第20話 恥ずかしがり屋な常連客
カノンの店内は、夕方の光でオレンジに染まっていた。
焼きたてのバゲットから立ちのぼる湯気。
ショーケースには、ふっくらとした丸パンが並んでいる。
「いらっしゃいませ。袋はご一緒で大丈夫ですか?」
声をかけた先で、ひとりの少女が小さく頷いた。
黒髪のポニーテール、制服にパーカー。
無言でトレーを差し出し、パンはどっさり——
六つ、七つ、数えるのをためらう量だ。
「ありがとうございます。
メロンパンは温かいので、別袋にしますね」
一琉は、トレーのパンを丁寧に袋詰めしながら笑顔を向けた。
「ありがとうございました。またお待ちしてます」
客は何かを呟くと、軽く会釈して、
どっさり買い込んだ紙袋を抱えて出ていった。
扉のベルが、チリンと静かに鳴る。
「……今日もいっぱい買ってくれたな」
小さく呟いて、トレーを置く。
あの客は、ほぼ毎日この時間に来る常連だ。
話すことはほとんどないが、
最後に必ず「ありがとう」と呟く。
それが、一琉には不思議と印象に残っていた。
◇
入れ替わるように、店のドアが勢いよく開いた。
「よっす!」
「……近江さん?いらっしゃい」
スカジャン姿の近江夏奈が、店内をぐるりと見回す。
目尻は緩いのに、肉食獣のような凄みがある。
いつもの“護衛モード”だ。
その姿に、店主の娘がぎょっとして奥へ引っ込む。
一琉は苦笑しながら手を振った。
「大丈夫ですよ。友達ですから」
「ちぇ、猛獣扱いかよって」
夏奈はレジ前まで歩み寄り、店の奥を一瞥した。
その視線が、さっきまで常連客が立っていた位置で止まる。
「……なあ、天凪」
「うん?」
「いま出てった人。……知り合い?」
「え? ああ、いつも来てくれる常連さんだよ。
無口だけど優しい人だと思うよ」
「……優しい、ねぇ」
夏奈は目を細め、腕を組む。
表情には、警戒と興味が半分ずつ混じっていた。
「あいつ守屋静だよ。二年で最強って噂の」
「……え?」
「確かにありゃ、アタシよりつえーかもな。
今まさに何人かヤッてきましたって気配だ。
どんなトレーニングしてんだろうな」
一琉の手が止まる。
トングの先が、トレーの上でカチリと音を立てた。
「前に、梨々花が言ってた……“音無し”の?」
「そう。その“音無し”。
…あんたの周りで、蜘蛛の巣会のパシリどもが急に姿見せなくなったの、知ってる?」
「……え?」
「アレ、もしかして——さ」
夏奈の声が低く落ちた。
一琉は曖昧な笑みを浮かべ、首をかしげる。
「……まさか。あの人、ただの常連さんだってば。
ちょっと恥ずかしがり屋さんなだけで、
よくパンたくさん買ってってくれるよ」
「……は?」
夏奈が絶句する。
数秒の沈黙ののち、目を見開いた。
「えぇ? あの“音無しの静”が、恥ずかしがり屋ぁ?
……あんたの前だと、そんな感じなの……?」
「うん? 変かな? いつもどおりだけど……」
あまりにも無邪気な顔で言うものだから、
夏奈は額を押さえてため息をついた。
「……世の中、理不尽だわ」
夏菜はチョココロネを買うと、
上がりにまた来るぜと言い残して出ていった。




