第40話 幕間 鬼哭冥夜、現る
休日の昼。
カノンの店内には、焼きたてのパンの匂いが満ちていた。
一琉はトングで焼きたてを並べ、客席では夏奈と鷹津、静が紙コップのアイスコーヒーを弄っている。
「みんな聞いて! 修羅華、また動いたの!!」
勢いよく飛び込んできたのは、スマホ片手の梨々花だった。
目は輝き、息は弾んでいる。
「“修羅華速報第二弾”!
今度は“四天王”が早くも怪物潰してんのよ!!」
「んぐっ!? マジかよ、もう動いたのか!」
夏菜がパンを頬張ったまま叫ぶ。
鷹津はカフェスペースの椅子にもたれ、腕を組んだ。
「……どこの誰だ?」
梨々花はスクロールする指を止めずに、声を張る。
「まずは鬼哭冥夜! “轟会”の爆腕・轟ミサキを叩き潰したの!
壁に拳で穴開ける奴だよ!? それを一瞬で……!」
「はぁ!? あの爆腕ミサキ!? うそだろ……!」
夏菜の口がぽかんと開いた。
鷹津が眉をしかめる。
「……鬼哭冥夜、規格外すぎだな。上の代でも名の知れた怪物だぞ」
梨々花は息継ぎもせず、さらに早口で続けた。
「で、増長天! 今度は“北岡派”の槌骨・北岡メグをバットごと握り潰したんだって!
バットで相手の骨砕くって有名だったのに……」
夏菜はニヤリと笑う。
「握り潰す? 人間のやることかよ……!」
鷹津が低くつぶやく。
「……そりゃ“南の暴君”なんて呼ばれるわけだ」
「持国天は“教室ごと防衛”をまたやってるらしいわ!」
梨々花の声が上ずる。
「今度は二年の番格グループをまとめて追い出したんだって!
これは弱者を集めた烏合の衆なんて言えないわよ!」
夏菜が息をのむ。
「一年が番格潰し? 修羅華どうなってんだ」
「でね!」梨々花はスマホを掲げる。
「広目天! 裏掲示板に“修羅華の勢力相関図”をもう投稿してる!
どの派閥がどこに弱み持ってるか、全部! まるで戦国時代の地図よ!」
鷹津は苦々しく笑う。
「……怖ぇな。戦う前から勝負決まってるじゃん」
夏菜がうなるように言う。
「マジでバケモン世代だな、修羅華……」
パンを並べながら一琉が小さくつぶやく。
「……よく名前覚えられるね、梨々花」
「当たり前でしょ! こういうのは全部記録してこそ価値があるの!」
「……ふーん、がんばって」
「んもう一琉! やる気が感じられないわよ!」
梨々花がぷんと頬をふくらませる。
「凪嵐十字軍筆頭としての威厳を持ってほしいわね!!」
「十字軍って言われてもねぇ……立ち上げた覚えもないし。
僕は“誰が強いか”より大事なことがあると思うけどな」
鷹津が腕を組みなおす。
「でもね、一琉。アンタこれから狙われることも増えるでしょ。
そうなった時、あーしらの強さが必要になってくる。
だから強さを磨くってわけ。情報も武器ってね」
夏菜はパンを飲み込み、ニヤリと笑う。
「まぁ、そういうこと。一琉はそのままでいい。アタシらが腕っぷしで支えるからよ」
「そっか。みんなありがとう。」
梨々花がスマホを構えながらにやり。
「派閥を率いることになってしまった男子を守る不良たち……アツいわね!!
“凪嵐十字軍の伝説ここに始まる!”って感じ♡」
「梨々花は反省して」
軽口が流れ、ガラス越しの光がパンの表面で照り返った。
そこへ、もう一度ベルが鳴る。
◇
チリン。
午後の日差しが傾く頃、カノンのドアベルが鳴った。
黒のノースリーブ、浮き上がった筋肉に鋭い瞳。
長身の女が風を連れて入ってくる。
女は視線だけで店内を切り裂き、奥の一琉に口角を上げた。
「あっ、アカネさん」
「よォ、坊。元気そうじゃねぇか」
柔らかい声の裏で、店の奥の空気が変わった。
「ななな鬼哭冥夜……! 本当に繋がってたんだ……」
梨々花が小声で叫ぶ。
「……マジかよ……噂通りってわけか」
夏菜は低くつぶやくと、
鋭い目でアカネにガンを飛ばす。
アカネはちらと夏菜を見ると、
口元をわずかに緩めた。
言葉はない。
鷹津が息をのむ。
「……っ、やべぇ……本物……」
肌を刺すような緊張感に、思わず下を向く。
無言のまま静が立ち上がった。
空気が、張り詰める。
「おや、番犬までついてんのか」
アカネの声は気負いなく、だが油断もない。
「……警戒する理由は、ある」
静がまっすぐ見返す。
「いい目だ。けど、坊を噛むんじゃねぇぞ」
アカネはカウンターに肘をつき、一琉を見た。
「蜘蛛の巣、踏み抜いたそうだな。
……どうして呼ばなかった?」
「……僕が頭突っ込んで始めた話でしたから。
僕と、周りの皆で始末をつけたかったんです」
一瞬、沈黙。
アカネは目を細め、ふっと笑った。
「……その目、前とは違うな。
前は逃げ場を探してた目だった。
今は“ここから動かねぇ”って目してる」
アカネはくしゃりと頭を撫で、囁いた。
「……暗夜會の尻尾、踏んだだろ。
どうしようもなくなる前には呼びな」
「……はい」
踵を返し、肩越しに笑う。
「じゃあな、坊」
チリン。
ドアのベルが、静かに鳴った。
◇ ◇ ◇
後日の放課後、校舎裏のベンチ。
ツバメが低く旋回して、風の匂いは初夏の気配を漂わせる。
アカネの姿を思い出すだけで、鷹津は顔をしかめた。
「……くそっ……あーし、
鬼哭冥夜に目も合わせられなかった……」
鷹津が拳でベンチを叩く。
「アカネさんってすごく強いんでしょ?
いいんじゃない? そんな悔しがらなくても」
一琉が笑う。
「あーしらはそうじゃないんだよぉ……
不良はね、目ぇ逸らしたら負けなの。
直前に“強さを磨く”とか言っといて、これじゃカッコつかねぇでしょ……」
夏菜が肩をすくめる。
「お前実家で鍛えてもらったらどうなの?
血祓戯流、超実践派として有名じゃん」
「あ、前に言ってたよね。有名な流派なの?」
「筋金入りの喧嘩道場よ。
一応“空手”なんだけど普通に武器使うし、
現代環境に適応するって言って総合格闘技《MMA》を取り入れた結果、連盟と大喧嘩して永久追放。
何年か前にはヤクザの組と抗争して潰したって話も」
「姉貴たちだよ……あいつら頭おかしいのよ。
暗夜會とやる前に殺されるわ……」
鷹津はぼやきながらも、ふと静に目を向けた。
「なぁ静。あんたどうやってあの強さ身につけたのよ」
静は無言で立ち上がる。
カバンを探り、ごそごそと取り出したのは——一本のDVD。
“ドラゴン”の名を冠する女性が無双するカンフーアクションの金字塔だ。
「……これを見ろ」
「あぁ、これ? 見たことあるけど?」
「……見ろ」
「?」
◇
翌日。
「……いやぁ、久しぶりに見たけど中々おもしろかったわ。で? この後は?」
静は淡々と答える。
「……終わりだ」
「???」
「……私はこれを見て、戦い方を考えた」
「はぁ!? それだけ!? じゃああたしはただ映画見ただけじゃん!」
一琉が吹き出しながら言う。
「まぁ、アカネさんは敵じゃないんだし別にいいんじゃない?」
「ちーがーうーんだよぉ!
あーしもあの場でガン飛ばせるようになりたいの!」
鷹津は勢いよく立ち上がり、映画の真似をして構えを取る。
ローキック。サイドキック。スタンスを切り替え、回し蹴り――。
「せりゃぁぁッ…ぅおッ!」
足が引っかかって、派手に転倒。
「……技は安易に振るな」
静が冷静に言う。
「師匠みたいなこと言ってんなちくしょぉ!!」
夏菜と梨々花は大爆笑。
一琉は苦笑いで手を差し出す。
沙夜がそれを掴んで立ち上がる。
初夏の風が吹き抜ける。
笑い声が、夕暮れの校舎裏に響いた。
――鷹津沙夜が“本物”に成る日は、もう少し先のことらしい。




