第十二章 きみがいないと
不自然に骨が軋む音が響き、アンナとリオンはびくりと肩を寄せ合った。次の瞬間には、目の前で蹲っていた“彼”の姿が別の何かへと変わり始める。
額を押し破るように角が伸び、瞬きする間に背中の皮膚が裂け、硬質な翼がせり出した。
息を吸う間もなく、現実感のない変化が次々と重なっていくその異常な様子に、アンナは何度も一歩踏み出しかけた。そのたびに「近づくな」と荒い声が飛び、歯を食いしばりながら足を止めるしかなかった。
それでも、何もできないままでいることが耐え難かった二人は声を掛け続けた。それが正解なのかどうかは分からない。けれど、今のアンナとリオンにできることはそれしかなかったのだ。
やがて廊下の奥から足音が近づいてくる。規則的で、迷いのない歩調。重い扉が軋む音を立てて開き、顔を覗かせたのはカイと呼ばれていた男だった。
男の足が一歩牢の中へと入る。アンナがリオンを背に庇うと同時に、フーリェンの視線がカイへと定まった。
変形した両腕にぐっと力が込められる。
しかし、彼はそれ以上動くことはできなかった。
「動くな」
たった一言。それだけで、フーリェンの身体はぴたりと動きを止めた。
それが能力によるものなのか、それとも何か別の要因によるものなのかアンナには判断がつかない。ただ、彼が自分の意思で止まったわけではないことだけは、はっきりと分かった。
カイは無造作に乾いたパンと少量の水の入った革袋を床へと放り投げると、何も言わずに踵を返した。
重い音を立てて牢の扉が閉まる。
再び、淀んだ空気だけが室内に残された。
――――
――痛い。
扉が閉まる音が聞こえた。
また駄目だった。これで十五回目だ。
扉が開くたび、噛みついてやろうとした。
『お前さえ大人しくしていれば、あいつらは生かしておいてやる』
耳元で、あいつの声が響く。
自分が大人しくしていれば、アンナとリオンの命は保障される。……そうなのだろう。実際、ふたりに危害を加えようとする気配はない。
でも駄目だ。そんな約束を守り続けていたら、僕が二人を殺してしまう。それだけは駄目だ。絶対に。
――痛い。
骨が軋む音がする。
内臓の位置が入れ替わる。
どこかの肉が裂ける。
目を閉じても、逃げ場はなかった。身体が自分の意思とは関係なく変わり続けてしまう。
痛い。
苦しい。
叫びたい。
駄目だ耐えろ。
まだ、耐えられるはずだ。
「隊長……っ」
「フーリェン隊長……」
二人の声が聞こえる。
「だいじょうぶ、だから……食べておけ。すぐ、動けるように……」
不幸か幸いか、薬を投与されてからかなり時間は経っていたが、まだ理性を保てていた。
床に転がる革袋へ手を伸ばしかけて、止まる。
長く伸びた爪。
これでは、傷つけてしまう。
――痛い。
叫びそうになるのをこらえて、目を瞑る。
一瞬だけ視界に入ったアンナの姿に引きずられそうになる。
ふわりと、頬に柔らかな髪が触れた。
昔はもっと苦しかった。
でもその分、もっと“楽”だった。
ただ暴れ回って、粉々にして、疲れて眠る。それだけだった。
理性なんてなかった。未熟な心では、受け止めきれなかったから。
耐えて、
慣らして、
助けてもらって、
耐えて、耐えて――。
大人になった。
能力も、使いこなせるようになった。
心も、熟れた。
向き合えるように、なってしまった。
正気を保てている理由に辿り着いて、涙が零れそうになる。
――痛い。
真っ暗な視界の中で、ここにはいない背を探してしまう。
どうして、いないの。
どうして、名前を呼んでくれないの。
怖い。
寂しい。
独りは、嫌だ。
「……シロぉ…」
僕の名前を呼んで。
抱きしめて。
頑張ったなって、言って。
褒めて。
僕が眠るまで、傍にいて。
僕の手を引いて、連れ出して。
帰りたい。帰りたいよ。
きみがいないと――
ぼくは、ぼくを保てない




