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王宮の獣護   作者: 夜夢子
第12章 2幕

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第十二章 遠い日の約束 2

「……ヘラ様。いったい、アレは何なのですか?」


疲弊しきった顔でそう問いかけてきた年老いた医務官に、ヘラは小さくため息をついた。


「すまないルエル。私にも、分からないんだ。……様子はどうだ? 変わらないか」

「変わるも何も……。変わりすぎですぞ。ころころころころと姿が切り替わる。あんな能力、見たことがありません」


半ば呆然としたような声音に、彼女は目を伏せた。


「そうか……。すまないな、押し付けてしまって」

「何をおっしゃいます。それが我々の仕事ですから。……ですが、しかし——」


そこで彼は言葉を切ると、不意に口を閉ざした。その様子に違和感を覚え、ヘラは眉を寄せる。


「どうした?」


問いかけようとして、彼の視線が自分の背後へと向けられていることに気づいた。


ゆっくりと、振り返ってみる。


柱の影。そこからこちらの様子を窺うように覗いていたのは、一人の子供だった。


気づかれたと悟ったのだろう。声をかける間もなく、子供は踵を返し、そそくさとその場を離れていく。小さな背中が回廊の奥へと消えていくのを見送り、ヘラは再び医務官へと視線を戻した。


「……あの子供、気づくといつもすぐそばにいるのです」


ルエルは声を潜めるようにして続けた。


「幼いというのに……ふとした瞬間、恐ろしく感じることがあります」

「まだ出歩けるようになっただけ、ましだろう。腕の火傷も治ったようだな」

「能力による負傷ですからな。治りは他より早い。……ですが」


そこで言葉を濁し、彼は視線を床へと落とした。


「心の傷の方は……癒えるのには時間がかかりましょう。ようやく触れさせてはもらえるようになりましたが、如何せん警戒心が強い」

「……そう、か」


数多の兵を診てきた男の言葉だ。その判断が誇張でないことは、ヘラにも分かった。


それ以上何も言わず、雲ひとつない空を見上げた。


あまりにも澄み切った青が、ひどく現実離れして見えた。



ーーーー

「あの獣の子の処遇について、どうなさるおつもりで?」


心労を滲ませた表情のまま、文官の男が手にしていた報告書を机上へと叩きつけた。


「それを今から決める。落ち着け、ルーデウス」


眉を寄せて諌めるベルトランの声を聞きながら、ヘラは何度目になるかも分からない溜め息をつく。


彼の反応は間違ってはいない。例の子供の件でこうして顔を合わせるのは、これで四度目になるのだから。


「このまま王宮で治療を続けるにしても……終わりが見えません」

「そもそも、あれは本当に獣人の子供なのですか? とてもそうは見えない」

「仮に症状が一時的に和らいだとしても、その先はどうするのです? 院へ送るのも危険が伴います」


次々に飛び交う言葉は、どれも現実的で、どれも正しい。


「殺せと言うのか?」

「……文官は気楽なものだな。我々は医務官だ。命があるなら救うのが仕事だろう」

「そんな生ぬるいことを言っていられる状況じゃねぇ! 現に、兄貴がいなければ抑えられていないじゃないか!」

「それは……っ、そうだが……」


言い合う臣下たちの声が、部屋の空気をざわつかせていく。


その中で、ぽつりと落とされた一言があった。


「……陛下は、どうお考えなのですか」


その問いに、まるで時が止まったかのように音が消えた。


「アルベリヒは……」


その問に答えようとして、言葉に詰まる。


一掃戦の後、連れ帰った二人の子供を前に、拳を握りしめて立ち尽くす夫の姿が、ふと脳裏に浮かんだ。形を保てないその子の姿を目にした瞬間、彼はようやく自分の犯した罪の重さを理解したのだろう。膝をつき、項垂れるようにして「すまない」と口にした男の背中――その光景が、今も胸の奥に残っている。


「処遇については、私に任せると……そう言っていた」


そう告げてから、迷いを振り払うように一度、大きく頭を振る。


「……ルエル。お前の意見を聞きたい」


そしてそのまま、彼女は先ほどから沈黙を保っていた老医務官へと視線を向けた。


「……率直に申し上げるのであれば」


ルエルは視線を卓上に落としたまま、静かに言葉を続けた。


「安楽死が、最善策かと……。このまま治療を続けても、長く生きられるとは思えません…。悶え苦しむ余生を過ごすくらいなら、その苦しみから解放してあげることも、我々にできる救いでしょうな」

「……そう、だな」


悔しそうにそう呟いた男の言葉に、ヘラは膝の上で強く握りしめていた両手に視線を落とした。


聞かずとも、分かっていた。それが最善であり、この国のためになる選択だということも。


一人の子の命と、王国の未来を天秤にかける。


理性を失い、暴走を続ける異形の子。隔離部屋へと続く廊下には、正体の分からない叫び声と、医務官たちの怒号が絶えず響いている。


終わらせなければならない。


あの人の罪を背負うと決めたのだから――私が、終わらせなければならない。


ふと、こちらを見つめていた小さな子狐の姿が脳裏を過ぎった。


しかしそれを振り払うように、彼女は顔を上げた。


「異形の子は、処分する」


静かに、しかしはっきりと。


「準備が整い次第、早急に」


その瞬間――かたり、と。


何かが、確かに音を立てて崩れた気がした。


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