報せ
陽光が北の砦を照らし、訓練場からは兵士たちの掛け声が響いていた。だがそれとは対照的に、執務室の中は沈黙と緊張が支配している。その静寂を破るように、一羽の鷹が開かれた窓から滑り込むようにして舞い降りた。
一切の風音もなく床を踏んだ彼女の首元には直属護衛の紋が光っている。漆黒の翼を折り畳み、静かに女王の御前に現れたワンジーは、冷たさを孕んだ声音で、淡々と報告事項を挙げていった。
「王宮、アルフォンス第一王子より緊急伝達でございます」
ヘラは静かに頷くと、従者へと続きを促した。
「本日未明、アルフォンス殿下が王宮内にて襲撃を受けました。襲撃者はジンリェンによって即座に排除され、負傷者はありません」
「兄上が……」
ルカの声が低く唸る。オリバーは驚きに目を見開いた。
「襲撃者の身元は不明。ですがその奇襲の動きから、内部構造を熟知していた可能性が高いと見えます」
「……内部からの情報漏洩か。兄上たちの予想通り、王宮内に裏切り者が?」
「現在、一部梟も合流し、宮内の記録を洗い出し中です」
「ジンリェンは?」
ヘラが問う。
「護衛継続中。殿下の警護を最優先とし、王宮外への接触は控えております」
ルカは腕を組むと、深く思案するように眉を潜めながらヘラを見やった。彼の視線に応えるように、ヘラもまたワンジーから受け取った報告書へと目を通していく。
「情報が漏れた経路……それに誰が何を動かしているのか。一度整理する必要がありそうですね」
「この件は極秘指定。フーリェンには限定通達を行います。ご指示を」
「……いいよ。フーには私から伝えよう」
そのまま、ルカは言葉を続ける。
「兄上を守ったジンリェンにも感謝を」
ワンジーは一礼するように小さく羽を広げると、再び静寂の中へと消えていった。
――――
漆黒の翼が再び王宮へと飛び立った頃。乾いた土の匂いと兵士たちの呼吸音が交錯する訓練場の隅では、数名の中堅兵士たちが白狐の青年を囲んでいた。
「……もう少し、肩開いて」
フーリェンは静かに呟く。彼の目の前には、上着を脱いだ虎獣人の兵士が立っている。陽光を受けた筋肉の動きに、彼は無言で視線を這わせた。
「うん、そのまま。……左腕、外側に回して」
「お、おう」
様子を見ていた周りの兵士たちが笑っても、彼は首を傾げるだけで、表情は変わらない。
「うーん……、」
「ははは、隊長さんともあろうお方が、むさくるしい男の筋肉を真剣に見るなんてな」
「確かに外から見たら危ない光景かもね」
そう言いながら、彼はゆっくりと左腕を上げた。骨の位置をなぞるように指を動かし、腕から肩周りにかけて目の前の男の身体を再現していく。筋肉の流れがなめらかに変わると同時に、腕が一回り大きくなる。
「……ただ、どう頑張っても一度で正確に模倣できるのは一種類だけだから、たくさんの骨格を同時にとかは、無理……」
「なるほどなー。だからちょくちょく切り替えてるわけか」
男たちが感心したように頷く。
「……動いて、触って、覚える。繰り返し」
今度は熊の兵士が入れ替わり、黙って背中を見せる。フーリェンは何も言わず近づくと、指の腹で筋の起点を探るように肩甲骨の上をなぞった。
「……力、ここと、ここに集まる?」
「おう。殴る時は、そこから全部使う」
「……なるほど」
短く頷き、すっと背筋を伸ばす。次の瞬間、その身体は徐々に厚みを増し、熊の力強い骨格へと近づいていく。
「……どうだ? 動かしにくいか?」
「少し重い。でも、大丈夫」
言葉を選ぶように、ぽつりぽつりと答える。その様子を見ていた豹の兵士が、にやりと笑いながら声をかけた。
「懐かしいな。ちっこかった頃も、そんな感じでよく言ってたよな。『ちょっと動いて』『ここ見せて』ってさ」
「……うん。みんな、よく付き合ってくれた」
そう言って、フーリェンは僅かに目を細めた。笑っているような、穏やかな目。成長しても変わらないその瞳の奥の表情に、兵士たちの目元も自然と弛む。
「じゃあ、次……。お願い」
「へいへい、任せなって」
豹の男が軽く跳ねるように立ち位置に入ると、フーリェンは再び無言でその骨格に目を凝らした。丁度、その時だった。
「フーリェン殿!」
訓練場の門の方から、伝令の兵が駆け込んでくる。
「第四王子殿下がお見えです……!」
その声にフーリェンは即座に立ち上がった。変化した身体を一瞬で元に戻すと、仲間たちに小さく一礼する。
「ありがとう。また、後で」
それだけを告げて、彼は足早に砦の奥へと向かっていく。残された兵士たちはしばし無言でその背を見送った。
「……やっぱ、あいつは変わらねえな」
ぽつりと呟かれた誰かの言葉。その言葉が聞こえたのだろうか。まるで職人のように無言で技を磨き続けていた白狐の耳が、ピクリと小さく揺れたのだった。




