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貞操逆転ヤンキー世界のワケありヒロイン  作者: くにねむりと
第3章 狂犬ひろいました
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第44話 “狂犬” 神代 煙

一琉、鷹津、静の三人は薄暗い路地裏へと足を踏み入れる。

じっとりとした風が、夏の夕暮れの湿度を運んでくる。

路地裏には、昼間の熱気だけが取り残されていた。



その奥で、不良二人に囲まれているのは——

屋上で聞いた“噂”そのものだった。


小柄で、ひょろっとしていて、白い髪。

制服はくたびれ、膝には古い擦り傷。

神代煙は、壁に背中を押し付けられていた。


「おい、返事しろや」

「殴られねぇと分かんねぇ?」

一人が、その後頭部に手を伸ばす。

髪を掴もうとした、その瞬間——


その瞬間、煙の目に、一瞬だけ——怯えが走った。

まるで、誰かに怯えて縮こまる子どものような目。

一琉だけが気づいた次の瞬間、それは狂気的な光に切り替わる。



「——ッ!!」

膝が跳ね上がる。

腹にめり込んだ鈍い音が路地に響いた。


不良の一人が前のめりに崩れかけたところへ、

容赦ない頭突きが連打される。

ゴッ、ゴン、と骨と骨がぶつかる音。

そのまま肩を掴み、体重を乗せて地面に叩きつけた。

アスファルトがきしむ。


「ッ、テメッ——!!」

もう一人が慌てて腕を振り上げる。

殴られた。

煙の頬が裂ける。

それでも彼女は止まらなかった。


殴られた勢いのまま、相手の腕に噛みつく。

悲鳴が上がる。

足払い。

転んだところに、容赦のない膝蹴り。



「おいっ、やりすぎだっ!」

鷹津が叫ぶ。

煙の耳には届かない。

肩で息をしながらも、倒れた相手の上に馬乗りになり、拳を振り上げ——


「ストップ」

その手首を、鷹津が掴んだ。

ガシ、と骨のきしむ音がするほどの力で。

「止めときな。死ぬぞ」

煙は荒い呼吸のまま、鷹津の手を振り払おうとする。

爪が食い込み、腕が軋む。



「……っ」

しばらく押し合った末に、煙は無理やり拳を下ろした。

そのまま、ふらつきながら立ち上がる。


荒い呼吸。

汗で濡れた前髪。

白い髪の隙間から覗く、血走った目。


そして——無言のまま、崩れた不良二人の懐に手を突っ込む。

「……」

一琉は息を飲む。

彼女の手つきには、迷いがなかった。

財布を抜き取り、中身を瞬時に確認し、現金だけをポケットに押し込む。

カードや小銭は、そのへんに散らばったままだ。


飢えた獣が、獲物の肉だけをむしり取るような動きだった。

「……やっぱ、関わんないほうがいいな」

鷹津が小さく呟く。


煙は財布を握ったまま、ようやく一琉たちのほうを睨んだ。

目が、完全に“獲物を取られまいとする”獣のそれになっている。


一琉は、その目を真正面から見返した。

怯えも、軽蔑も、哀れみも乗せないまなざしで。

——勝ち負けの喧嘩じゃない。

直感的にそう思った。

彼女が殴っていたのは、目の前の不良だけじゃない。

何かもっと別のものを、必死に叩き潰そうとしているように見えた。



煙は軽く息を切らしながら、路地の出口へ向かう。

ふらふらと歩きながら、通り過ぎざまに一琉を一瞥した。

「……変なやつ」

それだけ吐き捨てると、

痩せた背中を向け、路地の出口へ歩き出した。


街灯の届かない闇に、その姿が消えるまで。

一琉は、黙って見送った。

そのあとには殴られすぎてうめき声も出ない不良たちと、

夏の湿った空気だけが残った。

静がいつの間にか路地の入口に立ち、周囲を警戒している。


(……あれは、ただの不良の目じゃない)


殴り倒すための興奮でもない。

スリルジャンキーの目でもない。


(腹を満たすための……生きるための、獣の目だ)



翌日、昼休みの屋上。

陽射しは相変わらず強いのに、風だけは少しだけ涼しかった。


「……で」

梨々花が唐揚げをつつきながら、一琉を見る。

「昨日、見ちゃったんだって? “狂犬”」


「うん」

一琉は素直にうなずいた。


「白い髪で、小さくて、でも……すごく、必死だった」

「そりゃあ、神代煙で間違いないわね」

梨々花は弁当箱の蓋を閉じる。


「改めてプロフィールおさらいしとく?」

「知りたい」

一琉が即答する。


「はいはい。名前は神代煙。

見た目は白い髪のちびっこ、ひょろひょろで、強そうには見えない。

けど、雷門中の遠征組十人以上と大喧嘩して、相討ちに持ってった女」


「雷門の“顔見せ”って、元々はさ」

夏奈が口を挟む。

「新入生ヤンキーが他校に行って『ウチは強いぞ〜』って軽くやり合う儀式だろ? 

 本来はちっちゃい小競り合いで終わるやつ」


「去年は静が一方的に狩りつくしちゃったけどさ」

チラリと隅でパンを食べている静を見る。

「今年は“殺し合いみたいだった”って聞いたわ。相手も煙も病院送り。

 煙は二日で退院して、何事もなかった顔で登校してきたって」



「頭おかしいな」

鷹津が額に手を当てる。

「その後もちょこちょこ絡まれては返り討ちにしてるそうよ。

“何回倒しても立ち上がってくるから気味が悪い”ってのが、あいつの評判」


「本物なら、面白そうじゃん」

夏奈は笑う。

「そういう“ガチ勢”、嫌いじゃないね」


「……でもあれは、喧嘩屋って感じでもなかった」

鷹津が珍しく真面目な声を出す。

「一琉も見たでしょ?」


問われて、一琉は小さく頷いた。

「……生きるための喧嘩、狩りみたいだと思った」

「そういう言い方も、できるかもね」

梨々花が苦笑する。



彼女はスマホの画面をスライドさせながら続けた。

「家庭環境も相当えぐいって聞いた。

 母親が市内でも有名な“ヤバい女”でさ、

 小学校の頃から児相と警察の常連コース」


「母親は手上げるのも早いし、異常に執着してたらしい。

 数年前から煙が本気で反撃するようになって、今はほとんど家に帰ってないって」

 一琉は、昨日の“後頭部を掴まれそうになった瞬間の怯え”を思い出す。


「食事もろくに取れてないって噂だよ」

梨々花が続ける。

「とすると、喧嘩相手から金や食料をかっぱらって、

 その日その日生き延びてるってところかしらね」


「……生きるために、か」

一琉がぽつりとこぼす。

梨々花は肩をすくめた。

「美化する気にはなれないけど」


夏奈は空を見上げて笑う。

「ふーん…んな事情があったんだな。

 …なあ、“凪嵐十字軍”が狂犬拾ったって今さら評判は変わんねえよ。

 どうだ?ヘッド」



一琉は食べ終えた弁当箱を見ながら考える。

倒されても立ち上がる狂犬。

腹を満たすための獣。

家庭に居場所がない子ども。


——放っておけば、きっとまたどこかで噛みついて、誰かを傷つける。

でも同時に、その牙がなければ生きていけないのだとしたら。


「……どうする?」


梨々花が、わざとらしく問いかけてくる。

一琉は小さく息を吸って、答えた。

「……次に会った時考えるよ。

“狂犬”じゃなくて、“神代煙”として、ちゃんと話ができるかどうか」


初夏の風が吹き抜ける。

もうすぐ夏休み。

けれど、この街の騒がしさは、まだまだこれからだった。

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