第17話 つぶれかけのパン屋
放課後の通学路。
制服を少し緩めた一琉の横で、
近江夏菜がスカジャンの裾を揺らしながら歩いていた。
視線は会話より先に周囲を掃く。
電柱の影、路地の口、背後の足音。
「……あんた一人だと何されるかわかんないからね。守ってやってんの」
一琉は苦笑した。
夏菜の言葉には冗談のようでいて、本気の響きが混ざっている。
「ありがと。頼りにしてる」
「……へ、変な言い方すんなよ」
ぷいっと顔をそむける夏菜。
照れているのを隠すように、ポケットに手を突っ込んだ。
「そういえばさ、アンタどんな経緯で“カノン”で働きだしたのよ?
前から気になってたんだけど」
一琉は歩みを少し緩め、前方の商店街を見つめた。
夕方のパン屋の灯りが遠くにぼんやりと見える。
「うーん……回想すと長くなるけど、いい?」
「いーよ。暇だし」
一琉は軽く息をつき、
少し前の記憶をたぐり寄せた。
◇
カルトからの逃亡を果たした直後。
保護制度によって、この街に一人で住み始めたばかりの頃。
支援費で生きることはできた。
でも、“ただ生き延びる”だけでは満たされなかった。
自分で稼いで、誰かに必要とされたい。
そう思っていた。
その日、一琉は商店街を歩きながら働ける場所を探していた。
そして、駅から離れた商店街の小さな店——
「カノン」が目に留まる。
夕方だというのに、ショーケースはパンでいっぱい。
客の姿はなく、看板の塗装も剥げかけていた。
なのに、買って食べたメロンパンは、やさしくて温かかった。
「……潰れかけ。だけど、味は本物。
……狙いどころだ」
彼は無意識に口にしていた。
冷静な観察眼が、直感的にチャンスを見抜いていた。
◇
翌日。
放課後の時間帯、一琉は再び「カノン」のドアを開けた。
中年の女性店主がカウンターの奥でレジを締めていた。
「中学生が働きたい?
無理に決まってるでしょ」
「じゃあ、雇わなくてもいいです。
しばらく、無償で手伝わせてください。
その代わり、売上が伸びたら、ちゃんとお給料ください」
店主は呆れ顔でため息をついた。
けれど、その目にわずかな興味が宿る。
「厨房はダメよ。危ないから。……表の接客だけね」
「ありがとうございます」
その日、一琉は初めてレジ前に立った。
制服姿の中学生男子が、
真っすぐな笑顔で「いらっしゃいませ」と言う。
——それだけで、店の空気が変わった。
女性客の視線が縫い寄るように集まる。
「うそ、男子?」「え、あの子かわいくない?」「この店にあんな子いた?」
SNSに投稿する客まで現れ、夕方の売り上げはわずかに伸びた。
店主の目が変わる。
「……キミ、ほんとに中学生なの?」
「はい。でも“それなり”の接客経験は、ありますから」
店主は眉を寄せて、そっと呟く。
「(深くは聞かないほうがいいやつだな……これ)」
こうして、一琉は正式に“看板男子”として雇われることになった。
◇
数週間後。
一琉は店の「見え方」を変えた。
視線を誘導するPOP、色の置き方、トレーの高さ。
焼きたてパンの試食を提案し、
SNSを立ち上げ、夕方限定メニューを考案。
制服姿の“ちょっと大人びた男子”が元気に接客する店。
噂はやがて商店街の外にも届いた。
女性客の流入が一気に増えた。
「……ほんと、何者なのよ。あんた」
店主がこぼした言葉に、一琉は穏やかに笑う。
「ただの中学生ですよ。
でも、ちゃんと必要とされる場所にいたいんです」
◇
カルト関係の事情はぼかし、
話を終えるころ、二人はパン屋の前に着いていた。
ショーウィンドウには、焼き立ての光沢を帯びたクロワッサンが並ぶ。
「へぇぇ……。なんていうか、
アンタほんとに中学生?」
「生年月日はごまかしてないよ」
「そーいう意味じゃねぇ」
夏菜が半笑いで言うと、一琉は苦笑いした。
「でも、かっけぇと思うぜ、そういうとこ」
軽口のまま、二人は店へ。
夕方の喧噪と、焼きたての芳香が迎えてくれる。
向かいの屋上では、影がいつもの位置についていた。




