第42話 外伝 それぞれの走り方、それぞれの景色
初夏の風がやわらかく街を撫でていく。
放課後の教室、窓際で夏菜が立ち上がった。
「なぁ、一琉も単車手に入れたことだしよ、
今度の日曜、みんなでツーリング行かねぇ?
ちょっと遠くの海までさ」
「いいわね!」
梨々花が即答し、スマホを取り出す。
「久々に走りたい〜、海沿いとか最高じゃない?」
「ボクも行きたいけど……まだ初心者だし、そんなに飛ばせないよ?」
一琉は苦笑して肩をすくめる。
「静はバイク無いよな?
アタシの後ろ乗れよ。二人乗りでも余裕だし」
「……了解」
静は終始無表情で頷いた。
それで話はまとまった――はずだった。
◇
日曜の朝。
郊外のコンビニ駐車場に、排気音がひとつ、またひとつ重なる。
夏菜のガンマが軽やかに鳴き、
一琉のゼファーが深く低く唸り、
鷹津と梨々花の原付がちょこんと並ぶ。
鷹津は原付に跨ったまま大きく伸びをした。
「静、遅いわね」
「時間ぴったりに来るタイプかもな」
その時。
遠くから――金属を研ぎ澄ませたようなエンジン音が迫る。
甲高いのに厚みがある独特の響き。
「ん? このエキゾースト音は……って、はぁあ!?!?!?」
夏奈が目を剥いた。
風を裂くように現れた銀の車体。
輝くカウルが陽を刻む。
無言のまま現れた静は、大型の単車に跨っていた。
白い指がスイッチを落とし、音がピタリと止む。
「……静、それ……」
一琉が呆気にとられた声を出す。
「……カタナ」
「いや名前じゃなくて!」
鷹津が素で突っ込む。
「なんで持ってんの!?」
「計画した時“持ってない”って話だったよね!? 怖っ!」
梨々花が一歩退いた。
「……お前さぁ……」
夏奈は絶句する。
「……必要になったから、用意した」
静はそれだけ言った。
沈黙。
だが結局、「まぁ静だし」で全員が納得してしまう。
誰よりも現実離れしているくせに、妙な説得力があるのだ。
一琉は小さく笑い、「似合ってるね」とだけ言う。
静は赤面すると、口元だけがわずかに緩んだ。
◇
「目的地は海沿いの食堂。名物の海鮮丼だ」
夏奈が指で地図を弾く。
「排気量も腕もバラバラだし、各自のペースで行こうぜ。
途中で合流ポイント決めときゃいい。ここの道の駅な」
バイク組——夏奈=ガンマ、一琉=ゼファー、静=カタナ。
原付組——鷹津&梨々花。
「うん」
「はーい」
「おっけー」
それぞれエンジンをかける。
初夏の空気が熱を帯び、マフラーから煙が立つ。
「じゃ、出発だ!!」
初夏の風が、四つのエンジン音を一つずつ拾い上げ、空へ混ぜた。
◇
最初の直線。
一琉は慎重だった。ミラーを、路面を、前走の影を、何度も見る。
ゼファーの重厚なトルクが体にのしかかるように伝わる。
手のひらの震え、振動、排気の低音。
ひとつひとつが、まだ未知の感触だった。
ゼファーの鼓動は低く太い。
回転が上がるたび、胸の内側まで重い波が寄せてきて、足下で柔らかくほどける。
(重いけど、怖くない……)
(君、走るの好きだろ)
信号待ち、ハンドルをそっと撫でて囁く。
次の加速は、ほんのわずかに鋭くなった。
その少し前方。
「ちょい先で待つぜ!」
夏菜のガンマが、ロケットのような加速で一瞬にして視界から消える。
2スト特有の甲高い音を残し、青い残光のように峠へと消えた。
しばらくして——見晴らしの良い展望ポイント。
夏菜はガードレールに腰をかけ、腕を組んで笑う。
「おーい! ナナハン、やっと来たか!」
「はぁ……速すぎるよ……」
一琉が苦笑する。
「そんなの、追いつけるわけないじゃない」
「はっはー! これがガンマの走りってやつ!」
夏菜の笑顔は、風の中で一層輝いていた。
その後方では、銀のカタナが滑るように走っていた。
静はほとんど姿勢を崩さない。
まるで風そのものが人の形を取っているかのようだ。
一琉がラインを外しかけると、
静は自然にポジションを変え、背後からわずかに誘導する。
夏菜が振り返って呟く。
「お前、ブレねぇな……」
◇
鷹津と梨々花は別ルート。
町を抜けた裏道では原付二台が走っていた。
「ほら見なさい、渋滞知らず!」
梨々花は路地を気持ちよく切り、短い橋を渡る。
「てか道間違えたら終わりじゃね?」
鷹津が半笑いでついてくる。
商店街の軒先でアイスを買い、写真を一枚。
信号のない道、商店街の裏、軽食スタンド。
寄り道だらけの二人旅は、速度は遅くても楽しさでは負けていなかった。
◇ ◇ ◇
峠を抜け、全員が合流したのは小さな道の駅だった。
初夏の風が木々を揺らし、蝉の声が早くも混じる。
「ゼファー、どうよ?」
夏奈がスポーツドリンクを渡す。
「……分かってきた」
一琉は缶を額に当ててから笑った。
「この子、信じたら応えてくれる」
「いい表情」
梨々花が原付で滑り込み、手を振る。
「写真撮る? “初夏のナナハン少年”」
「やめてよ」
笑い声がひとつ増えた。
◇
後半、道路は広くなり、海の匂いが混ざる。
一琉は迷いを一枚ずつ脱ぐみたいに、スロットルを開けた。
コーナーの入口でブレーキを軽く残し、視線を先に置く。
ゼファーの重厚なトルクが、路面を掴んで体を前に押し出す。
「いい感じじゃん、ちょっと飛ばそうぜ」
夏奈のガンマが横に並ぶ。
短い直線で、三台は束の間のランデバトルになった。
風の層を切る音が重なり、前を行く夏の海の青さが一瞬近づく。
◇
同じ頃、海沿いへ出る手前のコンビニ。
原付コンビはベンチに腰を下ろし、ストローをくわえた。
「……あんた、ほんと変わったわね」
梨々花が唐突に言った。
「は? 何よ急に」
鷹津はストローを外し、眉をひそめる。
「前のあんた、喧嘩は強くても……正直、応援する気にはなれなかった」
「……でしょうね」
「でも今は違う。自分のためだけじゃなくて、誰かのために動くようになったでしょ」
少しの間。
海の匂いが、風に濃くなる。
「……ま、一琉のせいね」
鷹津は空を見た。
「あいつ、底知れないくせに妙に真っすぐだから、ほっとけなくてさ」
「今なら、どう? 番格目指してみない?」
梨々花がにやりと笑う。
「おいおい……そんなん、あーしの柄じゃ——
だいたい、夏奈はどうすんだよ」
「柄じゃないなんて、あんたが決めることじゃない」
梨々花の声は意外と真面目だった。
「あんたに付いてきたいって子、もう出てきてるよ。
もちろん夏奈は応援してる。けど、あの子は番格に興味ないみたいだし。
情報好きとしては、あんたが動いたら面白いんだけどな〜」
「……まぁ、そういう未来も悪くねぇかもな」
二人は同時に立ち上がる。
原付のエンジンは軽やかに目覚めた。
「海、行こ」
「おう」
海沿いの国道へ出る。右手いっぱいに、光の粒が跳ねる。
速度は控えめでも、波打ち際を並走しているみたいな気持ち良さ。
「っはー! 最高じゃんこれ!」
「でしょ! 原付でも全然アリなんだって!」
すれ違う観光客が手を振り、梨々花が軽く手を上げる。
鷹津はそれを横目で見て、にやっとした。
「なんかさ、こういうの、久しぶりだわ。何も考えず走れるの」
「じゃあ今日はそれでいいじゃん。バイクのことも、喧嘩のことも、全部置いてさ」
「……そうだな」
風の音と、軽い唸りだけが続く。
梨々花が前に出て、車体をひょいと揺らす。
「おいこら、転ぶぞ!」
「ちゃんとついてきなさいよ!」
二つの原付が、海のきらめきに小さく跳ねて進んだ。
◇ ◇ ◇
食堂の暖簾は、潮風に揺れていた。
夏奈の母の伝手で席は押さえてある。
単車組が先着して、原付組を手を振って迎えた。
「お疲れ」
夏奈が水を配る。
「予約しといた海鮮丼、もう来るって」
「こういうのも、いいな……」
一琉は席に腰を落ち着け、ふうと息を吐いた。
窓の向こうで、海がまだ昼の色を残している。
丼は、海の重さをそのまま載せたみたいに豪勢だった。
笑い声と箸の音が混ざって、潮騒に溶ける。
食後の海岸沿いで一休み。
潮風が髪をすいていく。
胸壁に座って眺めた海原は、どこまでも遠く広がって見えた。
◇
帰りは自由解散だ。
原付組は早めに街へ戻り、夕方の商店街をのんびり抜ける。
単車組は夕陽を背に国道を並走した。
ゼファーの影は長く伸び、カタナの銀は赤く染まり、ガンマは夕日を背中に背負っていた。
(排気量も、速さも、見える景色も違う)
(それでも、同じ目的地に向かって走れる——なんか、それが嬉しい)
夏奈が片手を上げて合図し、少し先で別れる。
静はゼファーの後ろに位置をとり、距離を一定に保つ。
街へ近づくほど、風はぬるくなる。
初夏の匂いが、今日の記憶に名前を付けた。
それぞれの走り方で、同じ夕陽に照らされる。
それだけのことが、とても尊い日だった。




