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貞操逆転ヤンキー世界のワケありヒロイン  作者: くにねむりと
第2章 静かに見守る影
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第41話 外伝 目醒める刄威虚音

照り返すアスファルトの匂いに、

エンジンオイルの甘い香りが混じっていた。

油とゴムと金属の匂い。

初夏の風が、その全部をまとめて運んでくる。


——”オオミオート”。

一琉はバイクを見せてもらう約束のもと、

日曜の昼下がりに夏奈の実家にやってきた。


「いらっしゃ〜い!

夏菜ぁ〜!あんたの彼氏、バイク見たいんだってぇ!?」

豪快で陽気な声が響く。夏菜の母だ。

Tシャツの裾から覗く筋肉には、元走り屋の歴史がそのまま刻まれている。


「ちちちげーし!! 

バイクの話になって、一琉が見てみたいって言ったから連れてきただけだっての!」

「やだステキ! 男の子が単車に興味あるなんて、もう最高じゃない!」


一琉は苦笑しながら、

油染みのついた床に足をそろえた。

「す、すみません。ちょっと興味が出て……あの、触らせてもらえるだけで」

「触るだけぇ? 

なーに言ってんの、うちの子らは乗ってナンボよ!」

夏菜の母は布切れで近くのタンクを磨きながら、豪快に笑う。

元走り屋だというその背筋は、いまも現役のように真っ直ぐだった。



「ウルフとかいいんじゃね?」

夏菜が胸を張った。

「2ストで軽いし速ぇし、見た目もシュッとしてるし! 

……あたしのガンマの姉妹車みたいなもんだし」


「やめなさい、いきなりそれは“ガチ”すぎるわよ。

旧車オタクの感覚で薦めないの」

母がピシャリと制す。


「最初に乗るならこれなんかどう?扱いやすいし、見た目も悪くないわよ。男の子にも人気あるわ」

指さしたのは、青いフェアリングが涼しげなミドルクラス。

「へぇ〜……」

一琉は素直に頷きつつ、視線は店内を泳ぐ。



黒いロー&ロングの車体に目が止まる。

「あ、これ。なんかアカネさんのに似てるかも」


「ん? ああ、“鬼哭冥夜の単車”か」

夏菜がニヤッとした。

「あれエリミだよ、エリミネーター。

最近新型が出たんだけど、鬼哭冥夜のは初代の輸出仕様!

イッカついよなぁ」


「へえ……名前も強そう」

金属の光が、初夏の陽射しをひとかたまりにして跳ね返していた。



——その時だった。

店のいちばん奥、布のかかった車体が、一琉の視界の隅に引っかかった。


「……なんだろう」

足が勝手に、そこへ向かう。布をそっとめくる。

現れたのは、黒に近い深い紺。太いフレーム。丸目。堂々たる空冷のフィン。

けれど、それ以上に――“気配”がある。


「おお、ゼファーのナナハンじゃん!」

夏菜が口笛を吹く。

「相当カスタムしてあるな。

……こんなん置いてあったっけ?

カッケェけどよ、最初に乗るにはちょいヤバくねぇか?」


夏菜の母は、ほんの一瞬だけ沈黙してから、口を開いた。

「ああ、それね。

刄威虚音バイコーン”って通り名で有名だった走り屋が乗ってたのよ。

男好きでさ、その趣味もまた……

まぁ、やりたい放題の奴だったんだけど」


「……」

「いろいろあって、そのバイクがウチに来たの。整備はちゃんとしてる。でも——」

母はタンクをそっとなで、目を伏せた。

「誰が乗ってもエンストしたり、スリップしたり。……曰く付きってやつ。

そのバイク、乗り手を選ぶのよ」


一琉はそっと近づき、タンクに手を伸ばす。

黒と銀の境目に、自分の顔がぼんやり映る。

「刄威虚音……か

……なんだろう、すごく……寂しがってるような……」


指先が触れた瞬間。

キュルルルル——

バン!!


「「はぁ!?!?」」

夏菜と母が、完全にハモった。



キーも挿していない。

なのに、セルが一瞬回って、目覚めの咳をひとつ。

排気の匂いが、ほんのかすかに空気を焦がした。


一琉は驚きつつも、どこか納得したように呟く。

「……この子、乗ってみてもいいですか?」



夏菜母による再度の点検後、

外へ押し出されたゼファー。


シートに跨る一琉の姿は、

まるで最初からそうであったかのように馴染んでいた。


乗り方の仕組みを知識として知っているだけ、なのに。

ステップの高さ、ハンドルの切れ角、シートの沈み。全部が「わかる」。

重い――はずなのに、怖くない。

跨った瞬間、体重の預け先が自然と見つかった。



「……怖くないのか?」

夏菜が息をのむ。

「うん。……大丈夫。なんか、“分かる”気がする」


スロットルをほんの少しだけ開ける。

金属の目が、ゆっくり覚めていく。


「……行きます」

そっとクラッチを繋ぐ。

車体は、まるで“ようやく”と言わんばかりに滑り出した。



――吸い付くような走り。

大型のはずなのに、重さを感じない。

風が、ハンドルを通じて脈打つ。


(すごい……重いのに軽い。

まるで……息を合わせてくれてるみたいだ)

周囲をひと回り。ふた回り。

それだけなのに、もうどこにだって行けるような気がする。


戻ってくる頃には、手と足と鼓動がひとつにまとまっていた。



店先で腕を組む二人は、

文字どおり口をポカンと開けていた。


「まさか、あの刄威虚音の単車が……男に惚れるとはね」

夏菜の母が、呆れと感心の間で笑う。

「乗り手も相棒も男好きだなんて、笑っちゃう」


そして誰にも聞こえない声で呟いた。

「——ほんと、アイツらしいわ」



日も傾き、風がぬるくなる。

一琉と刄威虚音は店に戻り、息を整える。

額に触れた初夏の風が、やさしかった。


「こいつ、他の奴には乗りこなせないし、

譲ってもいいわよ」

母が、工具台の前で腕を伸ばす。


一琉は頭を下げた。

「……いえ、この子は、自分のお金で迎えてあげたいです」


「あら、素敵ねぇ。十年若かったら惚れてたわ」

「おい…!」

夏菜の肘が母の脇腹に入る。


「お値段は——こんなところね」

提示された額は、驚くほど安い。

「え?これってバイクの値段としてはすごく安いんじゃ?」


「うふふ、売るに売れずに困ってたくらいなんだから。

永久整備サービス付きの値段ってとこよ」

「そんな……ありがとうございます。

 必ず払います」


母はウィンクをして、壁を顎で指す。

「……あの単車、ちゃんと整備しといてあげる。

 キーはそこ、壁の鍵掛けの三番目。

 ……もし誰かが“勝手に”乗っても、気づかないかもね」



店を出ての帰り道。

落ち切っていない日が季節の移り変わりを感じさせる。


「一琉、マジであれ乗るのかよ?」

夏菜が呆れ顔をしながらも、ほんの少し誇らしげだった。

「驚いたけど、似合ってるかもな」


一琉は穏やかに微笑んだ。

「ありがとう。あの子も、ちゃんと走りたかっただけだから」



夕風が店の奥、刄威虚音のタンクをなでる。

錆びついたはずの心臓が、再び微かに鼓動した。

まるで、“目醒める”瞬間を、待っていたかのように。

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