第39話 章エピローグ ともに歩む影
季節は春の終わり。
校門を出る風が、初夏の匂いを運んでいた。
放課後の帰り道。
夕陽が傾き、校門の影がゆっくりと伸びていく。
蜘蛛の巣会の一件から数日、ようやく街に穏やかな空気が戻っていた。
一琉、夏奈、鷹津、梨々花——四人が並んで歩く。
静はいつものように、少し離れた場所で“気配だけ”を漂わせている。
「……そういやさ」
不意に夏奈がぽつりと口を開いた。
空を見上げながら、どこか照れくさそうな声。
「音無しのこと、名前で呼んでんじゃん」
一琉が首を傾げる。
「うん?」
「アタシのことも……
呼んでくれてもいいんだぞ」
「あん?急になに色気づいてんのよ」
鷹津が肩をすくめる。
「うっせぇ!
てか、なんで梨々花は名前呼びなんだよ!」
一琉は苦笑して答えた。
「呼んでって言われたからだよ。
……意外に気にしてたんだ、ふふ」
「わ、笑ってんな!
……これからは夏奈でいいから。
アタシも、一琉って呼んでいい?」
「もちろん。じゃあ——夏奈。これでいい?」
「お、おぅ……一琉」
夏奈の耳が真っ赤だった。
その様子を見て、鷹津が口の端を上げる。
「へぇ〜、じゃあアタシも便乗して“チル君♡”でいい?」
「どうぞ、鷹津……さん」
「おい、“さん付け”やめろや!
あーしの名前は”沙夜”だ!!」
「あ、そうだったんだ。
……ふふ、あんな大立ち回りした後でいまさらだね、沙夜」
鷹津沙夜は少しむくれながらも、
口元に笑みを浮かべた。
その横で梨々花がにやにやと見守っている。
屋根の影が伸びるたびに、その縁に寄り添うような気配がちらりと揺れる。
風が柔らかく頬を撫で、四人の笑い声が夕暮れに溶けていった。
◇
商店街に初夏の気配を感じさせる影が長く伸び、
パン屋“カノン”のガラスが琥珀色を返す。
静がいつものようにドアを開ける。
鈴が小さく鳴った。
「いらっしゃいませ……あ、静」
「……」
静はぎくしゃくと目で軽く頷くだけ。
その仕草に一琉が少し笑い、
そして意を決したように厨房へひっこみ、
小さな包みを持って戻ってきた。
「……これ、渡したかったんだ」
静は首を傾げた。
一琉は少しだけ照れくさそうに言う。
「……その、いつものお礼。
守ってくれたことも、
一緒に動いてくれたことも、ぜんぶ。
ありがとう」
言葉が静の胸の奥に落ちていく。
頬が赤く染まり、声が出ない。
ただ、差し出された包みを両手で受け取る。
指先が、わずかに震えていた。
店を出たあと、
静は近くのベンチに腰を下ろした。
長くなってきた陽の余熱がベンチをぬくもりで包んでいた。
夕焼けの下で包みを開くと、
彩りよく詰められた手作り弁当。
端には小さなメモが添えられている。
「パンばっかだと栄養偏るから。
食べてくれたら嬉しい。——一琉」
(しゅき……)
静は耳まで真っ赤にしながら、箸を握る。
(……ありがとう、なんて……そんな、言われる資格、私には……)
けれど、箸を取る手は止まらなかった。
頬をほんのり染めながら、一口、また一口。
(食べる。全部、食べて、強くなる。
……まだ、守りたいから)
◇
翌日。
放課後の帰り道、初夏の風が生ぬるく頬をなでる。
信号待ちの横断歩道の向こうで、
遠くの空が茜色に染まりはじめていた。
下校中の一琉の両脇に、夏奈と沙夜がずいと割り込んだ。
「ねぇねぇ、一琉クン。放課後パン屋でさぁ〜」
「お弁当渡してたじゃ〜ん、“音無し”に〜」
「……見てたんだ」
「あーれは完全に、惚れてる顔だわ」
「しかも赤くなってたわね〜〜、あれは反則」
「みてみたかった〜!」
梨々花が加わる。
「…………」
背後から、無音で影が落ちる。
静だ。
「うぉっ!? いつの間に!?」
「マジで気づけねぇ……
やっぱとんでもねぇな!」
静はほんのり耳まで赤く染めたまま、
一琉の先導をするように歩き出す。
「静、たまには一緒に歩こう」
「……」
そそくさと並ぶ静。
その横顔には、やわらかい光が差し込んでいた。
「一琉が飼い慣らせる主人じゃなかったら、
マジで事案よね…」
「静お前もう少し距離感考えた方がいいと思うぜ〜」
夕焼けと若葉の匂いが混ざり、街全体が黄金色に染まる。
五人は並び、ゆるい会話を交わしながら歩いていく。
遠くでヒグラシの声が試し鳴きをはじめている。
春が終わり、街は静かに次の季節を迎えようとしていた。
◇ ◇ ◇
同じ頃、どこかの地下。
安い蛍光灯が唸り、
長机の上で地図と台帳が影をつくる。
数名の影が円卓を囲んでいた。
「……桜坂の転校生が、“音無し”と“虎閃”を従えて蜘蛛の巣会を潰しました。
使い捨ての連絡網を使っていなければ、
こちらまで芋づるでしたの」
「異名持ちには触るなって決まりだったろ。
まさか巣にカチ込むとはな」
「短期間で戦力をまとめてアジト特定、
現地突入……隠し金庫も全部暴かれていた。
どう考えても普通じゃねぇ。何者だ?」
「男子、だってよ」
「はぁ!? ありえるのか……?」
静寂を破るように、ひときわ甘い声が響く。
「……おもしろいね」
長い脚を組み替えながら、影の中心が笑った。
「鬼哭冥夜が修羅華で暴れてる今、
“お嬢様”だけならつぶすのは簡単だった。
まさか“新勢力”が現れるなんて——
でも、面白いからこそ、放置はしない。
物語には、必然性が大事なんだ」
その隣で、艶やかな声が続く。
「……私が行きましょう。
桜坂には、ちょうど子犬がいますの。
“狂犬”と呼ばれる一年生。
……どんな子犬か、この目で確かめてきます」
くすり、と微笑む影。
その瞳に、危うい光が宿る。
「”狂犬”、ね。制御できるのか」
「無理はいたしませんの。
下僕の屑を使って…ただ、確かめるだけ」
首座の女は小さく笑い、手を振った。
「じゃあ任せるよ。
……皆も各々の判断で表に出始めていい。
鬼哭冥夜を超える恐怖を広めてこそ、
悪夢を超えていけるってものだろう?
それこそが我ら“暗夜會”の存在意義だ」
こうして街の裏側ではうわさが拡がる。
顔を隠したバイク窃盗団、
裏ネットワークで危険な配信行為を行う集団、
お嬢様校の裏の支配者、
敵対者の下に現れる地獄の使者、
全ての糸を引く天の支配者。
それらがすべて”暗夜會”。
恐怖の集団がさらに狡猾になって帰ってきたのだと——




