第十二章 ぼく
訓練場の隅にあったはずの大木は、影も形も残していなかった。
寄りかかる幹も光を遮る緑もなく、黒く炭化した地面だけが、そこに「何かがあった」ことを主張している。
重苦しい情報共有が終わった後、ジンリェンは一人、その焼け跡の中心で膝を抱えていた。
誰かに見られても、構わなかった。
見られたところで、今さら何も失うものはないのだから。
「……こんなとこにいたか」
全然隠れられてないぞ、と苦笑しながら近づいてくる声に肩が揺れた。
振り向くことはできなかった。
足音が近づき、隣に人の気配が落ちる。慣れた距離。慣れた間合い。
次の瞬間、温かい手がそっと頭に乗った。
顔を覗き込もうとしたのだろう。その気配を感じて、反射的に視線を上げてしまう。
「……っ」
焼け爛れた右側。包帯の隙間から覗く、痛々しい痕。数日ぶりに見た親友の顔に、一瞬、呼吸を忘れた。
「……ごめ……」
気付けば震える指が、勝手に伸びていた。
「ごめん……ごめん……」
――なんてことを、してしまったんだ。
何を、どこまで、どう謝ればいいのか分からなかった。顔を上げられなくなって、視線を落とした瞬間涙が溢れた。
そうやって膝に額を押しつけて声を殺す彼の姿に、隣へと腰かけたシュアンランは小さくため息をついた。
「……顔、上げろ」
呆れたようなその声音に、ジンリェンは動けなかった。
「ジンリェン」
そうしているうちに少しだけ強めに名を呼ばれ、白狐の肩がびくりと跳ねる。
恐る恐るといった様子で再び顔を上げた彼は、思わず唇を噛みしめた。
涙でぐちゃぐちゃの視界の向こうで、シュアンランは――笑っていたのだ。
「ほら」
前髪をかき上げて、わざとらしく彼は固まったままの白狐へと自身の顔を見せた。
「前より男前になっただろ?」
「……なんで…」
にやりと笑ってみせる彼の右目の赤は、錆びていた。
「なんで……そんな、笑って……」
「何でって言われてもな……」
言葉を失うジンリェンの様子に、シュアンランは困ったように眉を寄せると、そっと彼を引き寄せた。自分より少しだけ華奢なその背中をぽんぽんと叩きながら、そのまま小さく問いかける。
「なぁ。お前、いくつになった?」
その唐突な問いに、ジンリェンはぴたりと動きを止めた。
「……にじゅ……」
「二十か。そっか」
そうして少し間を置いて、
「俺は二十一だ」
と、シュアンランは言った。
『ねぇ、いくつ?』
『十』
『そっか。俺、十一だから、一つ上だ』
彼のその言葉に、ジンリェンの脳裏に浮かんだのは、いつかの日のやり取りだった。
それは、二人が初めて出会った日に交わした言葉だった。
「十年だ」
シュアンランは続けた。
「十年、一緒に過ごした。いろいろあったけど……あっという間だったな」
そう言って、彼は懐かしむように目を伏せた。
「ずっと一緒にいたのにさ」
「俺、お前がこんなに泣き虫だってことも」
「フーがいないと、こんなに駄目になるってことも」
「……知らなかったよ」
ひゅっと喉が鳴る音が、やけに大きく響いた。
「まだまだ知らねぇこと、あるんだろうな」
そう言いながら、シュアンランはずびずびと鼻を鳴らす白狐の顔を覗き込んだ。
「なぁ、親友。謝らなくていいからさ……教えてくれよ」
――少しだけ、真剣な目で。
「……我慢してたこと、たくさんあるんだろ?」
その瞬間、自分の中で何かが切れた音がした。
「……俺…………あいつが、いないと……なにもできないんだ…」
「いつもそうだ。感情も……うまく、コントロールできない……」
「なのに、偉そうに……守るとか言って……」
「けっきょく、ぜんぜん……まもれてなくて……」
喉が詰まる。
「……おれ、あいつにひどいこと言った」
「…………なんであんなこと…、いっちゃったんだろ」
声が、子どもみたいに揺れる。
「……フーは…なにもわるくなかったのに」
「……ぼく、が……ぼくがわるかったのに……」
「フーがいないと……」
「ぼくは……なにもできない」
止まらなかった。
「なのにみんな……」
「……ぼくから……フーを……とりあげようとする……」
「ずっと一緒は……だめだって、いうんだ……」
「……わかってる、そんなこと…」
「わかってるけど……」
声が、かすれる。
「……だいじなんだ…」
「……だいじ、だったんだ」
「そっか」
それだけ言うと、シュアンランは止めていた手を再び動かした。
「おとななんてきらいだ……」
「……フーをつれていくやつも……きらいだ」
「おい、ちょっとそれは響く」「シュアンはいい」
半ばやけくそで呟かれたその言葉に、シュアンランは思わず小さく苦言を漏らした。しかし勢いよく返ってきたジンリェンの声に押されるように黙り込むと、困ったように眉を寄せてから、彼が落ち着くまで小さく震えるその背を撫で続けたのだった。
――――
「……お前ら、本当によく似てるよ」
しばらくそうしているうちに、ジンリェンの嗚咽が静まったことに気付いたシュアンランは呆れ混じりにそう口を開いた。
「ぐずり方まで、まったく同じじゃねーか。……さすが双子だな」
小さく微笑みながら零されたその言葉に、白い狐の耳がぴくりと揺れた。ほんの些細な反応だった。けれどそれを見逃すほど彼は鈍くはない。
様子を窺うように視線を向けようとした、その瞬間――
「……ちがう」
今にも消えてしまいそうな声が、二人の間に落ちた。
「……ん? どうした」
何が違うんだとばかりに首を傾げて問いかける彼に、ジンリェンは一度、小さく息を吸い込んだ。そして先ほどまでとは違う、少しだけ落ち着きを取り戻した声音で、彼は言葉を継いだ。
「ちがう……」
「……おれたち、そうじゃ、ない」
その続きを聞いた瞬間、シュアンランは、ただ目を見開くことしかできなかった。




