第106話 番格救出のあとで
配信画面の「LIVE」の赤いランプが、ふっと消えた。
一琉がスマホを下ろす。
隣で梨々花が肩で息をしながら画面をスクロールした。
「コメント欄、荒れに荒れてたわね……
“修羅鬼バックレんなよ”とか、“不良映画かよ”とか……」
「まあ、宣伝にはなったな」
夏菜が汗を拭いながら笑う。
少し離れた場所で、山吹イミナが電柱にもたれて座り込んでいた。
額に切り傷、頬にうっすら腫れ。ジャージの膝は破れ、血がにじんでいる。
それでも、目の光はまったく濁っていない。
「……悪ぃな」
イミナが短く吐き出す。
「番としては、クソ情けねぇ絵面だ」
夏菜は肩をすくめた。
「借りを返しただけだ。
煙の件、アンタが雷門側止めてくれなきゃ、とっくに抗争だったろ」
煙が「ふん」と鼻を鳴らす。
「……少しは面倒を減らしてくれたかもな」
イミナはふっと笑った。
「“狂犬”も少しは礼儀を教わったらしいな」
煙が「上等だテメ」と立ち上がりかけるのを、夏菜が笑って止めた。
「とりあえず、こっちの配信も切ったよ。
ログは残してあるけどね」
一琉が近づきながら、救急セットを取り出す。
イミナの膝の傷に消毒液を垂らすと、「っつぅ……!」と顔をしかめた。
消毒し終わった指先が、そっとガーゼを押さえる。
「……器用だな、お前」
「慣れてるだけだよ。みんなしょっちゅう怪我するから」
「ふーん……」
イミナが一琉の顔を、上から下まで値踏みするみたいに眺める。
「アンタが、凪嵐十字軍のヘッドか」
「え?」
「虎閃に、音無しに、狂犬まで率いてる……“指揮官”ってやつ」
ぼそっと言って、視線をそらす。
街灯のオレンジが、少し赤くなった耳を照らした。
「もっとイカれた顔してんのかと思った。
……まあ、悪くねぇ」
「えっと……ありがとうございます? 山吹さん」
「……別に。イミナでいい」
ぶっきらぼうに吐き捨てる。
夏菜がにやにやとイミナの横顔を見る。
「なに照れてんだよ」
「うるせぇ、ぶっ飛ばすぞ」
「しかし、なんで一人で来たんだ?」
沙夜が問いかける。
「雷門、総出でぶっ潰しに来てもおかしくねぇだろ。あの配信内容なら」
イミナは肩をすくめた。
「……最初の一本は、みんなで見た」
低い声だった。
「“雷門の番格、処刑予定”とかタイトルつけられてよ。
ウチの校章もバッチリ映ってた」
梨々花が眉をひそめる。
「完全に喧嘩売ってるじゃない……」
「だから、幹部集めて話した。
“これは雷門のケンカだ、黙って見てるわけにいかねぇ”ってな」
イミナは舌打ちする。
「……けど、暗夜會が後ろにいるって話になった途端、空気が変わった。
“今は動くな”だの、“反社との戦争に中学巻き込む気か”だのよ」
夏菜が「はぁ?」と声を上げる。
「そっちが先に勝手に名前使われてんのにか? ダセえな」
「そういうこった」
イミナは肩をすくめる。
「止める理由もわかるさ。普通の生徒が巻き込まれる可能性が一気に増すからな。
でもよ——番格が、あたしがだ。
自分の名前を勝手に看板にされて、黙ってられっか」
拳をぎゅっと握り込む。
白い指の関節が、軋む音を立てた気がした。
「だから、一人で来た。
雷門中としてじゃなくて、“山吹イミナ”としてな」
静かになった河川敷に、その言葉が落ちる。
夏菜は少しだけ口角を上げた。
「やっぱバカだろ、アンタ」
「おう」
イミナも笑う。
「でも、そうじゃねぇと番格なんざやってらんねぇ。
……借しは、これでチャラだ。虎閃」
夏菜は首を横に振った。
「半額くらいだな」
「は?」
「煙の件の借りもあるし、今日もまだ戦えてたしな。
まだちょい、雷門にツケ残ってる」
イミナが呆れたように息を吐く。
「……マジで、そっちの連中は面倒くせぇ」
一琉がガーゼを貼りながら、くすっと笑った。
「でも、その“面倒くさい貸し借り”で、街の争いが何回か止まってるわけだし」
静は少し離れたところで、まだ周囲を警戒している。
夜猫衆が完全に引いたことを確認し終えてから、ようやく輪に戻ってきた。
イミナが静を一瞥し、口笛を鳴らす。
「そっちの“音無し”も、相変わらずだな……
一年前、ウチの連中ボコボコにしてったときと同じ目してる」
静は小さく首を傾げただけだった。
「護衛」
それだけ言って、一琉の背後に立つ。
「はいはい、うちの番犬は働き者でして」
夏菜が肩をすくめると、イミナはふっと目を細めた。
「——で?」
今度は鷹津のほうを見る。
「さっきの宣言——アンタ、桜坂の鷹津だろ。
あの“修羅鬼”って女、次の配信でやるつもりか」
鷹津は、わずかに喉を鳴らす。
「……そのつもりだよ。血祓戯流の看板背負ってな」
「死ぬなよ」
イミナの声は、思ったより静かだった。
「軍命魔のヘッドは、自力で倒せる人数しか率いることはできないんだとよ。
アタシも最初はヘッドを狙ったが、余裕で捌かれた……
本物だぞ」
鷹津の肩が、ぴくりと揺れる。
「………だとしても、だ」
隣に立つ一琉に、夏菜と煙。
ちょっと離れて静と梨々花も。
薫子も、少し離れたところでヨーヨーを指に巻きつけながらこちらを見ていた。
「“やる”って決めたら、“やる”んだよ」
イミナは鼻で笑った。
「いいねぇ。そういう言い草、嫌いじゃねぇよ」
「……それ、褒めてる?」
「褒めてんの。
だから、勝てよ。あいつに」
ゆっくりと立ち上がると、膝を軽く払う。
「雷門には、あたしから話通しておく。
――凪嵐十字軍には手を出すなってな」
「助かります」
一琉が深く頭を下げる。
「礼なんかいらない。
アンタらが暗夜會をブッ壊すなら、それで十分」
そう言い残し、背を向ける。
細い背中が、街の明かりのほうへ歩き出していく。
途中で一度だけ振り返るかと思ったが、
イミナはそのまま振り向かずに闇へ消えた。
「……番格ってのは、ああいうもんなのかね」
梨々花がぽつりと呟く。
夏菜は少しだけ空を見上げた。
「さぁな。でも——」
鷹津のほうを見る。
「沙夜。お前も、似たような面してるぜ」
「……うっせ」
鷹津は顔をそむけた。
胸の内側で、さっきのイミナの言葉が何度も反芻される。
(“本物”——ね)
拳を握る。
血祓戯流の道場、昼奈の怒号、汗まみれのマット。
そして背中を預けられる仲間たちの姿が、頭の中で重なった。
(——関係ねえ。
あーしが、あの修羅鬼を引きずり落とす)
暗夜會との“本番”まで、あと一週間。
冬の夜風が、汗の冷えた肌を容赦なく刺した。
それでも、鷹津の胸の中だけは、熱く燃え続けていた。




