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第12話 静かに見守る影

夕陽が校舎を染めるころ。

桜坂中学校の転校生、天凪一琉は制服姿のままバイト先へと向かっていた。


西日に照らされた革靴の音が、アスファルトの上で軽やかに響く。


通りすがる大人たちが、思わず振り返る。

その視線のほとんどは好意的で、

時にはスマホのカメラが向けられることもあった。



「看板男子、今日もバイトかしらね」


「カノンでしょ?店ごと救ったって話よ」


「場所が地味すぎるけど、かなりおいしかったわ。」


小さな商店街の端にある、かつて潰れかけていたパン屋。

今では“一琉目当て”の客で、夕方の店先はちょっとした行列ができる。

笑顔で接客をする美少年に惹かれ、誰もがつい財布の紐をゆるめる。



「おつかれさまでーす」


一琉はいつもどおり明るくドアを開けた。

店主が顔を上げ、にこりと笑う。


「おう、今日も助かるよ。一琉くんが来ると空気が明るくなる」


「ありがとうございます。今日はあんパン多めに焼けてますね」


潰れかけていた小さなパン屋”カノン”。

小麦の芳香が広まる店内、

イートインスペースも用意されている。

古いオーブンと、ぶ厚い木の作業台。


淡々とした会話の中で、彼の手は止まらない。

飾らない態度で、与えられた場所を丁寧に守るように働いていた。



「いらっしゃいませ」


「きょ、今日のおすすめ、ありますか?」


「胡桃のハニーブレッド、今ちょうど焼けました。

表面はさくっと、中はふわっと、ですよ」


にこりと微笑む姿にまた一つパンが売れていく。


でも。

――その姿は、常に“誰か”に見られていた。



パン屋の隣、夕陽を浴びる瓦屋根。

そこに、誰の目にも映らぬ影がひとつ。


教室で。屋上で。体育館裏で――

ずっと、一琉を見つめていた影。


(警戒範囲、商店街西口まで拡張。巡回パターンAに切り替え)


小さな手帳がひらく。

細い指が、簡略地図の数か所を軽く叩いた。

看板越しに、通りの往来が俯瞰できる位置。


スカートの裾が微かに揺れ、黒髪のポニーテールが風に舞う。



彼女の名は――守屋もりや しず



“音無し”の異名を持つ二年生。


市内最強の噂は、いつだって過剰に脚色される。

けれど、いくつかの断片は、真実に近い。


「一年で雷門の十五人相手にして勝った」

「あいつに目をつけられたら最後」

「やられたことにすら気づけない」

「でも、普段は姿を見ない」


少女は小さな手帳を開き、視線をパン屋の中に向けた。

店先で笑う一琉、その隣でパンを包む店主、外を歩く客。

全員の動きが、すでに彼女の脳内にマッピングされている。



(一琉クンは、パン屋でバイトをしている。

中学生なのに、ちゃんと仕事して、一人暮らししながら、みんなに笑ってる)


(笑顔の裏で、時々ふと寂しそうにする。

あれは――演技じゃない。私には、わかる)



静は視線をわずかに下げ、店の窓際を覗き込んだ。

ちょうどそのとき、レジで女性客が会計をしていた。


彼女はお釣りを受け取る際、一琉の手にそっと触れる。


その瞬間、静の表情に一瞬だけ影が差した。

(……あの女、お釣りをもらう時に一琉クンの手を触った。警戒対象:中)


ノートの端に、細い字でその一文が記される。

夕陽の赤に染まる紙面の上で、静の指はひたすら冷静だった。


(……私が護る)

視線の熱は隠せない。



日が傾き、パン屋の灯りがいっそう温かく見える頃。

レジ前には子どもたちが列を作り、紙袋の端を握りしめて笑っている。


「ありがとうございます。転ばないよう、気をつけて」


「また来るね、お兄ちゃん!」


「うん。また」


一琉の声は、春の終わりの空気にちょうどよく混じった。

高すぎず、低すぎず、けれど確実に届く声。



屋根の上に戻った静は、夕闇を背に手帳を閉じる。

鉛筆の芯を軽く指で整え、胸ポケットに滑らせた。


(シフト終了見込み、巡回パターンBへ遷移。

帰宅ルート確認。尾行者、ゼロ)


静は、最後にもう一度だけ店内を見た。

一琉が店主と笑い合い、トレーを洗い場へ運んでいく。


その光景を、短いまばたきに焼きつける。



風が吹く。

商店街を抜ける風が、屋根の影を揺らした。


その瞬間、静の姿はもうそこにはなかった。


ただ、瓦の上を滑るような小さな音と、

風に混じる微かな足音だけが、確かに彼女の存在を証明していた。



一人の少年を密かに見守る影。

桜坂中、いや市内でも最強と噂される少女。



――“音無しの静”、一琉のストーカーである。


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