くなる。



牛乳を飲み干した煙が、一瞬だけ一琉を正面から見た。

その目は、まだ警戒だらけだ。

でも、前に路地で見たような“獲物を見る獣の目”ではなかった。

「……ありがとよ」

ぽつりと、それだけ言う。

「どういたしまして」

一琉は、穏やかに笑った。

「廃棄処分が減って、助かったよ」


煙は鼻を鳴らし、紙袋をそのまま抱え上げた。

「ふん」

それだけ言って、椅子をがたんと立て、教室を出ていく。

廊下で、静とすれ違った。

煙は視線を合わせない。

静は、ただ黙ってその背中を見送る。


夏の光が、窓から斜めに差し込んでいた。

その日から――昼休みにパン屋の紙袋を持って一年教室へ向かう上級生の姿が、ささやかな噂になり始めた。



翌日、同じ時間。同じ紙袋。

「……また来たのか」

煙が、窓際の席で足を揺らしながら言う。

今日も机の上は、空っぽだ。

「うん」

 一琉は、同じように紙袋と牛乳を机の上へ置く。

「昨日の分も、余ったから」


「……」

煙は、しばらく袋を睨み続けた。

教室の奥では、クラスメイトたちが興味津々でこちらを見ている。

やがて、ため息のように肩を落とした。

「……お前、なんでそんなことする」

一琉は少しだけ考え、言葉を選ぶ。

「処分が減れば、店も助かるし、

 僕も、誰かの役に立てる」

それは、半分は本当で、半分は言い訳だった。


(優しくしすぎれば、相手は逆に怯む)

“ただの善意”は、時に一番重たい鎖になる。

だから、理由を少し外側に逃がす。

(“見捨てられない”と思わせる)

カルトの常套手段。

(でも、僕は彼女を囲い込むつもりなんかない)



「じゃあ、絡まれたらやるだけってこと?」

「……悪いかよ」

「ううん」

 一琉は、少しだけ口元を緩めた。

「むしろ、そういう線引きがあるのは、ちょっと安心した」

「……は?」

煙が、よく分からないものを見る目をする。

「“誰でもいいから殴りたい”わけじゃないんだなって。

 それなら、まだ……戻れる場所があると思うから」

「意味わかんねぇ」

そう言いつつ、煙はパンを最後の一口まできっちり食べる。

牛乳も一滴残さず飲み干した。

「……ごちそうさん」

今日は、それだけ言って、窓の外へ視線を逃がした。


教室の空気は、もう昨日ほど硬くない。

ざわつきの色が、恐れから好奇に変わっていく。



三回目の昼休みは、曇り空だった。

湿気はあるが、陽射しがない分だけ少しだけマシだ。



今日、一琉は廊下にいた。

二日続けて煙に廃棄パンを差し入れした、次の日。

一年教室の前の壁に寄りかかり、ペットボトルの麦茶を飲んでいる。

カノンは定休日だ。


「……今日は?」

教室から出てきた煙が、いきなり声をかけてきた。

相変わらずのボロボロの制服姿。

目は眠そうだが、その奥には警戒がこびりついている。


「あ、ごめん」

一琉は、空の両手を掲げてみせた。

「カノン、定休日で。廃棄もお休み」

「……ふーん」

短い返事。

その顔には、少しだけ“拍子抜け”の色が混じっていた。


「期待してた?」

「してねぇし」

 即答。

 だが、足先が小さく動いた。

「じゃあ、今度、店に取りに来なよ」

 一琉は、軽い調子で言う。

「夕方なら、余ったの置いとけると思うし」

「……」

煙は、一瞬だけ目を細めて一琉を見た。

その視線の意味は、簡単には読めない。


「……別に、行ってもいいけど」

ぼそりと、それだけ落とす。

「じゃ、午後も頑張ってね」

一琉が手を振る。

煙はふいっと顔をそらし、教室の中へ戻っていった。

(“与えて、少し欠かす”)

心を飢えさせれば、次を求める。

それも、あの場所で見た“技術”のひとつ。

(でも——彼女を、少しでも安全な場所に連れてこられるなら)


カノンのカウンターの向こうなら、静も、夏菜も、沙夜もいる。

彼女ひとりで背負わせるより、ずっとましだ。

(それなら、使う価値は……ある)

自分に言い訳するように、麦茶を飲み干した。



煙は、教室の中で背もたれにだらしなく寄りかかりながらも、

さっきの“店に来なよ”を何度も頭の中で反芻していた。

(なんで、自分にそこまで?)

(罠じゃ……ねぇよな)

疑いは消えない。

それでも、昼休みの終わった教室で、お腹だけは空いていた。



夕方のカノンは、オレンジ色の光に包まれていた。

「本日閉店」の札がドアにかかりかけた、そのとき。

チリン、と扉のベルが鳴る。


「……来たぞ」

少しだけ乱暴にドアを開けて入ってきた白い髪。

「いらっしゃい」

 一琉がカウンターの内側から顔を出し、笑顔を向ける。

「ちょうどいい。温めておくよ」


奥のテーブル席では、夏菜と沙夜と梨々花が、

片付けを手伝うふりをしながらこっそり覗いている。

「敏腕カウンセラーかよ……」

「一琉、ほんとそういうの上手いわね」

「マジで人たらしだわね……」


小声のヒソヒソ話は、煙の耳にも届いている。

落ち着かない。

店の奥、厨房、ドアのほう――視線が忙しなく揺れ動く。

「そんなに警戒しなくてもいいよ」

一琉は、バックヤードのテーブルを指さした。

「ここは、安全だから」

言われるままに、煙は椅子に腰を下ろす。

背筋は伸びたまま、いつでも立ち上がれる姿勢。



しばらくして、湯気の立つ皿が目の前に置かれた。

白い湯気。パンの欠片に牛乳と少しの調味料で作った、ささやかなグラタン。

「廃棄のパンと、牛乳と、ちょっとした調味料。

 お金はほとんどかかってないから、施しってわけでもないよ」

「……ふーん」

スプーンを手に取り、警戒するようにひと口すくう。

もぐ、と噛んで——

「……」

もう一口。

また一口。

あっという間に、皿の半分が消えていた。


(なんで、この人は……)

煙の頭の中には、疑問ばかりが渦巻いている。

(なんで自分を助ける?)

(殴り返しても、財布抜いても、何も言わねぇで)

(……罠、じゃ、ないのか)

けれど、グラタンは止まらない。

気づけば、皿は空になっていた。


「おかわり、いる?」

「……いる」

素直。短い。そこに少しだけ、笑ってしまう。

皿が二つ目の底を見せたころ、煙はようやく背を離した。

テーブルの縁を指先で叩き、視線を落とす。


「……お前、つよいのか」

「僕? 弱いよ」

「嘘だ」

「ほんと。だから、みんなに頼ってる」


(……警戒してる)

カウンターの奥から、その様子を見つめながら、一琉は思う。

(でも、一度この椅子に座った)

この店は、彼女の中で“逃げられる場所”として刻まれた。

路地裏でも、家でもない、第三の場所。


「ここ、来てもいいのか」

「うん。何も買わなくていい。廃棄があれば出すし、なくても座ってていい。

 ……ただし、喧嘩は外でね」

「……別に、自分からは襲わない」

「知ってる」

「ふん」


立ち上がった煙は、扉へ向かって二歩進み、ふと振り返る。

言いかけて、やめて、肩をすくめた。

鈴がもう一度鳴る。夕方の風が、小麦の匂いをさらっていった。


(僕がやっているのは、救いか)

(それとも——別の何かか)

自分でも、まだ答えは出ていない。

静がいつの間にか椅子を直し、扉の鍵を確かめていた。

一琉と目が合うと、微かに頷く。


「……なあ。あの子、ほんとに“狂犬”か?」

厨房の奥から、夏菜の伸びやかな声。

「さあ、ね」


ただひとつ、はっきりしているのは。

この日のグラタンが、神代煙にとって——

「誰にも襲われずに、腹いっぱいになれる場所」の、最初の記憶になったということだけだ。

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